19 かわいいかわいい子猫ちゃん? その1


「にゃーん」と可愛い猫の鳴き声が、かすかに聞こえた気がして、明珠は耳をそばだてた。


「どうした?」

「あ、いえ。猫の……」

 龍翔の問いに答える間にも、再び鳴き声が聞こえる。


「あ、ほら。また……」

 廊下だろうか。すぐ近くで聞こえる。


 夕方前の今は、龍翔の部屋で、龍翔、明珠、季白、張宇の四人で明珠が季白から命じられた倉から無くなった物の一覧表作りをしているところだ。安理は龍翔から別の指示を受けているということで、昼前から姿を見ていない。


 季白はともかく、龍翔にまで一覧表作りをさせるわけにはいかないと、明珠は固辞したのだが、


「暇なのだ。手伝わせろ。そもそも、この一覧表が出来上がらぬことには、次に調べぬこともわからぬだろう?」

 と、龍翔に押し切られてしまった。


 明珠としては、忙しい日々の中でせっかく得た暇なのだから、少しはのんびりしてくださったらいいのに、と思うのだが、勤勉な龍翔は、暇を持て余すくらいなら、書き物をしている方がよいらしい。


「お前も暇なら、ゆったりと茶や菓子を楽しむのもよいだろうがな」

 という龍翔の呟きは、


「与えた仕事をこなすまで、たとえ龍翔様と言えど、甘やかすのは許しません!」

 という季白に、すげなく却下された。


「よし。ではわたしも手伝おう」

 と、妙にやる気の龍翔は、季白に負けぬ手際の良さで、どんどん書類を処理していっている。明珠としては、恐縮するほかない。


 まだ小さいのだろう、甘えるような猫の声は、ずっと廊下から聞こえている。


「私、ちょっと見てきますね」

 あまりに鳴いているので気になり、筆をおいて廊下へ出る。


 龍翔の部屋の前の廊下にいたのは、雪のように真っ白な子猫だった。

 よく手入れされた毛並みは輝くばかりで、野良猫でない証拠に、首には紅い絹の首輪までつけられている。


「猫ちゃん。あなた、官邸で飼われているの? どこから来たの?」


 子猫の愛らしさに思わず屈んで話しかけると、遊んでもらえると思ったのか、「にゃあん!」と鳴いた子猫が、ぴょんっ、と明珠の膝に飛び乗ってくる。そのまま、肩の方へとよじ登ろうとして。


「ひゃっ、ちょっと⁉」

 途中で着物の袖に子猫の爪がひっかかり、明珠は悲鳴を上げた。


「わっ、暴れないで……っ」

 取ってやりたいのだが、右袖に引っかかっているため、ろくに右手が使えない。


 屈んだまま困り果てていると、扉が開いた。

 「どうした?」と顔を出したのは龍翔だ。


「その、子猫の爪が……」

 まさか龍翔が出てくるとは思わず、もごもごと答えると、


「見せてみろ」

 と、龍翔が片膝をついて明珠のそばに屈み込む。


「わあっ! 大丈夫ですよ!」

 絹の着物で、無造作に床に膝などつかないでほしい。

 明珠は気が気ではないが、龍翔は気にする様子もない。


「子猫の爪が折れたら可哀想だろう。じっとしていろ」

「は、はい……」


 ふわりと龍翔の絹の衣に焚き染められた香の匂いが鼻に届く。

 真剣な表情の龍翔の面輪がすぐ近くで、妙に緊張してしまう。龍翔の手をわずらわせているところを季白に見つかったら、絶対に怒られるに違いない。


「よし、取れたぞ。このいたずら猫め」


 口とは裏腹に、優しげな手つきと笑顔で、龍翔が子猫を抱いて立ち上がる。明珠も続いて立ち上がろうとして。


「まあっ。明珠ったら、こんなところにいたの?」


 突然、廊下に響いた少女の高い声に、凍りつく。

 鋭く息を飲んだ龍翔が、明珠の姿を隠すように前に立つ。


 廊下の向こうから、侍女を二人従えて優雅に歩いてきたのは、薄紅色と黄色の華やかな絹の衣をまとった愛らしい少女だった。


 少女は龍翔の前まで来ると、優雅に一礼し、にこやかに背の高い龍翔を見上げる。


「龍翔殿下。明珠を捕まえてくださって、ありがとうございます」


(ん? 捕まえる?)

 明珠が呆然としていると、龍翔が手の中の子猫に視線を落とす。


「この子猫の名は、「明珠」というのか?」


「さようでございます。部屋にいたはずですのに、先ほどから姿が見えなくなってしまって……。どこにいったのかと、探しておりましたの」


 少女の答えに、明珠は安堵あんどのあまり、ふらつきそうになる。

 いったい、なぜ急に正体がばれたのかと、恐慌に陥って気を失いそうになったが、「明珠」とはこの子猫のことらしい。


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