69 こんな約束、聞いてません!?
「安理から聞いたゆえ、嘘の可能性も否定できんが……」
さっきまでとはうって変わった深刻な様子に、明珠も思わずごくりと唾を飲む。
「な、何を聞かれたんですか……?」
びくびくしながら尋ねると、ひたり、と鋭い光を宿した黒曜石の瞳に、見据えられた。
「
「っ!?」
明珠は思わず息を飲む。
否定も肯定もしなかったのに、
す、と黒曜石の瞳が
「……苦役を十年にすべきだったか……?」
物騒なことを呟きながら、明珠の肩を掴んだ龍翔が距離を詰める。
「あ、あの……っ、あれは事故で……っ」
「ほう……。事故、か」
なんだろう、龍翔の圧がすごい。
肩を掴まれたまま、背中を逸らしてじりじり距離を取ろうとすると、不意に、肩に力がかかった。
そのまま、長椅子に押し倒されてしまう。
身を乗り出した龍翔の秀麗な面輪が間近に迫って、心臓がばくんと跳ねる。
「あ、あの……っ! どうなさったんですか!? っていうか、龍翔様だって今、押し倒しているじゃないですか!?」
そもそも、なぜ押し倒されねばならぬのだろう。
非難を込めて見上げると、龍翔が
「わたしはよいのだ」
「よくないですよっ!」
間髪入れずに言い返す。
顔が熱い。心臓がばくばく鳴っている。というか、顔が近い!
明珠の抗議に、龍翔は何を言う、と言わんばかりに不思議そうに首を傾げる。
「季白と、約束しただろう?」
「き、季白さんと……!?」
冷徹上司の名前に、反射的に緊張する。
が、記憶のどこを探っても、季白とこの状況が結びつかない。むしろ、季白に見つかったら、大目玉を食らうと思うのだが。
龍翔が、出来の悪い弟子に対するように、苦笑した。
「昨日、季白の叱責を逃れるために、約束したではないか。今後は、わたしがしっかり明珠を見ているから、今回は許してやってくれ、と」
「それをどう解釈したら、こんなことになるんですか――っ!?」
龍翔が、楽しそうに喉を鳴らした。
「ちゃんと、お前を見ているではないか」
「これ、絶対に季白さんの言う「見る」じゃないと思うんですけどっ!」
「何を言う?」
龍翔が、とろけるような笑顔をこぼす。
「お前の愛らしい顔が、よく見える」
「っ!?」
羞恥があっさりと限界を突破する。ぼんっ、と顔が爆発した気がした。
「な、なななななにおっしゃるんですか――っ!? こ、こんな泣いてぼろぼろの……っ!」
いくら龍翔が悪戯好きでも、これは、からかい過ぎだ。
恥ずかしすぎて、今すぐここから逃げ出したい。
龍翔を押し返そうとすると、左手を掴まれた。導かれた先は、胸元の守り袋だ。
顔の前にかざしていた右手首も掴まれ。
「これでは、見えぬだろう?」
「見えないように隠しているんです! お放し――」
抵抗もむなしく、顔の前から右手をのけられる。
目の前にあったのは、悪戯っぽい光をたたえた黒曜石の瞳だ。
「わたしは、見たいぞ?」
「ちょ、ちょっと――ひゃああっ!」
止める間もなく龍翔の面輪が降りてきて、まなじりの涙を吸い上げる。明珠は守り袋を握りしめ、固く目を閉じた。
「泣き顔だろうと、怒っていようと、お前は、いつも愛らしい。いくら見ていても、飽きぬ」
甘さを帯びた龍翔の声が、明珠の耳をくすぐる。
「が……。たとえ嬉し涙といえど、お前の泣き顔は、心が痛むな。わたし以外の者が泣かせたというのが、さらに気に食わん」
額に、まなじりに、頬にと、甘い囁きをこぼしながら、龍翔の唇が顔のあちこちに降りてくる。
が、明珠は恥ずかしさで、龍翔の言葉などろくに耳に入らない。
顔だけでなく、全身が燃えるように熱い。羞恥と、押し寄せる龍翔の香の薫りで、頭がくらくらする。
唇にくちづけされているわけではないのに、この恥ずかしさはなんだろう。いっそ、このまま気を失ってしまいたい。
度肝を抜かれて、嬉し涙は引っ込んでしまったが、今度は、羞恥といたたまれなさで涙が出そうだ。ぎゅっ、と固く目を閉じたまま、開けることすらできない。
「あのっ、龍翔様……っ。その、ほんとに……っ」
頭が真っ白になって、うまく言葉が出てこない。
震える声で、必死に懇願すると、龍翔が小さく吐息する気配がした。
龍翔の腕が背中に回り、ぐいと引き起こされる。
おずおずと目を開けると、龍翔が困ったような表情で、明珠をのぞきこんでいた。
「仕方がない……。このくらいにしておこう。……お前に嫌われては、本末転倒だからな」
「ええっ!? 龍翔様を嫌うだなんて、そんなこと……」
告げた瞬間、龍翔が盛大に顔をしかめた。苦いものを口いっぱいに突っ込まれたような顔に、思わず
「あ、あの、何か失礼を……」
「……ここでそう言うか……」
渋面で呟いた龍翔が、「まあ、よい」と、悪戯っぽく笑う。
「嫌われていないのなら……。もう少し、かまわぬな?」
どこか甘い声で囁いた龍翔が、宝物にふれるように、明珠をそっと抱き寄せる。
「あ、あの……っ?」
てっきりに放してもらえると思っていた明珠は焦る。
「り、龍翔様? その……」
「どうせ、すぐ季白か張宇が、出立の用意ができたと呼びに来るのだ。それまでの少しくらい、いいだろう?」
派遣軍は
なので、すぐに出立するという龍翔の言葉自体は、驚きでも何でもないのだが。
「よくないですよっ! お放しください!」
「なぜだ?」
龍翔が不思議そうに尋ねる。
「なぜって……。このままじゃ、仕事ができませんっ! 荷造りの確認だってしたいですし……」
「そんなもの、張宇達が来てからでよい」
「よくないですよ! 季白さんに怒られます!」
明珠は逃げようとするが、龍翔の腕は緩まない。むしろ、くすくすと楽しそうに笑いながら、どんどん明珠を引き寄せる。
これでは先ほどと、ほとんど変わらない。くちづけされていないだけ、ましとはいえ、恥ずかしいことに変わりはない。
龍翔の長い指先が、明珠の髪や頬や背を優しくすべっていく。
衣に
「あのっ、どうしてお放しくださらないんですか!?」
「決まっておろう」
ふと、龍翔の声が生真面目な響きを帯び、明珠は反射的に暴れるのをやめる。
何だろう? 何か明珠の知らない重要なことでも……。
明珠の面輪をのぞきこんだ龍翔が、とろけるような笑みを浮かべる。
「こうしておけば、さすがのお前も無茶はできまい?」
「っ!? そうですけどっ! 確かに無茶はできませんけどっ! でも、お仕事だってできません――っ!」
盛大に突っ込んだが、龍翔は笑って相手にしてくれない。
「よいではないか。わたしは楽しいぞ?」
「私は心臓が壊れます!」
「……それに、お前がそばからいなくなる恐怖など、二度と味わいたくない」
「っ!」
切ないほど
「……本当に、すみません……」
深くうつむくと、大きな手のひらにそっと頬を包まれた。
「よい。もう済んだことだ。
龍翔の手に導かれて顔を上げた先にあったのは、じっ、と明珠を見つめる黒曜石の瞳だ。
「次、無茶をしたら、今度こそ、放してやらんからな?」
「えええっ!? いえその、別に、もともと無茶をする気は……」
「返事は?」
明珠の頬にふれたまま、龍翔がじりじりと距離を詰めてくる。
「だからその、無茶をするつもりなんて……」
「ん? 返事をする気がないのなら、口をふさいでも問題はないな?」
楽しげに告げた龍翔の指先が頬から顎にすべり、くい、と持ち上げる。
息がふれるほどに、近づく面輪。
「ちょっ! ふさがれたら返事できないじゃないですかっ!? しませんっ! 無茶なんてしませんからっ!」
肌にふれる龍翔の吐息に、
「だから、お願いですから! もう、お放しください――っ!」
第二幕 終わり
~作者からのお知らせ~
「呪われた龍にくちづけを 第二幕 ~お仕着せが男装なんて聞いてません!~」を最後までお読みいただき、誠にありがとうございました~!
明珠と龍翔達の物語はまだ続きます!
まずは王都を目指し、王都からさらに……?
「呪われた龍にくちづけを 第三幕 ~いきなり迫られるなんて聞いてません!~」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054888587025
は、中3日を開けて、のんびり連載中です!
誰が誰にせまられるかは、読んでのお楽しみということで……(笑)
第三幕でも、じれじれあまあまを目指します!
第三幕も、お読みくださった方に楽しんでいただける物語を紡いでいきたいと思っておりますので、今後とも、どうぞよろしくお願いいたします~!
呪われた龍にくちづけを 第二幕 ~お仕着せが男装なんて聞いてません!~ 綾束 乙@迷子宮女&推し活聖女漫画連載中 @kinoto-ayatsuka
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