68 一つ、気になることを聞いたのだが。


 四阿あずまやの周りで、今を盛りとばかりに咲く花の香りが、明珠の鼻をくすぐる。


 明珠と龍翔がいるのは、官邸の離れの庭園にある四阿だ。

 張宇に案内されて四阿にやってきたのは、義盾ぎじゅん晶夏しょうか晴晶せいしょうの三人だった。


 かしこまって膝をつこうとする三人を、龍翔が「そのままでよい」と制する。


「ここは非公式な場だ。あまり堅苦しくしてくれるな。それより、よく来てくれた。昨日の今日で、官邸まで呼びつけてすまぬ」


「とんでもないことでございます。昨日の砂波国との会敵では、《堅盾族》はその場にいただけにすぎませぬ。殿下にすべてをお任せしてしまい……。長として、申し訳なく思っております」


 一人、椅子に腰かけた龍翔の言葉に、義盾がうやうやしく頭を垂れる。


はん総督との話は、もう済ませたか?」

 龍翔の言葉に、義盾が表情を引き締め、頷く。


「はい。今日から《護り手》として再び任につきます。こちらへ参るにあたり、もともと乾晶で《護り手》を任じていた者も連れてまいりました」


「そうか。一度、低下した信頼を取り戻すのは並大抵のことではなかろうが……。義盾殿が長を務められる《堅盾族》ならば、不可能ではないと期待している。励んでくれ」


「もったいないお言葉でございます。龍翔殿下の御期待を裏切らぬよう、この義盾、身を粉にして務めまする」


 拱手きょうしゅの礼をとった義盾が、深々と頭を下げる。龍翔が満足げに頷いた。


「ところで、忙しいところを呼びたてたのは、他でもない。昨日、孝站こうたんから話は聞いているかと思うが……」


 義盾がゆっくりと頷いた。

「はい。すべて聞いております」


 龍翔が一つ吐息する。


「この件だけは、わたしの一存では決められぬ。……が、今まで何も知らなかった本人の決めさせるのも、こくであろう。なので、義盾、お前の判断を聞きたいと思ってな」


 あえて主語を抜かした龍翔の言葉に、義盾は晶夏と晴晶を振り返った。

 二人が不安そうに父親を見返す。


 子ども達に、「大丈夫だ」と言わんばかりに穏やかな笑顔を見せた義盾が、表情を引き締め、龍翔に向き直る。


「細やかなお心遣い、誠にありがとうございました。十五年前、まだ少年の時に別れたきりですので、実際に会って話してみぬことにはわからぬこともありましょうが、わたくしは――」


 義盾は、迷いのないまなざしで、きっぱりと告げる。


「会わせてやりたいと考えております」


「ほう。本当によいのか?」

 試すような龍翔の声音に、義盾は躊躇ためらう様子もなく頷く。


「晶夏も、もう年頃の娘。自分のことはちゃんと自分で考えられまする。わたくしの一存だけで、晶夏の幸いになるやもしれぬことを阻むわけにはゆきませぬ」


 まさか、自分の名を呼ばれるとは思わなかったのだろう。晶夏が弾かれたように顔を上げる。

 血のつながらぬ娘を愛おしげに振り返り、義盾がしかつめらしい顔に柔らかな笑みを浮かべる。


「それで、もし傷つくことがあれば……。それを支え、癒してやることこそ、父の、いえ、家族の役目でございましょう」


「お父様……?」

 愛らしい顔に不安を浮かべ、小首を傾げる晶夏に歩み寄った義盾が、優しく娘の手を取る。


「晶夏。前に、話したことがあっただろう。お前には、生き別れの兄がいると。彼が……今、乾晶にいるのだよ」


「お兄様が……?」

 晶夏が驚きに目を見開いて、呆然と呟く。


「会ってみたいかい?」

 穏やかに問うた義盾に、晶夏が、こくこくこくっ、と夢中で頷く。


「会って……。会いたいです! お兄様に!」


「……だ、そうだ。よかったな、陽達」


 龍翔が、四阿の外へ視線を向ける。

 茂みの向こうから、呆然とした表情で現れたのは、季白に連れてこられた陽達だった。


「三年だ」

 陽達を見据え、龍翔が凛とした声を響かせる。


「陽達。昨日、保留した沙汰を下す。官邸の倉を破壊した罰として、お前には三年の苦役を課す。三年、真面目に罪を償ったら……」


 龍翔が柔らかな眼差しで晶夏達を振り返る。


「その後、どうするかは、お前と晶夏嬢たちで決めるがよい」


「……あ……、ありがとうございます……っ!」


 感極まったように、陽達が片膝をつき、こうべを垂れる。うつむいた顔から、ぱたた、と雫が地面に落ちた。


 それを見ぬふりを見て、龍翔が鷹揚おうように頷く。


「積もる話もあるだろう。離れの人払いはしてある。短い間だが、再会の喜びを味わうとよい」


 優しい声で告げた龍翔が、優雅にきびすを返す。


 待ちきれないとばかりに立ち上がった陽達や、晶夏の声が、明珠の耳に届いたが……。


 その姿は、明珠にはろくに見えなかった。


 目頭が熱い。涙があとからあとから、ぼろぼろとこぼれて、視界が歪む。

 耳に届く陽達や晶夏の嬉しそうな声に、明珠の胸まで歓喜で痛くなる。


 よかった……、と喜びを噛みしめながら、ふところから手巾を取り出そうとしていると。


「明順!?」

 驚愕に満ちた声が降ってきたかと思うと、突然、横抱きに抱え上げられた。


「ひゃああっ」

 驚きのあまり、手巾を取り落としそうになる。


「龍翔様! おやめください! 従者などをそのように……っ!」

 明珠よりも早く、苦言を呈したのは季白きはくだ。


 が、明珠を横抱きにし、すたすたと歩いていく龍翔は、どこ吹く風だ。


「人払いはしてある。問題はないだろう?」


「大ありです! お願いですから、人目のある所ではおやめください!」

 季白の声がとがる。


「明順をこのまま放っておくわけにはいくまい」

「龍翔様が運ぶ理由もございませんっ!」

 季白の言葉に、明珠はこくこく頷く。


「そ、そうですよ! ちゃんと一人で歩けますから……っ! 下ろしてくださいっ!」

 暴れるが、龍翔の腕は緩まない。


「それほど大泣きしているというのに、何を言う?」


 庭園の茂みの間を抜けながら、龍翔が苦笑する。

 諦めたのか、怒りのあまり気を失ったのか、季白は追ってはこない。


「泣いていては歩きにくかろう?」


 苦笑した龍翔が、明珠の顔をのぞきこむ。

 ふわり、と秀麗な面輪に柔らかな笑みが浮かんだかと思うと。


「……よかったな。陽達と晶夏を会わせてやることができて」


 いたわるような声音で告げられ、恐れ多さと恥ずかしさで引っ込みかけていた涙が、ふたたび、ぶわっとあふれ出す。


「はいっ! はいっ、本当に……っ! それもこれも、龍翔様のおかげです! 本当にありがとうございます!」


 手巾を握りしめて礼を言うと、龍翔が困ったように眉を寄せる。


「そう無邪気に礼を言われると、罪悪感を覚えるな……。わたしにも、思惑があるのでな」


「思惑……ですか?」

「ああ」


 頷きながら、龍翔が部屋の扉を押し開ける。部屋に入っても明珠を下ろさず、奥の長椅子へと歩を進めながら、龍翔が説明する。


「《堅盾族》が乾晶から引き揚げたのは、女王蟲が不安定になり、《晶盾蟲》を巧く扱えなくなったためだろう? だが、陽達は入れ違いに自警団長に就任した……。長らく、《聖域》から遠く離れた砂波国に暮らしていた陽達たちは、女王蟲の影響を受けにくいよう、《晶盾蟲》を訓練していたのではないかと思ってな。安理に確認させたところ、その通りだという答えだった。陽達や部下達が村へ戻ることになれば、その技術も村へ伝わることだろう。そうすれば……ふたたび起こってほしくはないが、もし次に、似たような状況が起こった際に、役に立つだろう」


 明順を膝に乗せたまま、長椅子に腰かけた龍翔が、とうとうと話すのを、明珠は感心して聞いていた。


 将来への備えまで視野に入れている龍翔を、素直にすごいと思う。


「だから、そう純粋に喜ばれると、どうにも申し訳ない気が……明順?」

「そんなことないです!」


 急に大声を上げた明珠に、龍翔が驚いた顔をする。

 かまわず明珠は続けた。


「だって、結果的には、《堅盾族》のためになることではありませんか! そこまで考えられる龍翔様は、やっぱりお優しくて素晴らしい方です!」


 尊敬をこめて真っ直ぐ見上げると、急にぐい、と引き寄せられた。


「こうもお前に褒められると、おもはゆいな」


 どこか照れたような声。だが、明珠はそれどころではない。


「り、龍翔様っ!? お放しくださいっ! 絹のお着物を濡らしたりなんかしたら……っ、っていうか、下ろしてくださいっ!」


 明珠の顔は涙でぼろぼろだ。絹の着物を濡らしては一大事と、龍翔の胸板を押し返す。


 と、意外なほどあっさり、龍翔の腕が緩んだ。ほっとして、身を離そうとすると。


「……ところで。一つ、気になることを聞いたのだが」


 両肩を掴まれ、引きとめられた。

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