67 悪巧みの顔は見せられない?
「いや~、龍翔サマ、さっきは、よく我慢なさったっスね~。オレもう、史傑の首が飛んじゃうかと思ったっス♪」
「掃除をする羽目にならなくてよかったっス~」と、離れへの廊下を歩きながら
「あいつはまだ使えるからな。一時の怒りに目をくらんで、用を果たす前に潰すわけにもいくまい」
副総督の貞は、陽達が保管していた文書を元に、すでに捕らえた。史傑の処理もあれでよい。
《堅盾族》が護り手に復帰することも、総督の範と調整してある。
後は……。と、乾晶を
「え~、でもホントにいーんスか? あのまま生かしておいて。龍翔サマがお望みでしたらパパッと……」
不穏なことを気楽に申し出る安理に、龍翔は首を横に振る。
「ああやって恐怖を植えつけておけば、そうそう龍華国に手を出す気にはなるまい。岩にかじりついても、生き長らえようとしそうな奴だからな。必死で脱獄して、砂波国へ逃げ帰るだろう。いい防波堤になる」
今は牢に入れているが、予定では数日後に、史傑を処刑する手はずになっている。
ちゃんと警戒をさせてはいるが、史傑は術師だ。今は周康を見張りに置いているので、大人しくしているが、龍翔達が乾晶を去り、
「えー、でも、砂波国に帰った途端、あっさり手のひらを返して、龍翔様のいらっしゃらない乾晶を狙ってこないっスか?」
安理の問いに、龍翔はにやりと唇を吊り上げる。
「もう手は打ってある。砂郭を攻めてきた
「そうすれば、龍華国に手出ししている余裕など、なくなるだろうからな」と小声で呟くと、龍翔の横顔を見た安理が「うっわ~っ!」と大声を上げて眉をひそめた。
「龍翔サマ、わっる~い顔をしてるっスよ。悪巧みしている時の季白サンに引けを取らないっス!」
「……どんな顔をしてるというのだ?」
「あっ、そっか。季白サン、龍翔サマの前じゃあ、そんな顔見せませんもんね~♪」
「おい待て。それは季白がわたしに隠れて何か画策しているということか?」
季白が龍翔を裏切るなどとは、天地がひっくり返ってもありえないが、悪巧みの心当たりなら、たった一つだけある。
「え~っ、バラしたらオモシロくないじゃないっスか~♪」
きしし、と笑った安理が、龍翔が問い返すより早く、
「で、もうすぐお部屋ですけど。明順チャンに、そのお顔、見せちゃうんスか~?」
と、龍翔より、よほど人の悪そうな笑みを浮かべる。
なぜか、どきり、と心臓が
「待て。安――」
龍翔が止める間もなく、さっと前へ出た安理が、
「龍翔サマのお戻りっス~」
と大きく扉を開ける。
そこには。
「ひゅ、ひゅうふぉおひゃまっ!?」
卓に座った明珠が、張宇と一緒に、口いっぱいに肉まんを頬張っていた。
急に龍翔が戻ってくるとは、思っていなかったのだろう。
かじりかけの肉まんを皿に置いた明珠が、あわてた様子でぱたぱたと駆け寄ってくる。
むぐむぐと口の中のものを飲み下そうとしている様は、頬袋いっぱいにどんぐりを詰め込んだリスのようだ。
「ふぉ、ふぉはえりなさいませ!」
微妙に不明瞭な発音でぺこりと一礼した明珠に、
「す、すみません……」
ようやく口の中の肉まんを噛み下して、恥ずかしそうに謝る明珠の頭を、ぽんぽんと優しく撫でる。
「いや、謝るな。急に戻ってきたわたしが悪い。食べている邪魔をして悪かったな」
「い、いえっ。私こそ、申し訳ございません。龍翔様はお休みなく働いてらっしゃるのに、私だけ……」
龍翔を見上げた明珠の眉が、きゅっと寄る。
「あの……。ご無理なさっておられませんか? 険しいお顔をなさってましたけれど……」
心配そうに龍翔を見上げる明珠が愛らしくて、思わずなめらかな頬に手を伸ばす。
「大丈夫だ。お前の顔を見た途端、気が晴れた。そう言うお前こそ、もう辛くはないか? 顔色は戻ったようだが……」
明珠の両頬を手ではさみ、まだどこか不調は残っていないかとじっ、と見つめると、
「あ、あの……っ」
と明珠が戸惑った声を上げる。
馬車で休み、食事も取って、少しは《気》が戻ったのだろうか。顔色はいつもの肌に戻った気がする……というか、いつもより紅くて熱い。
「りゅ、龍翔様! 私でしたら大丈夫ですから! ですからもう、お放しくださいっ!」
明珠が真っ赤な困り顔で上目遣いに龍翔を見上げてくる。
「それに、私の顔はお
あまりにさわり心地が良くて、無意識のうちに、つい、もにもにと頬をさわってしまっていた。
「す、すまん。つい……」
あわてて両手を放すと、明珠が真っ赤な顔のまま、逃げるように一歩退く。
龍翔の隣では、安理が、
「や、やっぱ明順チャンてばサイコーっ! 明順チャンにかかったら、おっそろしー龍翔サマも形無しっスね~っ♪」
ぶひゃっひゃっひゃ、と馬鹿笑いしていた。
「明順。邪魔をして悪かったな。わたしのことは気にせず、続きを食べ……」
言い終わらぬうちに、扉が叩かれた。顔をのぞかせたのは、史傑を官邸の警備兵に引き渡していた季白だ。
「龍翔様。
「えっ!? 晶夏さんも来られたんですか!?」
明珠が季白の言葉に食いつく。
愛らしいつぶらな瞳が、物言いたげに、上目遣いに龍翔を見上げる。
自分のことでもないのに、すがるような眼差しで見上げる明珠を、龍翔が無下にできるはずがなく。
「……お前も、同席するか?」
「はいっ! ありがとうございます!」
水を向けると、明珠は花が咲くような笑顔を見せた。つられて、龍翔の目尻まで下がってしまう。
「ぶっひゃひゃっひゃひゃ……。こ、これが、ついさっき史傑を脅してた御方と同一人物って……っ! も、駄目……っ! 腹がいて――っ」
無遠慮に笑い転げる安理を、龍翔は思わず蹴りつけた。
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