7 明日で旅路も終わりです? その1


乾晶けんしょうは、龍華国の北西地域の中でも、重要度の高い街です。更に北の異民族への守りの要であるというのはもちろん、砂漠を横断する交易路の出発点でもあり……、明順! 聞いていますか!?」


「は、はいっ!」

 定規で線を引いたような季白の声に、明珠はあわてて背筋を伸ばす。


「すみません、その……」

 隣に座る英翔に、ちらりと視線を向ける。


 英翔は今は少年姿だ。先ほどからずっと、窓の外、馬車の進む先を熱心に見つめている。


「どうかなさいましたか?」

 明珠に対するのとはうって変わって恭しく、季白が英翔に尋ねる。


 開けた馬車の窓からは夕暮れの柔らかな光が差し込んでいた。空も道も畑も、すべてが薄紅に染め上げられていて、美しい絵画のようだ。


 西北地方は乾燥している気候のため、道の両側に広がるのは、水田ではなく畑ばかりだ。穏やかに吹く風に乗って、がらがらとにぎやかな車輪の音と、耕した土の匂いもかすかに届く。それと。


「……川のせせらぎ、ですか?」

潤晶じゅんしょう川だ」

 明珠の呟きに、英翔が答えてくれる。季白の眼差しが鋭くなった。


「昨日、説明したばかりでしょう? 乾燥した西北地域において、潤晶川は非常に重要な川です。堅盾けんじゅんの地の湧き水に端を発し、乾晶の街中を流れる潤晶川は、生活用水のみならず、物品の運搬にも重要な役目を負い……」


「この先にかかっている橋だが、やけに新しいと思わないか?」

 とうとうと続く季白の説明を英翔が遮る。英翔の言葉に、季白も窓から顔を出し、行く手を確認した。


「おっしゃる通りですね。確かに真新しい。まもなく橋を渡った先の町に着きますので、確認してみましょう」


 話している間に、張宇が操る馬車は橋を渡り、町の中へと入っていく。

 渡る際に間近で見た橋は、英翔の言葉通り、造られたばかりらしかった。地方の町にしては立派な造りで、まだ木の匂いが漂ってくるほどだ。


 馬車の旅を始めて、すでに十日が経つ。


 季白の説明によると、明日には乾晶の街へ着くらしい。急ぐ旅だが、夜道を護衛もつけずに立派な馬車で走るなど、夜盗に襲ってくれと言っているのも同義なので、今夜は一つ手前の街で宿を取る予定になっている。


 馬車が町の中心部にある大きな宿の前で停まる。さほど大きな町ではないため、高級宿というわけにはいかないが、おそらくこの町の中では、最も大きな宿だろう。


 いつもの通り、張宇が記帳し、従者役の明珠と英翔は宿の下男に指示して、宿泊に必要な荷物を客室へ運び入れる。部屋はこれまたいつも通り、隣同士の二部屋だ。ただ、今夜の宿は二部屋の間に内扉はない。


 季白と張宇の部屋の方が広いため、そちらで食事をとることになる。


 季白の服装や立派な馬車を見て、上客だと判断したのだろう。食事を運んできた侍女とともに宿の主人までやってきて、手ずから給仕をしてくれる。


「これはこれは。ご主人自らとは恐れ入ります」

 すっかり主人役が板についている季白が礼を述べ、六人掛けの卓の空いている席を指し示す。


「ところで、ご主人にうかがいたいことがあるのですが」


「はい、なんでございましょう?」

 失礼いたしますと断って、空いた椅子に座った中年の主人が、季白を見る。


「王都では、乾晶で反乱が起こったという噂が流れていたのですが……。わたしは商用で乾晶へ向かうのですが、反乱とは不穏だと、道中、気にかかっておりまして。ですが、こうして乾晶のそばまで来ても、穏やかな様子。実際のところ、反乱はどうなっているのでしょうか?」


 切れ長の目を伏せ、さも気がかりだという様子で季白が尋ねる。


 反乱が起こったというのに、それらしい情報や、不穏な情勢が伝わってこない、というのは、旅の途中、季白がよくこぼしていた疑問だ。


 王都から鎮圧のための軍が出動するほどなら、道中、さまざまな情報が入ってくるはずだと。

 だというのに、反乱が広まったという話も、軍が交戦したという話も流れてこない。


 季白の問いに、宿の主人は「聞いた話では……」と口を開く。


「一カ月ほど前になりますが、賊が乾晶の総督官邸を打ち壊して押し入ったという話を聞いております。幸い、総督ご自身には怪我はなく、警備で何人かの重傷者が出た程度だとか。しかし、乾晶はこの辺りでは最大の街。しかも、総督官邸を襲撃するなど、ただごとではありません。そこで、事態を重くお見た総督の範様が、王都へ軍の派遣を要請したそうです」


「総督官邸を襲撃、ですか。それは大事ですね」

 食事の手を止め返した季白に、主人は大きく頷く。


「それはもう。襲撃された当初は、大騒ぎでございました。乾晶は商業の街。国境沿いとはいえ、近くに住む堅盾けんじゅん族の守りもあり、ここ十数年は異民族の襲撃や、他国の侵攻を受けたこともなく、平和でございましたから……」


堅盾けんじゅん族がこの近くに住んでいるんですか!?」


 主人の説明に、聞き耳を立てつつおとなしくご飯を食べていた明珠は、思わず声を上げた。

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