9 いざ、総督官邸へ! その2


「はっ。それは……」


 龍翔の眼差しに気圧けおされたように、範があわてて口を開く。


 範によると、そもそもの発端は、一カ月半ほど前に起こった大きな地震だという。

 この辺りは滅多に地震が起こらない地域らしいが、一カ月半前の自身はかなり大きなもので、街中が騒然となったらしい。


 幸い、街の中心部では家具が倒れるほどの被害しか出ず、揺れの大きかった西側の方が、古い家が傾いたり、屋根瓦が滑り落ちて怪我人が出たりと、被害が大きかったらしい。


 総督官邸への襲撃があったのは、地震から五日後の深夜だった。


「真夜中にすさまじい音が響き渡りまして、まるで、雷がすぐそばに落ちたかのような轟音ごうおんでございました。あわてて警備兵が駆けつけましたところ、官邸の離れにある蔵が倒壊しており、火の気もないはずですのに、火事になっておりました。さらには、混乱に乗じて盗みを働こうという輩まで現れまして……。身も痩せるような思いをいたしました」


 丸々と太った身体で告げられ、明珠は吹き出すのをかろうじてこらえた。

 が、笑い上戸の張宇と安理はそうはいかなかったらしい。


「「んっ! ……んんっ!」」


 隣の二人が、そろって吹き出すのをこらえようとして、変な咳払いをする。二人の広い肩がぷるぷると震えていた。


「それはそれは、災難でございましたね。して、賊は捕まったのですか?」

 張宇達とはうって変わって、全くぶれのない声を出したのは、冷徹大魔神の季白だ。


 季白の言葉に、範は「それが……」と力無くかぶりを振る。


 乾晶の総督官邸が襲撃されたということは、広く見れば、龍華国に弓を引いたとも受け取れる。

 範は、それこそ血眼ちまなこになって犯人を必ずひっ捕らえよと、警備隊に厳命した。


 しかも、襲撃には蟲招術ちゅうしょうじゅつが使われたようで、官邸の大きな蔵を壊せるような蟲を扱える術者となると、かなり数が限られてくる。


 動機こそわからぬものの、犯人はすぐに捕まえられると、誰もが疑いもしなかった。


 だが。


 どれだけ手を尽くして探しても、犯人の机は、ようとして掴めなかったのだという。さらには、


「ご存知の通り、乾晶は交易路の要衝に位置する豊かな街でございます。乾晶の富を狙う不逞ふていの輩は後を絶ちません。時には、砂漠の向こうから異民族の盗賊団が襲ってくることもあれば、富の匂いをかぎつけてきた山賊が来ることもあります。隣国・砂波さは国も乾晶を手に入れようと虎視眈々と狙っており、十数年前には、実際、砂波国との間で小規模な戦が起こったこともございます」


 地震に続いての官邸襲撃に、乾晶の治安は、一気に悪くなったのだという。


 元々、交易の街である乾晶は、見知らぬ旅人であっても、街に入るのを拒まない。拒んでいては、経済活動が回らないからだ。


 だが、それは裏を返せば、多少怪しく、後ろ暗いところがある者でも、たやすく街へ入り込めるということだ。


「ふだんでしたら、あれほど治安が悪くなったりはしませんでしたでしょう。乾晶には『堅盾族の守り』があるのは、有名でございますから。ですが……」


 総督の話をちゃんと聞いていなくてはと思いつつ、長い説明に集中力が切れそうになっていた明珠は、興味のある単語に思わず視線を上げた。


 《堅盾族けんじゅんぞく》。術師でないにも関わらず《晶盾蟲しょうじゅんちゅう》と呼ばれる蟲を操る、辺境の民族。


 範の苦い声が続く。


「堅盾族との取り決めでは、街の警護のために、常に百人の警護役を提供することとなっています。地震の直後、堅盾族から申し入れがございまして、先の地震の影響で、堅盾族の居住地はひどい被害を受けたため、二ヶ月ほどの間、警護役の提供人数を半分の五十人に減らしてもらえないかと」


 いったん言葉を切った範が、ふう、と息をつく。


「わたしはこの目で堅盾族の被害状況を見たわけではございませんが、堅盾族の居住地は、乾晶をさらに半日ほど西へ行った地。乾晶より、地震の被害が大きかったというのも、納得できる話でした」


 範は絹に包まれた分厚い胸をことさらに反らせる。


「わたくしは常々、仁政を心がけておりますので、堅盾族の窮状に際し、もちろん、減員を認めました。ただし、何か事があった時には、すぐさま元の百人に戻すよう、重々言い含めた上でですが」


 範は福々しい手を握り締める。


「襲撃の後、堅盾族に警備役の人員を元に戻すよう、何度、使いをやっても、言を左右にするばかりで、まったく応じません! それどころか、現在、乾晶にいる者さえ、引き揚げてしまう始末! これはもう、堅盾族の裏切りという他、ございません!」


 息巻く範とは対照的に、沈痛な表情で貞が補足する。


「しかも、巷間では、堅盾族が官邸を襲撃したのではないかという噂も流れておりまして……。堅盾族の中でも、力に優れた者ならば、確かに不可能ではございません。加えて、堅盾族が非協力的なのは、身内をかばっているからではないかという噂までございまして……」


 貞は深い溜息をつく。


「恥ずかしながら、乾晶は警備のほとんどを堅盾族に頼っており、総督官邸が自由に動かせる手勢は、わずかしかございません。地震で人心に不安が広がっていたところ襲撃が起こり、さらには、堅盾族が警備をおろそかにしたことにより、乾晶の治安は乱れに乱れまして……」


「このまま、乾晶の混乱が続けば、いつまた砂波国が牙を剥くやもしれません。そこで、恥を忍んで、王都へ派遣軍の要請を求める早馬を送ったのでございます」


 範が貞の言葉を引き継ぐ。

 料理にろくに口もつけず、二人の話を静かに聞いていた龍翔が、疑問を口にした。


「なるほど。経緯はよくわかった。それにしては、今の乾晶は、さほど治安が悪化しているようには見えないが?」


「それは我々も手をこまねいていたわけではございませんから」

 範が手柄を誇るように、再び胸を張る。

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