9 いざ、総督官邸へ! その3


堅盾けんじゅん族が役に立たぬのならばと、自警団を組織させたのです。これが、なかなか上手くいきまして……。治安が戻ったのは、半月ほど前でしょうか。ですが、治安は落ち着いても、堅盾族に怪しい動きがあるのは確か。もし、堅盾族が謀反むほんを企んでいるのだとすれば、乾晶の警備隊と自警団だけで対抗するのは不可能でございます」


 範がふうっ、と大きな身体から大きな吐息を吐き出す。


「ですが、第二皇子殿下が、千人もの軍勢を率いてきてくださったとなれば、堅盾族も愚かなことをしでかすことはありますまい」


 範は小さな目を期待に輝かせて龍翔を見やる。

 明珠からは龍翔の後ろ姿しか見えないが、広い肩がわずかに揺れた。かすかな吐息が耳に届く。


「一つ聞くが、範総督自らは、堅盾族の居住地へは赴いたのか?」


「わたくしでございますか?」

 範は小さな目をしばたたかせる。


「いえ、なにぶん、これでも忙しい身でございまして。わざわざ堅盾族の元まで行く暇は、とてもとても……。もちろん、使者は何度も遣わしております」


「範総督は、それはもう、乾晶の安寧のためにご尽力されておりまして」

 あわてて口をはさんだのは貞だ。


「堅盾族が何を画策しているのかは、現在のところ、まったくわかっておりません。そのような状況の中、総督が万が一、堅盾族に赴き、囚われるようなことが起これば、乾晶は無体な要求にも屈さねばならなくなります。もし、そんな事態が起これば、混乱に収拾がつかなくなりましょう。総督が、襲撃があった後も、官邸でどっしりと構え、堅実に政務をり行われているからこそ、民も安心していられるのでございます」


「……なるほど」

 龍翔が何を考えているのか、静かな声音からは、明珠は読み取れない。


「そのほうらが、王都に派遣軍を求めた事情は、よくわかった。だが、今の状況では、せっかくの軍勢をどこにぶつければよいのか、まったくわからんな」


「いえいえ。龍翔殿下のお手をわずらわせようなどとは思っておりません。龍翔様は、乾晶でごゆるりとお過ごしいただくだけでよいのです。《龍》のお力を持つ龍翔殿下が、軍勢とともに乾晶に滞在なさっている。その事実だけで、よからぬ企みを持つ者は震え上がり、御前おんまえ平伏ひれふすことでございましょう」


 範があわてた様子でぶ厚い手のひらをばたばたと振る。

 総督の言葉は龍翔を持ち上げて、その実、余計なことはしてくれるなと、釘を差しているようにも見えた。


「だが、せっかく遠路はるばる乾晶まで来たのだ。武功の一つでも立てねば、わたしを遣わせた皇帝陛下に顔向けができぬ」


 いつもの龍翔らしからぬ物言い。

 だが、範と貞には、それで十分だったらしい。


「もちろん、龍翔殿下が武勲を上げられるのをお止めする気は、毛頭ございません。落ち着いてきたとはいえ、治安はまだ不安定でございますし、乾晶の富を狙う不逞ふていの輩は、後を絶ちません。龍翔殿下、御自らが賊を討伐なされたと知れば、民は皆、龍翔殿下の御慈愛と御威光に感じ入りましょう」


 範が媚びるような笑みを見せる。龍翔は、ゆっくりと一つ頷いた。


「うむ。民のために剣を振るうことはやぶさかではない。連れてきた兵士達の訓練にも、ちょうどよいだろう。だが……」

 龍翔は盃の酒を一口飲むと、ゆったりと椅子の背にもたれた。


「範総督がその安寧に心を砕いているだけあって、乾晶の豊かさは目を見張るほど。すこぶる快適そうだ。差し迫った脅威がないのなら、長い行軍で疲れた身体をしばし休めるのも、悪くはあるまい」


「その通りでございます! そうぞ、官邸にでごゆるりとお過ごしください。何かご希望がございましたら、この範の力の及ぶ限り、叶えてみせましょう」

 範が胸に手を当て、恭しく頭を下げる。隣の貞も総督にならって頭を下げた。


「よろしく頼む」

 満足そうに頷いた龍翔が杯の中の酒を飲み干し、かたりと卓に置いた。


「では、今宵はこの辺りで休ませてもらおう」


「かしこまりました。お荷物はすでにお部屋に運んでおります。すぐにご案内いたしましょう」

 範が合図をすると、しゃくをしていた美女達が頷いて、衣擦きぬずれの音を囁かせて下がる。


「お休みになられる前に、ゆっくりと湯にかられてはいかがでございましょう? 西北地方は乾燥しておりますが、ここ乾晶は潤晶川じゅんしょうがわの恵みもあり、比較的、水が潤沢でございます。官邸の湯殿ゆどのは、きっとお気に召していただけるかと」


「ああ、それはありがたい。兵の指揮を執るためには仕方がなかったとはいえ、宿営地は快適に過ごせる場所とは、お世辞にも言えぬゆえ」

 龍翔の言葉に、範が我が意を得たりとばかりに頷く。


「そうでございましょう。宿営地とは比べものにならぬほど、官邸は快適でございます。龍翔殿下にも、必ずお気に召していただけるかと」


「そうか、それは楽しみだ」

 秀麗な面輪おもわに誰もが見惚れるような笑みを浮かべ、龍翔が席を立つ。


「ご案内いたします」

 と、すぐさま貞も席を立ち上がった。


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