44 (幕間)右手に龍を。左手に砂を。


陽達ようたつ様、その……」

「ここでは、団長と呼べと言っているだろう?」


 日暮れ前、自警団詰所の団長用の部屋で、官邸から送られてきた書類を整理していた陽達は、扉から顔をのぞかせた部下の青年に思わず注意した。


 青年がばつが悪そうに、首をすくめる。

「も、申し訳ありません……」


 別に陽達とて、口うるさくしかる気はない。

 「陽達様」と呼ぶのは、砂波さは国にいた頃から仕えてくれている者ばかりだ。呼び間違いを注意はするものの、責める気など、まったく起こらない。


 辛い境遇を共に乗り越えてきた、大切な同胞なのだから。


「部外者がいるところで気をつけくれさえすればいい。で、何があった?」


 日暮れ間際の今は、そろそろ昼勤と夜勤のものの交代時間だ。

 陽達に問われた部下の青年は、遠慮がちに口を開く。


「その……。お父上からの、使いの方が……」


 陽達の父は、三年前に病で死んでいる。

 『父親からの使い』というのは……。


 陽達は思わず嘆息した。


「追い返すわけにもいかんしな……。わかった。通してくれ」


 部下に案内され、入ってきたのは、三十歳手前くらいの男・史傑しけつだった。


 龍華国風の着物を着ているが、砂漠の民らしい日によく焼けた顔は、見る者が見れば、砂波国の者だと、すぐに見抜くだろう。


 糸のように細い目が、抜け目のなさを感じさせる男だ。


 陽達が父と共に砂波国に移り住んだ頃からの古い付き合いだが……。未だに腹の底が読めない史傑のことを、陽達はあまり好きではない。

 あちらが陽達のことをどう思っているかは、聞いたことがないが、おそらく似たような感想だろう。


 だが、好きか嫌いかということと、手を組むかどうかということは別物だ。

 少なくとも、手を組む相手としては、史傑の能力は、信頼に値する。


「これはこれは。自警団の団長ともなると、これほど立派な部屋を与えられるんだねぇ」


 入ってきた史傑は、陽達の執務室になっている、自警団の詰所内でも一番立派な部屋を見ると、意外そうに唇を歪めた。糸のように細い目が、わずかに見開かれる。


「《護り手》を務めていた頃、《堅盾族》が使っていた詰め所を、そのまま使っているからな」


「《堅盾族》、ねえ……」

 そっけない陽達の返事に、史傑は薄い唇を歪める。


「尻尾を巻いて村に逃げ帰るとは、いったい何があったのやら。こちらにとっては、幸運この上ないが……。都合よく行き過ぎているのが、少々、気にかかるね。陽達殿の耳には、何か情報は入っていないかな?」


 史傑はわざとらしく、肩をすくめてみせる。


「これでも、諜報に関しては、砂波国一だと自負してるんだけどねぇ。さすがに、あの村だけは、閉鎖的過ぎて、情報が流れてこない」


「一番を気取っていられるのは、他に張り合う奴がいないからだろう?」


 陽達の言葉に、史傑は楽しそうに喉を鳴らした。


「人が進出していない手薄なところを狙うのも、出世の秘訣ひけつさ」


 砂波国では、お国柄なのか、権謀術数を得意とする者があまりいない。


 乾燥した厳しい風土が、根回ししても為るか為らぬかわからぬ謀略に労力を使うよりも、力づくで奪い、すぐに成果を手に入れた方が効率的だという価値観を養うゆえかもしれない。


 その中にあって、謀略でもって敵対者たちを蹴落とし、今の高い地位を気づいた史傑は、砂波国にあっては、異質な存在だ。


 そもそも、陽達が砂波国へ父と移住することになったのも、史傑の父が、陽達の父を取り込もうとしたのがきっかけだった。

 砂波国の宮廷では、史傑とその父親のことを、小細工ばかりろうする小心者よと、嘲る声も多い。


 だが、史傑と古いつきあいである陽達は、史傑が優れた術師であり、その気になれば、術師としての実力だけで、史傑を侮る者達を黙らせられることを知っている。


 だが、史傑は自分の実力を大っぴらに喧伝けんでんする気は、まったくないらしい。


「向こうがせっかく侮ってくれているのに、こちらから警戒させることはないだろう?」

 というのが、史傑の言だ。


 正当な評価を何より欲している陽達には理解できぬ考えだが、陽達にとっては、史傑が自分の大願をかなえるために役立ってくれれば、それでよい。


 史傑の方も、陽達を役に立つ道具くらいにしか考えていないだろう。

 その点では、お互いに認識が一致しているので、やりやすいともいえる。


「本当に、《堅盾族》についての情報は、何もないのかい?」


 史傑が細い目の奥に鋭い光を宿して、陽達を見つめる。

 陽達は広い肩をすくめてみせた。


「確かに、こちらが仕掛ける前に、村へひっこんだ《堅盾族》の動きは気にかかる。が……。なんせ、閉鎖的な村だからな。情報が洩れてくることは、まあ、ないだろう」


「……我が国を警戒して、《護り手》を村に戻しているということは?」


 す、と史傑の眼差しに冷たいものが宿る。

 陽達は大仰に驚いたふりをしてみせた。


「ほおっ、警戒せねばならんことを企んでいるのか」


 史傑の薄い唇に、歪んだ笑みが浮かぶ。


「滅相もない。せっかく、使える駒がいるというのに、それを放って出しゃばる気はないさ。うまく取り入っているんだろう? 副総督の、ていといったか」


「ああ、あの金の亡者」


 史傑に駒呼ばわりされた陽達は、顔をしかめて吐き捨てた。

 貞を陽達に紹介したのは、史傑の手の者だ。

 陽達は侮蔑を隠さず吐き捨てる。


「あんな男でも副総督になれるとは、龍華国の官僚は、ますます堕落したな。やはり、親父には先見の明があった」


 陽達は龍華国より砂波国の方が優れているとは、欠片も思っていない。


 だが、そうとでも言わねば、砂波国についたがゆえに、地位を追われ、不遇のまま病に没した父親が、あまりに哀れだ。


 正直、陽達は、龍華国も砂波国も、どちらがどうなろうと、構わない。


 陽達が欲しているのは、ただ一つだけだ。そのためならば、利用できるものは、何だって利用してやる。


 いや……手に入れたいものは、昨日、もう一つ増えた。


「お褒めいただき、光栄だね」


 史傑の笑い声に、陽達は目の前の食えない男に視線を戻す。言葉とは裏腹に、史傑は欠片も嬉しいと思っていない様子だ。


「しかし、あんな俗物のために、わざわざ俺が自ら手を下す必要があったのか? あんな奴が大金を得るために働かされるなど……。虫唾むしずが走る」


「おやおや。恨みある総督官邸に痛手を与えられて、少しは憂さ晴らしできたんじゃないのかい?」


 からかうように告げた史傑を、陽達は刺すような視線で睨みつける。


「黙れ。お前を今すぐ、壊した倉みたいにしてやってもいいんだぞ?」


 少なくとも、術師としての実力で史傑に劣るとは、陽達はまったく思わない。

 史傑は「おお、怖い怖い」とわざとらしく身を縮めた。


「人は一度、共犯者だと思えば、相手を疑わなくなるものさ。現に、きみが砂波国とも通じているなんて、貞は想像もしていないだろう?」


「まあな。だが……自分の方が上だと思って、あれこれ口やかましく指図してくるのは苛立たしい」


 そのうち、あのいけすかない澄まし顔を殴ってしまいそうだ。

 陽達のしかめた顔が面白かったのか、史傑が笑い声を立てる。


「せいぜい、いい気にさせておけばいいさ。そちらの方が、今の地位が泡沫うたかたのように消えた時の顔が、見物みものだろう?」


「俺はお前と違って、そこまで悪趣味じゃない」

 すげなく告げると、史傑がもう一度笑う。


「お前のその性格も、疑念を払拭する一つなんだろう。顔を見れば「何を企んでいる」と疑われるばかりの俺には、うらやましい話だ」


「それは、自業自得だろう」

 陽達はすげなく断じる。


「いやあ、これは手厳しい。やはり、部下に慕われる団長殿は、言うことが違うね。で、その団長様が……」


 ぎらり、と刃のような史傑の視線が、陽達を貫く。


「部下に内緒で町のあちこちで聞き込みしているのは、どういうわけかな?」


「っ!?」


 陽達は、かろうじて声を噛み殺す。

 だが、反射的に顔が強張ってしまったのは、隠しようがない。


 史傑の言う通り、確かに、陽達は明珠と会ったその日から、彼女の行方を追おうと、足を棒にして乾晶の町中を駆けずり回っていた。


 「明珠」という名前も、仕えていた少年の名前も知っている。おそらく、裕福な商家の侍女として仕えているだろうことも。

 侍女の身であんな華やかな着物を買える大きな商家は、この乾晶でも限られている。


 最初、陽達はすぐに明珠を見つけられると思っていた。

 だからこそ、安理とかいう輩が現れた時、大人しく手を引いたのだが。


 ……寝る間も惜しんで乾晶の町を駆けずり回っても、明珠の行方は、ようとして知れない。

 まるで、陽達が出逢った少女は、陽達の渇望が見せた幻だと言わんばかりに。


 こんなことになるなら、あの時、手足がもげてでも、明珠を追っておくのだった。今さら、悔やんでも悔やみきれない。


「何か気になることがあるのなら、ぜひとも相談してくれよ? 砂郭さかくでも乾晶でも、それなりの情報網を持っているからね。きみの役に立つためなら、喜んで使おう」


 親切めかして告げる史傑の顔を、殴りたい衝動を、かろうじてこらえる。

 詰所の誰かから、陽達の様子がおかしいことを聞いたのだろうか。


 だが、明珠のことは、決して史傑に知られるわけにはいかない。


 知られたら最後、史傑は陽達に対する切り札として、明珠を探し出し、必要とあらば、躊躇ためらわずに使うだろう。こいつは、そういう男だ。


 陽達は必死で頭を巡らせる。

 史傑のことだ。適当な嘘をでっちあげても通じぬだろう。ならば。


「……貞に、秘密裏に人探しを頼まれている」


 陽達は、しぶしぶと言った様子で、史傑に告げる。


「貞に? きみが貞にそれほど忠実だったとはね」

 史傑の揶揄やゆは綺麗に無視し、陽達は唇を歪める。


「そりゃあ、熱心にもなるさ。官邸襲撃の術師を探しているとくればな」


 肩をすくめ、陽達は横目で史傑を見やる。


「三日前、総督官邸に賊が忍び込んだのは、お前の耳にはとうに入っているだろう?」


「ああ。特に被害は出なかったと聞いているがね。実際のところは、どうなんだい?」


「オレが貞に聞いたところでも、特にこれといった被害はなかったらしい。が……」


 陽達はにやりと唇を吊り上げる。


「大切なのは、官邸に押し入った者がいる、という事実だ」


「なるほど。身代わりとしてはうってつけだな。まさか、それぞれ別の賊が官邸に忍び込んでいたなどと考える者は、まずいるまい」


 史傑が楽しげに喉を鳴らす。


「二度目の賊も、術師だそうだ。二人組らしい。もちろん、部下達に探させてはいるが……。なにぶん、相手が術師となると、オレ自身が出た方が早いだろう。逃げられては、目も当てられん」


「なるほど。……まあ、部下ではな」


 史傑が得心がいったように頷く。陽達は真っ直ぐに史傑を見つめた。


「もしお前が掴んでいる術師の情報があるのなら、ぜひとも回してほしい。官邸の警備兵の話では、賊の一人は小柄だったそうだ。まだ年若いか……女という可能性もある」


 明珠は「術師として名乗れるほどの腕は……」と言っていたが、何しろ、術師は数が少ない。

 ましてや、若くて可憐な術師であれば、目立つ。史傑の情報網に引っかかってくる可能性は十分にある。


 明珠も、貞に依頼された賊も、両方居所を掴むことができれば、万々歳だ。

 さすがの史傑も、今の情報だけでは、陽達の真意までは読めぬだろう。


「なるほど……。きみが捕らえられて困るのはこちらも同じ。なんせ、きみにはあれこれと、働いてもらわなければならないからねぇ」


 細い目を糸のようにし、史傑は楽しそうに笑う。


「わかった。きみが望む情報は、まとめてすぐに……。そうだな。明日の朝にでも届けよう」


「ああ、助かる」

「今後のためと思えば、恩を売っておくのも楽しいものさ」


 史傑が唇を吊り上げ、あっさりと内情をぶちまける。

 お互いに相手を利用していると自覚する二人は、視線を合わせて頷き合った。


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