31 本当の名前はなんですか!? その1


「おい張宇。本当にこっちであっているのか?」

「安理に聞いた限りでは、この辺りだと思うんですが……」


 明珠達は昼食後、安理がオススメだと張宇に教えた団子屋を探していた。

 明珠は乾晶けんしょうの地理にうといのでよくわからないが、大通りから外れ、入り組んだ裏路地へ張ってしばらく経つ。


 大店おおだなが並び、裕福そうな商人や、生まれて初めて見る異国の人々が歩く大通りは、すべてのものが珍しくて、ついあちらこちらを、ふらふらと見てしまっていた。


 そのたびに、龍翔に、

「楽しいのはわかるが、間違っても手を放したりするなよ」


 と、龍翔にしっかと手をつなぎ直されていた。まるで、小さな子どもに対するような扱いだ。


 人込みでごった返すにぎやかな大通りから外れた裏通りは、明珠の暮らしていた界隈を連想させ、なんとなくほっとする。

 昼を一刻ほど過ぎた今は、早めに仕事を終えた職人風の男や、夕飯の買い物に出るおかみさん、定職についているかあやしい男達などがのんびりと歩いていた。


 なんとなく、道行く人々の視線が自分達一行に注がれている気がし……。隣を歩く龍翔を見て、納得する。


 いつもより質素な服に身を包んでいるとはいえ、隠し切れない気品を放つ龍翔は、この通りに明らかに不似合いだ。


「どうした?」

 明珠の視線に気づいたのか、龍翔が愛らしい面輪おもわを上げる。


「いえ、英翔様の気品は、衆目を集めずにはいられないんだなあって……」


 もし、青年姿で来ていたら、もっと注目を集めていただろう。

 明珠の言葉に、龍翔が呆れ混じりの息を吐き出す。


「何を言っている? 人目を集めているのはお前だろうが。さっきから、張宇が不埒者ふらちものにらんで追い払うのに忙しい。お前の可憐な姿を愛でられるのは嬉しいが、他の者に――」


「あ! 英翔様! あっちから何か香ばしい匂いがしていますよ!」


 明珠は風に乗って届いた匂いに、くん、と鼻を鳴らし、弾んだ声を上げる。明珠が指差した先を見た張宇が、


「ああ、ようやく見つかった。あそこで間違いありません」

 と、安堵の息をつく。


 醤油しょうゆと蜜がからんだ食欲がそそる匂いを放っているのは、小さな店構えの団子屋だった。路地に面した店先で、老婆がぱたぱたと団扇うちわであおぎながら団子を焼いて、タレを塗っている。


「この場で食べるのに三本と、あと土産用に二十本包んでくれ」


 張宇が金を払い、それぞれ一本ずつ、老婆から串にささった団子を受け取る。

 湯気の立つ焼きたての団子を一口、はふ、と頬張り。


「ん~っ! おいしいです!」


 もち米の粒々さが残るもちもちとした歯ごたえと、醤油と蜂蜜をまぜあわせたタレの、絶妙な甘辛さがたまらない。


「これは、わざわざ探して食べる価値がありますね! 教えてくれた安理さんに、後でお礼を言わなきゃ!」


「確かに、この美味さは礼を言わなきゃな」

 明珠の言葉に、張宇が笑って頷く。団子屋の老婆が「おやまあ」と微笑んだ。


「わざわざこの店を探しに来てくれたのかい? 嬉しいねえ。わざわざ来てくれた可愛いお客さんに、一本おまけしようかね」


「ありがとうございます!」

 老婆から渡された団子を受け取り、龍翔を振り返る。


「可愛いお客さんにですって。どうぞ、英翔様」


 串に四つささった団子の最後の一つを食べ終えたばかりの龍翔に差し出すと、不思議そうに返された。


「お前がもらった物だろう?」

「え? 違いますよ。可愛い子にってもらったんですから」


 龍翔が顔をしかめ、張宇が「ぶはっ」と吹き出す。


「……お前は、自覚が足りなさすぎる」

 苦い顔で呟いた龍翔が、


「二本は多い。半分食べろ」

 と促す。


「いいんですか?」

「さすがに、朝からこれだけいろいろと食べていると、少々腹がつらい。お前も入らなければ、張宇にやってもいいぞ?」


「こんなにおいしいお団子ですもん! あと二個くらい余裕です! じゃあ、英翔様、お先にどうぞ」


 串を龍翔の口元に差し出すと、なぜか龍翔がひるんだ顔をした。


「……どうせ、順雪と同じ扱いなんだろうが……」

 眉を寄せて呟いた龍翔が、団子を二つもぐもぐと食べる。


「すみません。お行儀が悪かったですか?」

「いや」

 団子を食べ終えた龍翔が、悪戯いたずらっぽく笑う。


「ひときわ美味い団子だったぞ?」


「わかります! 店先で食べるのって、いつも以上に美味しく感じますよね~!」

 自分の分の団子を食べながら頷くと、なぜか龍翔の笑みが深くなる。


「あの、ところで……」


 団子を食べ終えた明珠は、そっと辺りを見回した。近くに公衆用のかわやが見える。

「お団子を包んでもらっている間に、ちょっと手を洗ってきます」


「ああ」

 龍翔が頷く。張宇の方は、

「この店、本当に当たりだなあ。あ、持ち帰り用、あと十本包んでくれ」

 と、喜々として追加の注文をしている。


 今日買った品物は、ほとんど全て、張宇が背中に背負った、子どもが優には入れそうな大きな竹籠に入れているが、そろそろあふれそうになっている。

 しかも、中身がほとんど甘味だというのがすごい。宿営地で甘味屋でも開けそうなほどだ。


「すみません。ちょっとお待ちくださいね」


 足早に、けれど走ってせっかく龍翔がくれた牡丹を落とすのは嫌なので、できるだけ丁寧な小走りで厠へ向かう。裏通りのこの辺りは、長屋や小さな店が立ち並んでいるので、付近の住人の共用なのだろう。


 用を済ませ、戻ろうとした歩き出した途端、近くで男の叫び声がした。


 何事かと思う間もなく、細い脇道から、通行人を突き飛ばして、薄汚い若い男が飛び出してくる。


 反射的にそちらを振り向いた明珠と、男の視線がぶつかる。


 切羽詰まった者特有の、血走った目。

 身構えた時にはもう、男が明珠に突進してきた。


 すくんだ身体を叱咤しったし、逃げようとしたが、久しぶりの女物の長い裾が足に絡まる。


 かと思うと、走り寄った男に乱暴に腕を掴まれ、引き寄せられた。


「あっ」

 髪から牡丹の花が落ちる。


 拾おうと屈もうとした首に、男の腕が絡みついた。後ろから腕を回し、無理矢理、明珠を盾にした男が、腰の短剣を引き抜く。


 午後の陽光を反射して、手入れの行き届いていない刃が、ぎらりと鈍く光る。


 背後で、龍翔と張宇の声が聞こえた気がする。が、男の腕に首を絞められていて、動かせない。


 追手だろうか。明珠を捕らえた男に続き、脇道から飛び出してきた青年に、ひび割れた声で男が叫ぶ。


「止まれ! このおん――」


「《縛蟲ばくちゅう》!」


 男の言葉は、最後まで発さぬ内に断ち切られた。

 青年が放った《縛蟲》が、電光石火の速さで男の腕に絡みつく。


 同時に、青年が動いていた。

 短剣を握る手を、素手の青年がつかみ、ひねり上げる。


 たまらず男が剣を落とした時には、縛蟲が男の動きを封じ込めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る