30 楽しい楽しいお買い物? その3


「ほ、欲しいものと言われましても……」


 「借金を返すお金」と真っ先に思い浮かぶが、それは買ってもらうものではない。


(順雪の着物? 本とか筆とか……)

「あ、順雪用の物は却下だぞ」


「えぇ~~っ!」

 思わず、情けない声が出る。


 欲しいもの。


 急にそんなことを言われても、思い浮かばない。

 れた龍翔が、口元に悪戯っぽい笑みを浮かべて、明珠を急かす。


「思い浮かばぬのなら、服にでもするか? 帯もつけてやるぞ。ああ、もちろん靴もな」


「ちょっ!? どうして髪飾り並みに高い物ばっかりなんですか!?」


 明珠の叫びを、龍翔は綺麗に無視する。

「首飾りなどの装身具でもよいな」


「英翔様! 聞いてくださってます!? それに、首飾りなら、晶夏さんにお守りをいただいたばっかりです!」


 明珠は胸元に下がる《堅盾族》のお守りをずい、と差し出す。

 龍玉が入った守り袋は、万が一にでも失くしたりしては大変なので、着物の中に入れてあるが、晶夏にもらったお守りは、せっかくだからと見えるように首から下げている。


 と、ようやく明珠は欲しい物を思いつく。


「紐! 紐が欲しいです!」


「紐?」

 龍翔が不思議そうに愛らしい顔を傾げる。


「はい。先日、賊と遭遇した時に、守り袋を提げていた紐が切れてしまって……。今は切れたところを結んで使っているんですけれど……」


「なんというか……。もう少し、こう、他にないのか?」

「ええっ!? 英翔様がおっしゃるから、一生懸命、考えましたのに!」


 呆れたような声音に、へにょりと眉が下がる。と、その顔が面白かったのか、龍翔が小さく吹き出した。


「悪い悪い。お前が欲しがるものが、あまりにささやかなのでな。張宇。この店なら、紐もあるだろう」

「はい。……あ、あちらのようです」


 三人で移動した先では、様々な色の紐が、壁に取りつけられた木枠から垂れ下がっていた。まるで、色の洪水のようだ。何色もの糸で編んだ色鮮やかな組み紐もある。


「ええと……」


 一番端にあった綿の生成きなりの紐に手を伸ばそうとすると、はっしと龍翔に手を掴まれた。


「待て。わたしが選ぶ。守り袋の紐ならば、着物の下に隠しているのだから、どんな色でもよいだろう?」


「? 見えないものなら、色なんて不要じゃないですか?」


 きょとんと返すと、英翔が愛らしい顔を大仰にしかめた。

「お前は……」


「ふはっ。……明珠。そんな高いものでもないし、英翔様にお任せしたらいいんじゃないかな? でないと、いつまで経っても次の店に行けなさそうだ」


 見かねたのか、張宇が笑いながら口を挟む。


「あっ、そういえば、張宇さんの妹さんへのお土産は……?」


「うーん、髪飾りはなかなか、これといったものが見つからなくてね……。また安理にでも相談するから、気にしないでくれ」


「すみません。わたしじゃお役に立てなくて……」


「いや、急に言った俺が悪いんだから、そんなに申し訳なさそうな顔をしないでくれ」


 張宇と話しているうちに、いつの間にか商品を選んでいた龍翔が、代金を払って戻ってくる。

 話すのに気を取られていて、何を選んだのか、見逃してしまった。まあ、龍翔が変なものを買うとは思わないが。


「明珠」

 戻ってきた龍翔が、楽しげな顔で、握った拳を差し出す。


「は、はい」

 両手を皿のようにして前に出した明珠の手のひらに、すべらかな物が、落とされる。


 明らかに綿ではない、なめらかなこの感触は。


「きっ、絹じゃないですかっ、これっ!?」


 明珠の手のひらに載っているのは、美しい薄紅色と、あざやかな濃い青の二色の絹紐だ。

 龍翔が、さも当然とばかりに答える。


「青い方は、髪を束ねる用だ。青ならば、見えるところにつけていても、問題はあるまい?」


「で、でも、従者が絹なんて……」

 思わず呟くと、龍翔が愛らしい面輪をねたようにしかめる。


「……気に入らなかったか?」

 不安そうに揺れる黒曜石の瞳に、胸が締めつけられる。


「いえっ! そんなわけありませんっ! なんというか、その……っ」


 どう説明すればいいのか、まったくわからない。


 龍翔の思いやりは、言葉に尽くせないほど嬉しい。


 しかし、同時に、自分などにお金を使わせてしまったことを、どうにも申し訳なく思ってしまう。

 龍翔にとって、絹紐を二本買うくらい、はした金だとわかっていても、だ。


 これほど気遣ってくれる優しい主にふさわしい働きをできていないことが、なおいっそう申し訳なさを募らせる。


「明珠」

 穏やかで、けれども力強い張宇の声が、明珠の思考を断ち切る。


 優しく頭を撫でてくれた手に顔を上げれば、張宇が慈愛をにじませて明珠を見守っていた。


「無欲なのは明珠の美徳の一つだと思うけど……。たまには、喜びを素直に表してもばちは当たらないと思うよ?」


 穏やかな声に我に返る。

 そうだ。真っ先に言わねばならない言葉が、まだだった。

 不安そうに明珠を見上げている龍翔に、視線を合わせる。


「あの、龍翔様。お礼を申し上げるのが遅くなって申し訳ございません。その、贈り物なんていただいたことがないので、びっくりしてしまって……。本当に、ありがとうございますっ! ずっとずっと大切にしますね!」


 両手で大事に絹紐を握りしめ、深々と頭を下げる。

 と、長い吐息が降ってきた。


「よかった……」


 上げた視線に飛び込んできたのは、安堵したの龍翔の面輪。


「誰かに物を贈って、これほど不安になったのは、初めてだ。礼を言われるだけで、これほど嬉しくなるのもな」


 柔らかに龍翔が微笑む。


「お前の喜ぶ顔見たさに、いくらでも贈りたくなってしまうな」


「え、英翔様っ!? 無駄遣いなんてしちゃダメですよ!? 私は、こちらをいただけただけで、もう十二分なんですからね!?」


 思わず、順雪に言うようにいさめると、苦笑が返ってきた。


「わかっている。お前に愛想を尽かされたくはないからな。だが……。少しだけ、待っていろ」


 龍翔が急にきびすを返す。


「は、はい」

 どうしたのだろうと、せた背を見送っていると、張宇に「よくできました」とばかりに優しく頭を撫でられた。


「その……」

 張宇が苦笑をにじませて口を開く。


「絹なんて、明珠は緊張するだろうけど、よかったら使ってくれないか? 使わずに死蔵される方が、もったいないだろう?」


「そ、それは……」

 心の中の戸惑いを読んだような張宇の言葉に、返事に詰まる。


 確かに、よほど思い切らなければ、紐といえど、絹など身につけられない気がする。


「絹紐で髪を結うくらいなら、従者の身分でもおかしくはないし、使ってくれると嬉しい。……その方が、英翔様も喜ばれるだろうから」


 張宇の真摯しんしな眼差しを追った先にいるのは、店の者と何やら話している龍翔だ。


「な?」

 振り向いた張宇に穏やかに微笑まれ、明珠は、


「が、がんばります……」

 と、ひるむ心をおして頷く。


 張宇が言うことはもっともだ。

 何より、龍翔が喜んでくれるというなら、つけない理由がない。


(緊張で、すごく肩がるような気がするけれど……っ)


「どうした、明珠? どんな思いつめた顔をして」

 いつの間にか、目の前に戻ってきていた龍翔が、小首を傾げる。


「いえっ、ちょっとその……。精神力を、振り絞っておりまして……っ」


「? まあいい。少し屈んで、目を閉じろ」


 両手を後ろに回したままの龍翔が、悪戯っぽい笑顔で命じる。

 疑問に思いながらも、明珠は素直に従った。目を閉じ、腰を少し曲げる。


「動くなよ」

 少年の細い指先が左のこめかみにふれる。ふわりと花の香りが鼻腔をくすぐった。


「もう良いぞ」

 楽しげな声にまぶたを開けると、手鏡に映った自分自身と目が合った。


「これ……?」


 左のこめかみ近くに飾られているのは、今が盛りと花開く薄紅の牡丹ぼたんの花だ。

 商品の手鏡を手近な棚に戻しながら、龍翔が微笑む。


「店に飾ってあった春牡丹を一輪もらった。金がかかっていなければ、よいのだろう?」


 黒曜石の瞳で明珠を見つめた龍翔が、満足げに頷く。


「うん。やはり、今日の服と髪には、花飾りがよく似合う。牡丹の花の精のようだ」

 明らかに過分な褒め言葉に面食らう。


「ありがとうございます。でもあの、こんな華やかな花、私には……」

「何を言う。よく似あっているぞ」


 自信に満ちた龍翔の声に断言されると、もしかして似合っているかもしれないと、思わず錯覚しそうになる。


 龍翔の指先が、ふたたび明珠の指を絡めとる。


「今日限りの幻なのだ……。ならば、せめて愛らしい姿を、じっくりと愛でさせてくれ」

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