7 明日で旅路も終わりです? その2


「ああ、さすがにお前でも、堅盾族けんじゅんぞくについては知っていましたか」


 余計なことを口にするなとばかりに季白に鋭く睨みつけられて、明珠は身を縮めて謝罪した。

「す、すみません。お話の腰を負ってしまいまして……」


「いいえ。堅盾族といえば、物語にもなっているほどですからねえ」

 主人は気を悪くした様子もなく、穏やかに笑って頷く。


 世事にうとい明珠でも、《堅盾族けんじゅんぞく》について知っているのは、昔、術師であった母に習ったことがあるからだ。


 堅盾族の者は、《晶盾蟲しょうじゅんちゅう》と呼ばれる蟲を使役し、戦いの際に身を守るのだという。

 

《晶盾蟲》は名の通り、水晶のように透き通った堅い羽を持つ蟲で、合わせて十寸近い長さになる大きな二対の羽は、刃を通さぬ盾の役目を果たすらしい。その強度は、《盾蟲》よりさらに堅いのだとか。

 堅盾族の男性は皆、左腕の上腕部に晶盾蟲をしまった木筒をつけて、戦いに赴くと聞いている。


 だが、何より特筆すべきなのは、《晶盾蟲》は術師によって召喚された蟲ではなく、この世界に根づき、生きている蟲だという点だ。


 ふつう、術師が使役する蟲は、呪文によってこの世に喚び出されるため、一時しか存在できない。


 だが、《晶盾蟲》はいつの頃からかこの世界でみはじめ、しかも繁殖にまで成功している。そのため、術師の才を持たぬ常人でも扱い、姿を見ることができるという、非常に珍しい蟲だ。


 《晶盾蟲》がこの世界に留まった話は民話にもなっており、それはそのまま、晶盾蟲を操る堅盾族の由来にもなっている。また、堅盾族にしか扱えぬという点でも、晶盾蟲は非常に珍しい。


 民話によると、昔、砂漠の向こうから襲い来る異民族から、己の一族を守ろうとした青年が、《晶盾蟲》の女王蟲と、繁殖に必要な場所を提供する代わりに、晶盾蟲の力を得る盟約を交わしたらしいが……。


 母から教えてもらい、いつか見てみたいと思っていた堅盾族が、まさか乾晶けんしょうの近くに住んでいるとは。予想もしていなかった。


堅盾けんじゅん族! 幼い頃、おとぎ話で聞きましたっ」


 十歳くらいの姿相応の、子どもらしく表情を輝かせて、英翔が口を開く。いかにも愛らしい表情に、実家に残してきた最愛の弟、順雪を思い出し、明珠の胸がきゅんとする。


 それは、宿の主人も同じだったらしい。孫でも見るように相好を崩した主人が、大きく頷く。


「そうでしょう、堅盾族のおとぎ話は、有名ですからねえ。きっと、乾晶へ行けば、本物の堅盾族にも会えますよ。彼らは、乾晶の守りを担っていますから」

 と、主人の表情がくもる。


「どうかしましたか?」

 と水を向けた季白に、主人は暗い顔のまま、口を開いた。


「いえ……。官邸を襲った賊は、一カ月以上経った今でも、いまだに捕まっていないのですが……。賊が堅盾族ではないかという噂も流れておりまして……」


「それは不穏な噂ですね」

 季白が同情するように頷く。だが、態度とは裏腹に、切れ長の目に浮かぶ光は、冷ややかだ。


「乾晶を守るべき盾が刃と化して手向かうなど……。あってはならぬことです」


「本当に……。ですが、官邸の襲撃以降、治安が不安定とはいえ、死者が出るほどの騒動は起こっていないようですし、王都からの軍も来てくださいましたし。すぐに落ち着くことでしょう」

 主人が期待に満ちた様子で告げる。


「王都からの軍といいますと、そういえば、町に入る手前にあった橋が、ずいぶん新しいように感じたのですが」

 季白の言葉に、主人は「そうなんですよ!」と嬉しそうに頷く。


「一カ月半ほど前でしょうか。この辺りでは珍しく、大きな地震がございまして。もともと、かなり古い橋で、そろそろ修繕をしなければと町の寄合よりあいでも話していたところに地震が起こってしまい、支柱が何本かかしいでしまったんです」


 主人は当時のことを思い出したのか、深い溜息を吐き出す。


「通ることはできるものの、やはり危ないですから、早く修理せねばと町の寄合で決定したその日に総督官邸の襲撃が起こり、この付近の人足が、すべてそちらに取られてしまい……。困っていたところに、王都から派遣された軍が到着なさいまして」

 感情を抑えきれないとばかりに、主人がぽんと膝を打つ。


「指揮してらっしゃるのは第二皇子様だそうですが、「急行せねばならぬほどの混乱が乾晶で起こっていないのなら、民の生活を守ることも軍の役目である」とおっしゃったそうで! わざわざ、駐留してくださって、橋をすっかり新しく架け直してくださったんですよ!」


 軍の役目は戦や反乱で戦うことだけではない。平時は工兵として、道路の補修や新設、堤防の建設なども行ったりする。駐留する宿営地も自分達で築くので、軍に所属すれば、必ず武器の訓練と工事の基礎を叩きこまれる。


 ただ、地方の小さな町のために、わざわざ軍が留まって橋を架け直すのは、乾晶へ通じる街道は主要街道の一つとはいえ、非常にまれだ。

 ここ十日間の旅の間に季白に叩き込まれた知識によって、明珠は宿の主人がこれほど喜んでいる理由を推察する。


「いやー、第二皇子だなんて、雲の上の高貴な方がいらっしゃるというから、途中の町や村でどんな無理難題をふっかけてくるのかとびくびくしておりましたが、まさか、無償で橋を架け直してくださるとは! 高貴なお方は、度量も広くていらっしゃる!」


 笑顔で第二皇子を褒めたたえる主人に、季白もにこやかに微笑みかける。


「第二皇子の龍翔様は、皇子様方の中でも特に、民のことをよくお考えなさっているという話を、わたしも王都でよく耳にしております。素晴らしい方が来てくださいましたね」


「ぶっ、く! げほっ、げほっ」

 吹き出しそうになったのを、何とかこらえようとしたのだろう。大きな手で口元を押さえた張宇が、苦しそうに咳き込む。


 本人を目の前にして、素知らぬ風で龍翔を賛美する季白の神経の太さには恐れ入る。

 明珠がちらりと英翔を見ると、英翔は突然、酸っぱいものを口の中に突っ込まれたように、愛らしい顔をしかめていた。


「龍翔様の素晴らし――」

 なおも龍翔を持ち上げようとする季白に、英翔がにこやかに微笑んで、手近な皿を差し出す。


「ご主人様。こちらの椎茸しいたけの肉詰めはいかがですか? 肉厚の椎茸で、絶品ですよ。――お好きでしょう? 椎茸」


 口調は恭しく、唇は笑みの形を刻んでいるが、目が笑っていない。


 よりによって、季白が苦手な椎茸を勧めるところに、英翔の苛立ちが垣間見える。いつもの英翔なら、「黙れ。張宇の蜂蜜を突っ込むぞ」と吐き捨てているところだろう。


「主人思いですね。せっかくですから、一つもらいましょう」

 穏やかに微笑んだ季白が、椎茸の肉詰めに箸を伸ばす。


 洗練された所作で口へ運ぶが――。季白に注目していた明珠は、気づいてしまった。

 一口食べたとたん、季白の眉間にかすかにしわが寄ったのを。


 椎茸を食べ終えた季白が、主人に丁寧に頭を下げる。

「色々と興味深い話を聞かせていただき、ありがとうございました」


「いえいえ、この程度のこと。わたしめでお役に立てることがあれば、何なりとお申しつけください」

 深々と頭を下げた主人が、「ところで」と気遣うような視線を季白に向ける、


「御酒は不要だとうかがいましたが、本当によろしいので? 今からでもご用意いたしますが」


「ああ、情けないことにわたしは下戸でしてね。酒より、料理を楽しむ方がいいのです。お気遣いなく」

 椎茸の後味を消そうとしているのだろうか。ごくごくと茶を飲んで、季白が笑う。


「そうでございますか。では、ごゆっくり食事をお楽しみください」

 頃合いと見たのだろう。椅子から立ち上がった主人が深々と一礼して、侍女とともに部屋を出て行く。


 蚕家にいた時と同じで、護衛の任を果たすために、季白も張宇も旅の間、一滴も酒を飲んでいない。

 酒びたりの義父を知っている明珠は一度、酒を飲まなくてもつらくないのかと張宇に聞いたが、張宇からは、


「俺も季白も酒は嫌いじゃないが……。たしなむ程度かな。俺はむしろ、甘味の方が好きだしな。何より、酒に酔って感覚が鈍ったところを、刺客に襲われる方が怖い」

 という答えが返ってきた。


 命の危険を常に警戒しなければならないなんて、英翔の境遇はなんと過酷なのだろうと思う。

 だが、英翔は身を縮めて怯えるどころか、常に泰然としている。その精神の強靭さには、驚嘆するばかりだ。


 宿の主人と侍女が部屋を出、四人だけになったところで、季白が口を開く。


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