43 どっちの寝台で眠ります?


「お邪魔しても大丈夫っスか~? ……静かってことは、とりあえず最中じゃないってことっスよね~?」


 扉の向こうからかけられた安理の声に、龍翔は右手を止めた。扉を叩く音は、安理にしては珍しく、遠慮がちだ。


「入ってよいぞ。というか、何だ、その言いざまは」


 低い声で告げると、「失礼しま~す」と、音もなく扉を開けた安理が、黒衣に包まれた長身をするりとすべりこませた。


「首尾は?」


「季白サンの推測通り、壊された倉と一緒に焼けたハズの品物が、たーっぷりあったっス~♪ アレ、倉の中の物、ほとんどそっくり移したんじゃないっスかね?」


 と、笑顔で軽やかに告げた安理が、龍翔を見て、大仰おおぎょうに唇をとがらせる。


「あーっ! ずっるーいっ! オレが一人寂しくお仕事頑張ってたってのに、龍翔サマだけ明順チャンとたわむれてたなんてっ! ひどくないっスか!?」


 文句を言いつつも、明珠を起こさぬよう、安理の声はひそやかだ。


 龍翔の膝の上では、頭を撫でているうちに寝入ってしまった明珠が、すよすよと健やかな寝息を立てている。

 上半身を龍翔の太ももの上に乗せ、安心しきった様子で無防備に眠る明珠は、見ているだけで龍翔まで幸せな気持ちになってくる。


 龍翔が明珠と過ごしていた時間を楽しんでいたのは否定しないが、明珠まで遊んでいたと思われては可哀想だ。


「わたしはともかく、明珠は寝入る前まで、季白に与えられた仕事に精を出していたぞ。お前を待たずに先に休めと言ったのだがな。自分だけ先に眠るのは申し訳ない。お前が帰ってくるのを待っていると……」


 思えば、ここ数日、賊の侵入で夜更けまで起きていたり、《堅盾族》の村や、乾晶の街へ出かけたりと、紅一点である明珠にとっては、強行軍だったに違いない。

 もっと気を遣ってやるべきだったかと、申し訳なく思う。


「へ~。明順チャンがオレを待つって? いや~、明順チャンに心配してもらえてたなんて、嬉しーっスね♪」


 安理が珍しく、素直に嬉しそうな顔を見せる。

 のはいいのだが、まじまじと明珠の寝顔をのぞきこんでいるのが、気に食わない。


 むろん、龍翔に言う資格がないのは重々承知している。が、それでもだ。


 前に明珠が、馬車で龍翔の腕を枕に寝こけた時は、前髪でうつむいた顔が隠れていたのでかまわなかったが……。


「寝ている娘の顔を、それほどまじまじ見るものではないだろう?」


 袖で明珠の寝顔を隠すと、安理が「ぶっひゃひゃっひゃ」と馬鹿笑いした。


「娘の、じゃなくで、明順チャンの、でしょー?」


「明順に限らず、年頃の娘の寝顔は、まじまじ見るものではないだろう」

「じゃ、そーゆーコトにしとくっス~♪」


 あっさり引いた安理が、次いで、龍翔をまじまじと見る。


「……で。龍翔サマは自覚してらっしゃるんスか?」


「? 何をだ?」


 安理は、ときおり謎かけのようなことを言う。

 尋ね返すと安理は無言で笑みを深めた。


「あ、気づいてらっしゃらないんならいーんス~♪」


 にへら、といつもの笑みを浮かべた安理が、


「いや~っ、龍翔サマにお仕えするのって、楽しいっスよね~! 最近、ますます楽しくなってきたっス!」


 と、どこまで本気なのかわからぬ顔で言う。

「龍翔サマにお仕えするって決めた過去のオレ、偉いっ!」


 自画自賛まで飛び出した安理をまともに相手する気になれず、龍翔は冷たく告げる。


「今夜はご苦労だったな。報告が済んだのなら、もう戻ってよいぞ。季白と張宇にも結果を教えてやれ」


「龍翔サマは、この後どーするんスか?」


「今宵はもう休むぞ。明順を寝台に寝かせたら。ああ、戻る前に、卓を少し引いて、隙間を空けてくれ」


 椅子に座ったまま明珠が眠ってしまったので、寝台に運ぶために抱き上げるには、卓が邪魔で困っていたところだ。


 無理矢理動かせないことはないが、大きな音を立てて、明珠を起こしてしまっては可哀想だ。


「はいは~い」

 と、卓を引いて十分な隙間を作った安理が、「で?」と、楽しくて仕方がないという表情で龍翔を見つめる。


寝台に連れていくんスか?」


「明順の寝台に決まっているだろうが、あまりふざけたことばかり言っていると、その口、本気で縫いとめるぞ」


 間髪入れずににらみつけると、安理はこたえた風もなく、


「え~っ。だって、龍翔サマの寝台なら、二人寝転んでも、余裕の広さじゃないっスか!」

 と言い返す。


 反射的に、「明順と同じようなことを言うなっ! 広さの問題ではない!」と言い返しかけたが、どうせ馬鹿笑いが返ってくるだけだろうと、口をつぐむ。


 龍翔が横抱きにしても、明珠はすよすよと寝入ったままだ。

 衝立ついたての向こう、明珠の寝台側へ運ぶと、なぜか安理もついてくる。


「ついてくるな」

 すげなく命じると、


「いや~、何かお手伝いできることであるかな~、と」

 言いながら、安理が掛け布団をめくる。


「靴、脱がせましょーか?」

「いや、いい。わたしがやる」


 寝台にそっと明珠を横たえ、靴を脱がす。服はお仕着せのままだが、こればかりはどうしようもない。


「戻るぞ。お前もさっさと下がれ」


 明珠に掛け布団をかけ、動こうとしない安理の腕を掴んで引くと、安理は「えーっ」と唇をとがらせる。


「オレは下がりますけど~。龍翔サマは、もうちょっと明順チャンをでてたらいーじゃないっスか~。……せっかく、お姿なんですし」


「ふざけるな。叩っ斬るぞ」 


 一瞬、本気で術をかけてやろうかと思ったが、騒ぐわけにはいかぬので、我慢する。


「さっさと出てゆけ。わたしはもう寝る。――むろん、わたしの寝台でな」


 強引に安理の腕を取り、衝立の向こうに連れ出す。


「えーっ! オレ、ちゃんと口をつぐむっスよ!?」

「なら今すぐつぐめ!」


 半ば蹴り出すように、安理を隣室へ追い払う。

 内扉を閉めた途端、どっと精神的な疲れを感じて、龍翔は深い溜息をついた。


 安理のことだ。龍翔をからかう絶好の種を見つけて、ここぞとばかりに、ふざけているのだろうが……。純朴な明珠に説明を求められたら、何と答えるつもりなのか。


 口の巧い安理のことだから、あることないこと話して、明珠を言いくるめてしまいそうだが。


 そこまで考え、そういえば乾晶への旅の初日、明珠と同室になることに決まったくだりは、安理は知らなかったな、と思い出す。


 最初はどうなることかと心配したが、幸い、明珠は不眠に陥ることなく、毎日、ちゃんと眠れているようだ。


 龍翔自身も、張宇や季白以外の他人と同室で、気を張ることなく眠れるとは、思いもよらなかった。

 ……別の意味で、気を遣いはするのだが。


 今では、健やかに眠る明珠の気配がある方が、よく眠れるような気さえする。


 夜着に着替えようとして、龍翔は一瞬、思い悩んだ。

 衝立があるとはいえ、ふだんなら隣室へ移動して着替えるのだが、また安理の相手をするのは面倒だ。明珠はよく眠っているし、今夜くらいはかまわぬだろうと、着物を脱ぎ始める。


 術を使わずに済んだこともあり、朝まで青年の姿を保っていられそうだ。

 というか。昼間の『鍛錬』以降、明珠から《気》を得ていない。


 それほど、あの時に明珠から得た《気》の量は多く――同時に、よく理性を失わずに済んだものだと、今更ながら胸をなでおろす。


 あと、ほんのわずかに天秤が傾けば、我を忘れて溺れてしまいそうになるほど、明珠は甘く、かぐわしかった。


 明珠のことだ。単純に、他意なく龍翔への忠節を示そうとしたのだろうが――懸命に紡がれた言葉のひとつひとつが、どれほど龍翔を喜ばせ、理性を揺さぶるのか、果たして明珠は気づいているのだろうか。


 仕える侍女に手を出すなどという下劣な行為など、絶対に御免だというのに。


 夜着を羽織り、帯を締めようとしたところで、衝立の向こうで、明珠がむにゃ、と何やら呟いた声が聞こえた。


 起こしてしまったのかと、龍翔は思わず動きを止めた。が。


「……順雪……。ごはんはしっかり……」


 もにゃもにゃと不明瞭な声が聞こえてきて、寝言かと苦笑する。きっと、実家の夢でもみているのだろう。


 弟を可愛がるあまり、明珠は自分より年下の者全般に甘いような気がする。


(さて……。明日は明珠が哀しむようなことにならねばよいが……)


 龍翔は、子どもだからといって賊を見逃してやる気など、まったくない。

 官邸の倉を破壊した術師には、ちゃんと罪を償わせなければならぬ。そうでなければ、治安は乱れるばかりだ。


 ただ、明珠の目の前で厳罰を下すことはやめておこうと、龍翔はひそかに決意した。


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