15 二人で何して遊びます? その2


「うまーっ! さすが総督官邸! 材料も料理人も、いいもの使ってるね!」

「ほんと、おいしいですね! 幸せです!」


 日もとっぷり暮れた頃。

 侍女が持ってきてくれた、宴に出されているものと同じ料理に、明珠と安理は舌鼓を打っていた。


 まとめていた書類は、料理が来た途端、安理が卓の端に寄せてしまった。


「内陸の西北地方だから、海産物は無理とはいえ、潤晶じゅんしょう川の川魚なんかを上手く使ってるよね。ん~、美味~」


 安理はずっと嬉しそうな顔で健啖けんたんぶりを発揮している。

 美食に縁のない明珠には、今夜の料理がどれほどのものなのか、正確な判断は下せないが、第二皇子をもてなすための宴の料理なのだ。とんでもない金額と手間がかかっているのだけは、よくわかる。


 ほっぺたが落ちそうだ。こんなにおいしいご馳走が食べられるという一事だけでも、龍翔に仕えられて役得だと思う。


「くーっ、これでうまい酒があれば最高なんだけどなあ……」

「あるみたいですよ。これ、中はたぶんお酒です」


 安理の言葉に、手近な盆の上にあった瓶子へいしをのぞきこむ。盆の上にはちゃんと盃もあった。


「うわ、まじで!? くそーっ、あるとわかったら飲みたくなるな~」


「やっぱり、安理さんも呑まないようにしてるんですか? 季白さんと張宇さんは、護衛のために呑まないようにしているって、前に聞いたことがありますけど……」

 明珠の言葉に、安理がつまらなさそうに肩をすくめる。


「ま、一応ね~。でも、さすがに今夜は三人とも呑んでるんじゃないかな~。総督主催の宴の席で酒を断ったら、いくらなんでも、角が立つからね~」

 うらやましそうな顔で告げた安理が、「あーっ、もう!」と身悶えする。


「オレだけ我慢なんて不公平だよね! オレもちょっと呑んじゃおうっと! ……明順チャン、季白サンには内緒でね♪」


「わかりました」

 おどけた様子で片目をつぶられては、苦笑して頷くしかない。


「おつぎしますね」

 盃を安理に渡し、酒を注ぐと、一息にあおった安理が「く~っ」と幸せそうにうめいた。


「美味い料理に旨い酒! しかも男装の美少女についでもらったとなると、さらに旨いね!」


「あの、もう酔ってらっしゃるんですか……?」

 尋ねつつ、二杯目をつぐ。

 くい、と盃を傾けた安理は、「まっさか~」とけらけらと笑った。


「オレはこれくらいじゃ全然酔わないよ? 張宇サンや季白サンと飲み比べても、いい勝負をする自信があるね!」

 自信満々に告げられた内容に、首を傾げる。


「……それって、龍翔様はお酒にお強くないってことですか?」


 三杯目をつぎながら尋ねると、いい酒をかぱかぱ空けてはもったいないと思ったのか、こんどはちびちびと飲みながら、安理が左手を振る。


「あー、なんて言うのかな。龍翔サマは、特別」

「特別、ですか?」


「うん。あの方、他人の前で飲む時は、どんなに強い酒をどれだけ飲もうが、絶対に酔わないんだよね~。張宇サンとか、気の置けない相手と飲む時は、ほどほどで酔っちゃうんだけど。自分が「他人」だと認識している相手の前だと、酔って弱点をさらすようなコト、絶対しないんだよ。……その分、後で反動がくるらしいケド」


 ちびり、とめるように酒を飲んだ安理が、


「ま、どこに敵が潜んでて、どんなことで上げ足を取られるかわかんないから仕方がないんだろーけどさ。かっわいそーだよね。どんな美味い酒を呑んでも酔えないなんて。オレだったら泣いちゃうねっ」

 と、料理をつまみつつ、顔をしかめる。


 明珠はとっさに返す言葉が見つからなかった。楽しみであるはずの食事の時でさえ、人目を気にしなければならないなんて。


 夕方、龍翔が宴をうっとうしそうにしていた気持ちが、今なら少しわかる。片時も気が抜けないのなら、ご馳走も砂のように味気ないだろう。


 安理が、酒精が混じった息を吐く。

「ほんと、もったいないよね~。今頃はきっと、両脇を美女にはさまれてるだろーにさ」


 安理の言葉に、昨夜、総督に初めて会った時に、しゃくをしていた美女達を思い出す。


「ああ、あの綺麗なお姉さん達! 確かに、綺麗なお姉さんを見ながらご飯を食べたら、いっそう美味しいでしょうね!」


「……あれ? そーゆー返しなの?」

 安理がなぜか眉をひそめる。


「……うらやましいとか嫉妬とか危機感とか、そーゆーのは?」


「え? 嫉妬ですか? さっきの話を聞いた後じゃ、とてもじゃないですけど、宴に出られてうらやましいとは……。いえ、私なんかじゃ、龍翔様が感じられている危機感の十分の一もわかってないと思いますけど……」


「……あー、うん。なるほどね。こりゃ、季白サンも手こずるわ……」


 口元を隠すように、安理が盃を傾ける。空いた盃に、明珠は再び酒をついだ。


 安理の顔色はぜんぜん変わっていないし、口調もしっかりしている。酒に強いと言っていたのは本当らしい。


「そういや、明順チャンは酒は飲まないの?」

「私ですか? 私は飲んだことがないです。飲みたいとも思いませんし……」


 酒びたりの義父のせいで苦労しているので、酒にいい印象はあまり持っていない。他人が機嫌よく飲んでいる姿に、眉をひそめるほどではないが。


「ふうん。……ま、龍翔様のいないところで酔わせたら、後で何を言われるかわっかんないしね~。っていうか」


 料理をつまみつつ、幸せそうに酒を呑んでいた安理が、ふと何かに気づいたように顔を強張らせる。


「あれ? 明順チャンに酌をさせてるのバレたら、龍翔様に斬られちゃう?」


「……安理さん、顔には出ていないけれど、実は酔ってます?」

 瓶子はかなり軽くなっている。


 ときおり、わけのわからぬことを言う安理に、明珠は首を傾げた。


「えー、やだなあ。これくらいなら、まだほろ酔いだよ~」

 けらけらと笑う安理は楽しそうだ。


 実家の近くの酒楼で勤めていた頃に、酔っぱらいは何人も見た経験があるが、義父は酔うと気分が沈むたちだった。安理みたいに酔って陽気になるのなら、そばでいる方も楽しい。



 安理と一緒にゆっくり食事を楽しんだ後、再び一覧表を作る作業に戻る。


 面倒だ。この巻物を書いた奴は字が汚い。こんな作業を押しつける季白サンは鬼……などと、本気か冗談かよくわからない愚痴ぐちをこぼしながら、それでも安理は明珠を手伝って、巻物を読み上げてくれる。


「えーと、銅製の駱駝らくだの像……」

「ちょっと待ってください。らくだって、どんな字でしたっけ……?」


「ああ、これこれ」

 安理が差し出した巻物をのぞきこむ。


「えーっと……」

 書き写していると、安理が感心したように言う。


「真面目だね~。適当に書いてもバレないよ、きっと」

「……季白さんのことだから、絶対、見つかって叱られそうな気がします」


「ははっ、季白サンは侮れないからな~っ」

 安理が笑った拍子に、肩がぶつかる。


「すみません」

「んー、いいって。それより、ちゃんと肩に当て布したんだね~。えらいえらい」


 安理が子どもにするように、わしわしと頭を撫でてくれる。やっぱり少し酔っているらしい。

 安理の息からは酒精の気配がする。結局、瓶子へいしを丸一本空けた安理の顔は、うっすらと赤い。


「龍翔サマおっそいな~。明順チャン、つらくない? 先に寝てていいって言われてるんでしょ?」


 侍女が食べ終わった器を下げていったのは、もうずいぶん前だ。今が何時かは知らないが、真夜中近いかもしれない。


「ちょっと眠いですけど……。でも、龍翔様も公務を頑張ってらしているのに、先に休むのも申し訳なくて……」


 意識を向けると、とたんに眠気が増す。明珠は出かけたあくびをふわ、と噛み殺した。


 今日は一日慣れない書類仕事をしたせいか、妙に疲れている。身体を動かして働くのとは、また別の疲れだ。ずっと筆を握っている右腕が少しだるい。


「それに私が寝ても、安理さんは眠るわけにはいかないんでしょう?」


 官邸に泊まっているとはいえ、どこに敵が潜んでいるかわからない。張宇、季白、安理の三人は、毎夜交代で、龍翔の警護のために見張りをしていると聞いている。


 むしろ、明珠が代わりに起きているから、今は安理に少しでも休んでもらいたいくらいだ。


「オレなんかに気を遣ってくれるなんて、明順チャンはいい子だね~♪」

 まだ酔いがめていないのだろうか。安理が頭を撫でてくれる。


 龍翔の優しい指先とも、張宇の穏やかな撫で方とも違う、犬でも撫でるようなわしゃわしゃといった撫で方。


「疲れているんなら、オレのことは気にせず休みなよ。大丈夫、夜這よば――あ、いやうん。この冗談は龍翔サマに殺されるわ、オレ」


 不意に、ぱっと明珠の頭から手をどけた安理が戸口を振り返る。


 と、同時に乱暴に扉が開けられた。

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