7 明日で旅路も終わりです? その3


「反乱が起こったと王都に軍の派遣を求めながら、その後、反乱らしい気配がまったくないとは……。これはやはり、罠と見るべきですかね」


「王都を出て、三日も行かぬ内に襲撃されたのだ。敵としては、そこで決着をつける気だったのだろうが……。さて、あと幾つ仕掛けられているか」

 はんっ、と英翔が忌々しげに鼻を鳴らす。


「罠、ですか?」

 わけがわからず首をかしげた明珠に、季白が呆れ切った視線を向ける。


「英翔様のお命を絶つための罠ですよ。そんなこともわからぬのですか」

 季白の厳しい声音に、身をすくめる。


「皇帝陛下もおわす王城は、さすがに国中で一番警備が厳重ですからね。王城で英翔様を害すれば、誰か高位の者が手引きしたと言いふらすようなもの。その点、王都から出れば、いかに軍がそばにいようとも、暗殺できる機会は、王城の時より、格段に多くなります。――現に、襲撃されましたからね」


 季白の静かな声音に、敵の術師に襲われ、禁呪をかけられた時のことを思い出したのだろう。明珠は、卓の下で英翔の左手が固く握り締められたのに気づく。


「だが、王都に援軍を要請するなど、自分の無能さを露呈ろていするようなものだぞ。よく乾晶の総督がすぐに要請を発したな」

 張宇が疑問を口にする。


 季白に教えてもらったところによると、異民族や他国の襲撃が懸念されるような国境付近の街には、たいてい常備軍も駐屯しているらしい。軍の規模は、町によって異なるらしいが。


 つまり、援軍を要請するということは、自分の手持ちの戦力ではどうにもならなかったと白旗を上げるようなものだ。当然ながら、その後の出世にも響くらしい。

 張宇の言葉に、季白が考え深げに眉を寄せる。


「乾晶の現総督ははん 宋融そうゆう殿。派閥としては、第三皇子派です。第一皇子にしろ、第三皇子にしろ、互いが互いを――特に、強い《龍》のお力を持つ龍翔様が邪魔であることは明白。龍翔様を亡き者にする策に協力すれば、たとえ一時的に皇帝陛下の不興を買おうとも、次代でそれを補って余りある栄誉を与えると約束すれば、甘言に乗る者はいくらでも現れるでしょう。皇帝にさえなれば、地方総督の一人や二人、好きに引き上げられますからね。約束した方は、自派が次代の皇帝を擁立ようりつすると疑ってもいないでしょうし」


「だが、英翔様を乾晶に派遣させるよう執拗しつように迫ったのは、第一皇子派だぞ。矛盾するだろう?」

 疑問を口にしたのは張宇だ。季白の切れ長の目に、氷のようなあざけりが浮かぶ。


「第一皇子派は、絶対に英翔様を『昇龍の儀式』に参加させたくなかったでしょうからね。今年もまた、英翔様の喚び出した《龍》の方が、第一皇子が喚び出す《龍》よりも大きく立派だったら、立つ瀬がありませんから。第一皇子の龍耀りゅうよう様も、生母の瓓妃らんひ様も、ともに去年も怒り狂っていましたからね」


 張宇が仕方がない、と苦笑する。


「まあ、『昇龍の儀式』といえば、皇族が民の前で《龍》を披露する数少ない機会だからな。《龍》が立派であればあるほど、民の人気も高くなる。第一皇子派が龍翔様を参加させるまいと画策するのも無理はない。毎年、龍翔様の《龍》の方が、明らかに龍耀りゅうよう様のより立派だからなあ」


「第三皇子の龍誠りゅうせい様はまだ成人なさっていませんから、実質、英翔様と龍耀様の競い合いのようなものですからね。――最初から、勝敗は歴然としていますが」


 英翔の政敵である第一皇子について語る時の季白は、聞いている明珠の背が凍えそうになるほど、冷ややかだ。


 明珠は『昇龍の儀式』をこの目で見た経験はないが、華やかな儀式の陰で、苛烈な政争が繰り広げられているなど、今まで、想像もしたことがなかった。

 しかも、大切な『昇龍の儀式』に出られないよう、地方へ追いやられた上に、その途上で殺されかけるなんて。


 いったい、英翔はどんな気持ちで季白と張宇の会話を聞いているのだろう。


 不安になって、そっと隣に座る英翔をうかがうと、まるで明珠の心を読んだかのように、こちらを振り向いた英翔と目が合った。

 かたりと箸を置いた英翔が、明珠の左手を握り、苦笑する。


「そんな顔をするな。わたしなら大丈夫だ」

「そんな顔、って……?」


 自分が今、どんな表情をしているかなんて、わからない。

 英翔が安心させるように、握った手に力をこめる。


「派遣軍の指揮をるよう陛下に申し渡された時から、今年の『昇龍の儀式』には出られぬと承知していた。そのことを悔しいと感じ、怒らなかったといえば嘘になる。だが……」


 不意に、英翔の指が器用に動き、明珠の指を絡めとる。


「今年の『昇龍の祭り』も悪くはなかったぞ? 禁呪を解く方法がわかったし、何より……」

 明珠の手を持ち上げた英翔が、悪戯っぽく微笑む。


「お前の愛らしい姿が見られたからな。それほど悪くはなかったぞ?」

 指先にくちづけられ、悲鳴が飛び出す。


「ひゃっ!? 何をなさるんですか!?」


 いくら、少年姿ならなごむとはいえ、くちづけは反則だ。

 しかも、季白と張宇の前だというのに、恥ずかしすぎる。


「あ、愛らしいって……。英翔様の方が、よっぽどお可愛らしいお顔なのに、何をおっしゃっているんですか!?」


 手を振りほどこうとしたのに、不満そうに唇をとがらせた英翔が、絡めた指先に力を込める。


「前にも言ったが、愛らしいと言われて喜ぶ男がいるか。愛らしかったのはお前だろう? 顔を真っ赤にして初々しく――」


「わ――――っ!!」


 あわてて、空いている右手で英翔の口をふさぐ。

 何を暴露するつもりなのか、この方は。


 『昇龍の祭り』の日といえば、初めて英翔とく、くくく……。

 駄目だ。恥ずかしすぎて頭が爆発しそうだ。


 だというのに、英翔は空いている左手で、口元を押さえる明珠の手首を掴む。そして。


「ひゃああっ!? ちょっ、英翔様!?」

 手のひらの中心に柔らかいものがふれ、すっとんきょうな悲鳴が飛び出す。

 明珠の手のひらに口元と鼻を隠された顔の中で、英翔の黒曜石の瞳が、楽し気に輝いている。


「すまん。お前の反応があまりに楽しいので、つい」

「つい、じゃありませんっ! おめやください!」


 苦笑した英翔が、両の手を緩めた途端、小さな手を振り払い、自分の胸元で庇うように固く握り締める。


 顔も手も、燃えているように熱い。

 恥ずかしさのあまり、目尻に涙がにじむ。


 ぼやけた視界の中で、張宇が気まずそうに視線を逸らせているのと、季白が苦手なしいたけを食べさせられた時よりも、さらに顔をしかめているのが見える。


「……すまん。からかいすぎたな」

 申し訳なさそうに謝罪した英翔が、こほんと咳払いし、季白と張宇に向き直る。


「宿の主人の話で、乾晶での反乱は、わたしを王都から誘い出すための策だろうと推測できたが、それが第一皇子派と第三皇子派、どちらが画策したのかは、今の時点では何とも言えんな」

 英翔が少年の顔に似合わぬ皮肉げな様子で、唇を歪める。


「最悪、両派閥が手を組んだ罠という可能性もある。これ以上の調査は、乾晶の街へ着いてからだな。明日には、先行している軍にようやく追いつける」

 英翔の言葉に、季白と張宇があらたまった表情で頷く。


「しかし、反乱の報告が偽装だとすると、厄介なことになりますね……」

 季白が苦い顔で呟く。


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