27 あっちもこっちも隠し事? その3


 明珠達が宿営地に着いたのは、日もとうに暮れてからだった。だが、辺鄙へんぴな国境付近の村とは異なり、乾晶けんしょうのそばは、夜になっても店や家々に灯る明かりで、さほど不便はない。


 宿営地の中でも夜を徹して篝火かがりびが焚かれているので、困る事態はない。


 帰路も、再度襲撃があるかもしれないと警戒していたが、幸い、何事も起こらなかった。


 門番に立つ兵の間を通って宿営地に入った馬車は、ひときわ大きな天幕の前で停まる。

 以前にも来た天幕だ。


「着きました」

 御者台の張宇の声に安理が素早く立ち上がり、恭しく扉を開ける。


 天幕の前では、がく将軍が大きな身体を折り畳むように膝をつき、こうべを垂れていた。


「わざわざ出迎えすまんな」

 先頭に立って下りた龍翔が、鍔将軍に声をかける。


「とんでもございません。無事にお戻りになられただけで、何よりです」

 いかめしい顔で告げた鍔に、龍翔が苦笑をこぼす。


「心配をかけたようだな。だが、明順がいれば後れを取ることはない。張宇達もいるんだ。安心しろ」


 龍翔、次いで鍔に視線を向けられ、明珠は緊張に背筋を伸ばした。が、龍翔は少し微笑んだだけで鍔に視線を戻し、問いかける。


「捕らえた襲撃者達から、何か情報は得られたか?」

 鍔がいかつい顔を横に振る。


「残念ながら、黒幕につながるような情報は何も……。くわしいことは、中でご説明いたします」


 龍翔を先頭に、天幕へ入る。

 一行が腰を落ち着けたのは、乾晶に着いた日にも通された場所だった。


 中央には卓が置かれ、あらかじめ、今夜戻ってくることを伝えていたのだろう。卓の上には夕食の皿が並んでいる。


 具だくさんのスープや、白粥、肉を焼いたものや野菜の煮物など、総督官邸の豪勢な料理には及ばないが、軍隊らしく、量だけはたっぷりと大皿に盛られた料理は、どれもおいしそうだ。


「夕食は戻られてからとお聞きしておりましたので、用意しておきました。長く馬車に乗られてお疲れでしょう。まずは、ごゆっくりなさってください」

 鍔の言葉に、


「では、食べながら報告を受けよう」

 と龍翔が答える。


「明順。どこに行く。お前はこちらだろう?」

「ええっ!? 私は下座で十分なんですけど……」


 下座に座ろうとしていた明珠は、龍翔に手を引かれて、無理矢理、隣に座らされる。


 大皿から思い思いの料理を小皿に取り、食事が始まってすぐ、龍翔に促された鍔の報告が始まる。


 鍔によると、山賊達が宿営地に連行されてすぐ尋問したが、山賊たちは酒場で、


「護衛もろくにつけず、物品を運んでいる狙い目の獲物がいる。金持ちが乗っているから、殺して身ぐるみをげば、いい金になるぞ」


 と、見知らぬ男にそそのかされたと言うばかりで、そそのかした男の正体を知る者は、一人もいなかった。


「山賊どもは、商家同士のいざこざがあり、馬車に乗っている者を殺して首を持ち帰れば、追加で金を払うと言われたそうです」

 鍔の報告に、季白きはくが呆れたように鼻を鳴らす。


「それで、見知らぬ男の扇動に乗って、龍翔様の馬車を襲ったと? なんと愚かな」


「山賊どもが言うには、提示された金額が高く、これは強請ゆすればもっと出るはずだと、男の後をつけたそうですが、途中でまかれてしまったそうで……」


 鍔が渋面で告げる。季白もしかめ面で吐息した。


「安理がその場にいれば、確実にその男の行方を追って、黒幕まで辿りついたでしょうに。こうなると、山賊達の愚かさに怒りすら感じますね」


「いや~、季白サンに信頼してもらうのは嬉しーけど、そもそも、オレだったら龍翔サマを襲うなんて無謀な真似、絶対しないっスよ! いくつ命があっても足りませんって!」


 安理が大仰おおぎょうに怖がるふりをする。

「あの程度の雑兵で龍翔サマをなんとかしようだなんて、よっぽど侮られてるんスね~」


 にこやかに告げた安理に、龍翔は気を悪くした様子もなく頷く。


「なに、そのくらいでちょうどよい。おかげで、このように尻尾を出してくれるからな」


「今回、堅盾族の村へ行く旨を伝えていたのは、総督のはんと、副総督のていの二人だけです。間者かんじゃがまぎれこんでいた可能性も否定できませんが……。襲撃者は、範か貞の息がかかっている者と見て、間違いないでしょうね」


 季白が見る者の心を凍らせそうな、冷ややかな声音で吐き捨てる。


「龍翔様を手にかけようとは。万死に値します」


 もし範と貞が目の前にいたら、即座に息の根を止めそうな季白の剣幕に、明珠は食べていた野菜の煮物を喉に詰まらせそうになった。


 怖い。怖すぎる。

 やはり、季白には逆らうべきじゃないと、改めて心に刻み込む。


 季白の怒りなどどこ吹く風で、優雅な所作で箸を動かしながら、龍翔が応じる。


「まあ、わたしが乾晶に派遣された経緯を考えるに、官邸内部、しかも高位の者に協力者がいることは、初めからわかっていたが……」


 官邸が王都に派遣軍を要請したことによって、第二皇子である龍翔が派遣されたのだから、範か貞か、少なくともかなりの高官が関わっているのは疑いようがない。

 でなければ、そもそも王都への要請すら、出せないだろう。


「わたしを亡き者にしたいのは、範か貞か……。もしかしたら、二人ともかもしれんな」


 黒曜石の瞳を挑むようにきらめかせ、楽しげに龍翔が言うが、明珠にとっては楽しむどころではない。

 不安に駆られて龍翔の秀麗な面輪おもわを見上げると、柔らかな微笑みが返ってきた。


「心配はいらぬ。敵の実力も見抜けぬ愚か者に、おくれを取るわたしではない」


「しかし」

 珍しく、鍔が心配そうな声を上げる。


 龍翔を見つめる顔は明珠と同じく、龍翔を心配しているのだろうが、頬に傷のあるいかつい顔立ちのせいで、どう見ても、睨みつけているようにしか見えない。もしくは獲物を狙っている熊か。


「そのお姿でいらっしゃる時の龍翔様にかなう者が、そうそうおらぬことは存じております。ですが、明日は……」


「鍔。お前まで、季白と同じことを言うのか。もう決めたことだ。聞かぬ」

 龍翔がうんざりしたように眉を寄せる。


「鍔将軍。わたしが何があろうと、龍翔様をお守りいたしますので」

 張宇が取りなすように穏やかに声をかけるが、鍔の渋面は解けない。


「張宇殿を軽んじる気は毛頭ありませんが、お一人では……。やはり、わたしもご一緒に……」


「いらん。お前が来ると、悪目立ちするだろうが。来るな」

 すげなく一蹴された鍔が、叱られた熊のように、広い肩を落とす。


「では、わたしが駄目でしたら、せめて季白か安理を……!」

 季白と安理に視線を向けた龍翔が、はん、と鼻を鳴らす。


「せっかく羽を伸ばす好機だというのに、なぜうるさいのを連れて歩かねばならん」


「えーっ、オレは一緒に行きたいっスよ~! きっと大笑いでき……違った。龍翔サマの一挙手一投足を見逃さないよう、しっかり見守りますから! 明順チャンも、オレと一緒の方が、楽しいよね~?」


「えっと、あの……」

 明珠には話が見えない。


「あの、明日は何があるんですか?」

 尋ねると、龍翔が、


「……明日、驚かせようと思っていたのだが……」

 と、つまらなさそうに呟く。


「明日は、乾晶の街へ出かける。もちろん、身分は隠して、お忍びでな。せっかくはるばる来たのだ。乾晶の豊かさをこの目で見ておくのは悪くあるまい。なにより、どれほど治安が戻っているか、この目で確認しておきたいからな」


 明珠と視線を合わせた龍翔が、にっこりと笑う。

「もちろん、お前も一緒に行くぞ」


「えっ⁉ 私も連れていっていただけるんですか⁉」

「もちろんだ。官邸や宿営地に閉じこもりっきりでは、味気ないだろう?」


「ありがとうございます! 嬉しいです!」

 ぺこりと頭を下げると、季白の厳しい声が飛んできた。


「いいですか! あくまで乾晶の様子を知るための視察なのですからね! わたしは、明日は別行動をしますが……。遊びではないのですから、気を抜いたりしないように!」


「はい!」

 定規で線を引いたような季白の声に、ぴしりと背筋が伸びる。龍翔が苦笑した。


「明順。季白の言うことなど気にするな。明日はのんびり過ごそう。張宇が、甘味の美味い店に連れていってくれるそうだぞ」


「わあっ! それは楽しみです!」

 声を弾ませた途端、季白の叱責が飛んでくる。


「龍翔様! 明順を甘やかさないでください! ですから、遊びではないと――」


「えーっ! 張宇サンだけずるーいっ! オレも連れていってくださいよ~!」

「安理! あなたにはあなたの仕事があるでしょう!?」


「お前の同行は、絶対に認めん。どうせ、横で馬鹿笑いする気だろう?」


「決まってるじゃないっスか!」

「そんな奴を連れて歩く気はない」


「そんなぁ~っ。明順チャンは、オレと一緒の方が楽しいよねっ!?」


「えっと、あの……」

 身を乗り出した安理になんと答えるべきか、戸惑う。


 ぎゃあぎゃあとにぎやかに騒ぐ龍翔達は、じゃれ合っているようにも見える。

 というか、明珠に意見を聞いても、反映されようがないと思うのだが。


 困り顔であいまいに笑うと、見かねたのか、張宇が助け舟を出してくれる。


「明順。気にしなくていいぞ。季白も安理も、結局、龍翔様のご意向には逆らえないんだから。それに、二人がふざけているのは、いつものことだ」


「失礼な! わたしはいつだって大真面目ですよ!」

「オレだってそうっスよ! 大爆笑の機会をいかにして逃さないか、常に考えてるんスから!」

 張宇の言葉に、間髪入れずに返した二人に、思わず吹き出す。


「……張宇。そろそろ安理の口をふさげ。鍔でもかまわんぞ?」


「はっ! 龍翔様のご要望とあらば、ただちに」

 鍔がおもむろに箸を置き、両手の指を組んで、ばきばきと鳴らす。安理が顔をひきつらせた。


「ちょっ!? 鍔将軍、なんスか、そのヤル気満々な様子!? やめてっ! オレ殺されちゃうっ!」

 ぎゃーっ、と安理がけたたましい悲鳴を上げる。


「安理、うるさい。とにかく、明日は三人で出かける。季白と安理は、決してついてくるなよ?」


「そう念押しされると、ますます……」

「鍔、いいぞ。好きにやれ」


「あっ、うそうそっ! 冗談っス」


 呟いた安理は、龍翔の冷ややかな一言に、あわててぶんぶんと首を横に振った。

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