9 いざ、総督官邸へ! その4


 長い廊下を通り、明珠達を一階の奥まった部屋に案内した貞は、


「すでに湯殿の準備は整っております」

 と湯殿の場所を説明すると、


「何かございましたら、すぐにお申しつけください」

 と深々と一礼して、下がっていった。


 ようやく五人だけになり、明珠は詰めていた息をほっと吐き出す。


 案内されたのは、これまた豪華極まりない部屋だった。あちらこちらに高価な品々が置かれており、正直、貧乏人の明珠には身の置き場がない。

 うっかりつまずいて、何かを壊してしまったら、一生、借金漬けだ。恐ろしすぎる。


「乾晶の富を誇りたいのだろうが、やりすぎだな、この官邸は」

 龍翔が呆れたように形良い鼻を鳴らす。


「向こうにしたら、せっかく来てくださった第二皇子様の関心を、少しでも買いたいんじゃないっスか? 隣の部屋は、従者用だけあって、それほどでもなかったっスよ」


 いつの間にか姿を消していた安理が、隣室とつながった内扉を開けて入ってくる。


「直接つながっているのは、ここと隣の二室だけみたいっスね」

 言いながら、安理が部屋のあちこちを見て歩き回る。


「そうか」

 頷いて部屋を見回した龍翔にならって、明珠も周りを見回した。


 おそらく、官邸の中でも一、二を争ういい部屋なのだろう。並みの家なら、一軒は優に入りそうな広さだ。それをいくつかの衝立ついたてで区分けしている。


 廊下へつながる扉に近い広めの空間には大きめの卓が置かれ、衝立で仕切られた向こう側には、天蓋てんがい付きの大きな寝台が見えた。

 更に奥にも衝立が見えるが、ここからではその向こうが何はわからない。


「……華美に過ぎるな。わたしは好まん」

 龍翔が吐息とともにこぼす。


「総督に一言、申されれば、泡を食って龍翔様のご希望に沿うよう、飾り直すことでしょう」

 冷ややかに告げた季白に、龍翔が視線を向ける。


「季白。お前は先ほどの話をどう聞いた?」

 主人の問いに、季白は切れ長の目をわずかに細める。


「王都に軍の派遣を要請した流れについては、まあ妥当なところかと。乾晶の守りを堅盾族に頼り切っているというのは、以前から指摘されておりました。今までは、堅盾族が忠実に任をこなしていましたから、問題になることはありませんでしたが……。堅盾族が任を全うしないとなれば、乾晶の治安が乱れるのも道理です」


 淡々と告げた季白が、

「と、申しますか」

 と整った顔をしかめる。


「一カ月以上もの時間がありながら、未だ賊の特定ができていないとは、どんな無能揃いなのですか! 乾晶の警備隊は!」


 憤懣ふんまんやるかたないといった季白の声に、龍翔が苦笑する。


「そう言うな。賊の存在が必要な者がいるのだろう。――わたしを害しても、不自然でないように」


 静かに告げられた衝撃的な内容に、息を飲む。

「り、龍翔様! それって……っ」


 明珠の凍りついた表情に気づいたのだろう。苦笑した龍翔が、明珠の頭を大きな手で優しく撫でる。


「大丈夫だ。お前が不安に思うことは何もない。……今夜の話の裏取りは、明日以降だな。今夜は、風呂にでも浸かってのんびり休もう」


 ごまかされた。

 反射的にそう思うが、だからといって明珠に抗弁できることはない。


「では、警護は俺が」

 申し出た張宇に、龍翔が頼む、と頷く。


「初日から刺客に襲われることはないでしょうが、念のため、わたしもご一緒しましょう。安理、あなたは……」


「オレ? オレはもうちょっと部屋と、周りの間取りなんかを調べておくよ。あからさまな隠し戸なんてないと思うけど、いちおーね」


「わかりました。明順。あなたは部屋で荷物の整理でもしておきなさい。いいですか? くれぐれもっ‼ 余計なことはしないようにっ‼」


「は、はいっ!」

 季白の厳しい声に、ぴしりと背が伸びる。


 龍翔が季白、張宇と連れ立って出て行くと同時に、安理も部屋を出て行く。

 豪華な広い部屋に一人残された明珠は、改めて部屋の中を見回した。


 我知らず、深い吐息がもれる。

 貧乏人の明珠には、一生、見る機会すらなかっただろう高価な品々に囲まれた部屋で過ごすことになるなんて、一カ月前には、想像すらしていなかった。


 というか。自分で言うのもなんだが、明珠を一人で残しておいていいのだろうか。盗みを働く気など毛頭ないが、この部屋に飾られている置物を一つ売り飛ばすだけで数年は遊んで暮らせるだろう。


 それだけ、信用してもらっているのだとしたら、嬉しい。

 季白に言われた通り、荷物の整理をしておこうと、明珠は長持ちの上に解かれぬままに置かれた荷物の塊に手を伸ばした。



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