38 一匙の蜜


「ふああぁ~~っ!」


 大きな卓の上にずらりと並んだ菓子を前に、明珠は抑えきれない歓声を上げた。


「お前の好みはどれだ?」

 にこにこと楽しそうに龍翔が訪ねる。


「気に入るものがなければ、鞄の中にまだまだあるぞ」


 龍翔の言う通り、子ども一人が優に入れそうな鞄の中には、まだまだたくさんの菓子が残っている。


「そんなっ、これで十分ですよ! というか、こんなにも食べられません!」


 卓の上には、十数種類もの菓子の箱や包みが並べられている。とてもではないが、こんなに食べられない。


 明珠は、

「もういいです! これで十分です!」

 と押し留めたのだが、龍翔が喜々として、

「たくさんの中から選んだ方が楽しいだろう?」

 と出してしまったのだ。


「どれでも、好きなものを、好きなだけ食べてよいぞ」

 卓に片肘をつき、手の甲に頬を乗せた龍翔が、にこやかにうながす。


「龍翔様は召し上がらないのですか?」

 尋ねると、龍翔が「ああ」と頷く。


「わたしは欲しければいつでも食べられるからな。それより、お前が嬉しそうに食べるのを見ている方が、ずっと楽しそうだ」


 「さあ選べ」と再びうながされて、明珠は卓に視線をやった。

 日持ちする焼き菓子が中心だが、今日、明日くらいで食べた方がよさそうな生菓子もある。


「では、これをいただいてもいいですか?」


 明珠が選んだのは、葛餅の上にとろりと黒蜜がかかった葛餅くずもちだ。

 どれもこれも美味しそうなのだが、貧乏人のさがで、つい足の早そうなものが気になってしまう。


「いただきます!」


 丁寧に手を合わせて、葛餅に楊枝を突き刺す。

 ぷるん、という弾力にわくわくしながら、口へ運び。


「おいしいですっ!」

 食べた瞬間、思わず歓声が出る。


 もっちりぷるぷるした葛餅の弾力に、黒蜜の上品な甘さが絶妙に調和している。


「ふわ~っ、幸せ……っ」


 二つ目を突き刺し、また口へ。

 自分でも、顔がとろけているのがわかる。


 実家では、菓子などの嗜好品しこうひんは、祭りの時に一口食べられるがどうかだ。


 甘い。美味しい。

 幸せで理性がけてしまいそうだ。


「ん~~~っ!」


 三つ目を頬張りながら、幸せをかみしめていると、すぐ向かいで吹き出す声が聞こえた。


 視線を向けると、卓の向かいに座った龍翔が、こらえきれないとばかりに手の甲の上に顔を伏せ、肩を震わせている。


「ど、どうなさったんですか!?」


 口の中の葛餅をみ下し、あわてて尋ねると、顔を上げた龍翔が、「いや……」とかぶりを振った。

 広い肩が、まだ震えている。


「お前があまりに幸せそうに食べているものだから、こちらまで幸せな気持ちになってな」


 明珠を見つめる眼差しは、春の陽だまりのように優しい。子猫をかまっていた時と同じだ。


「愛らしくて、いくら見ていても飽きぬ」


「っ!? どこをどう見たらそういう……? というか、あの……っ。見られていると思うと、食べにくいんですけれど……っ」


 というか、主を放って、自分だけ舌鼓をうっていていいのだろうか。


「本当に、龍翔様は召し上がらなくていいんですか……?」

 尋ねると、首肯しゅこうが返ってきた。


「わたしを気遣う必要はない。お前は気にせず、好きな菓子を食べていろ」


 と、不意に龍翔が腰を浮かせる。卓に身を乗り出した龍翔の右手が伸びてきたかと思うと。


「蜜がついているぞ」

 声に反応する間もなく、長い指先が明珠の唇を優しく拭う。


「えっ、あ……」

 あわてて手巾を取り出して龍翔に渡そうとしたが、それより早く、龍翔が指先についた黒蜜をぺろりとめてしまう。


「ふむ。なかなか美味いな」

「あ、あの……っ」


 なぜだろう。実家では明珠が順雪にしていたことのはずなのに、妙に気恥しい。

 子ども扱いされたせいだろうか。

 顔がかあっ、と熱くなる。


「すみません、みっともないところを……」

 もごもごと謝ると、柔らかな笑みが返ってきた。


「ああ、すまん。美味そうで、つい手が伸びてしまった」


「じゃ、じゃあ、龍翔様もお一つ……」

 葛餅を龍翔の方に押しやろうとすると、かぶりを振って断られた。


「さっきので十分だ。……何より甘い蜜を、もう知ってしまっているからな。菓子などでは、満足できそうにない」


 龍翔が、どこかからかうような笑みを浮かべる。


「も、もしかして、霊花山の蜂蜜よりも高級品があるんですか⁉ やっぱり、龍翔様のようなご身分だと、口にされる物からして、違うんですね」


 感心して告げると、龍翔が無言で笑みを深くした。


「ああ……。一匙ひとさびほどしか味わえぬ。甘くて……大切な、蜜だ」


「ええっ⁉ 龍翔様でも一口しか味わえないなんて……っ! どれほど希少な蜂蜜なんですか⁉」


 明珠は目を丸くして驚愕する。龍翔が、低くそっと囁いた。


「……手を伸ばせば、すぐ届きそうなのだがな……」

「? 加工が難しいとか……。そういう蜂蜜なんですか?」


 小首を傾げて尋ねたが、龍翔は黙したまま、答えない。


 龍翔の黒曜石の瞳が渇望を宿しているように見えて、明珠は切ない気持ちになった。

 第二皇子である龍翔でも一匙しか味わえぬ蜂蜜とは、いったいどんな高級蜂蜜なのだろう。明珠には想像すらできない。だが。


「いつか、龍翔様が好きなだけ召し上がれる日がくるといいですね」


 願いを込めて告げると、龍翔の目が、驚いたように見開かれた。

 ややあって。


「そう、だな……」

 龍翔がくつくつと喉を鳴らし、こらえきれぬとばかりに肩を震わせる。


「ふえっ!? 私、おかしなことを言いましたか!? そのっ、ただ、龍翔様の願いがかなったらいいなあって……っ」


 どうして、これほど龍翔が笑っているのか、さっぱりわからない。

 明珠はただ、いつか龍翔が好きなものをたくさん食べられたらいいなと思っただけなのだが。


「いや……。お前がそう願ってくれるなら、ありがたい。何よりの希望になる」


 龍翔が、真っ直ぐに明珠を見つめる。

 祈っているかのような、真摯しんしな瞳で。


「いつか……。望むだけ味わえるように、わたしも努めねばならんな」

「はい……?」


 どこか甘さを含んだ声に、明珠はあいまいに頷いた。


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