2 今夜は、誰と……? その2
「おいっ!?」
声を荒げ、思わず季白を睨みつける。
「ふざけるなっ! 明珠と同室など……!」
英翔に睨みつけられても、季白の冷徹な表情は動かない。
「英翔様。今は明珠ではありません。『明順』です。従者一人に宿の一室を与えるなど、誰がどう見ても不審を招く事態です。ちなみに、わたくしは、張宇と同室で、隣の部屋で休みますので」
淡々と季白が告げることは、もっともだ。
主人役の季白が張宇と同室だというのに、従者の明珠が一人で部屋を使うなど、常識で考えてありえない。
「英翔様がお嫌でしたら、英翔様と張宇を同室にし、わたしと明珠が同室でもかまいせんが」
涼しい顔で、季白がとんでもないことをのたまう。聞いた瞬間、思わず卓を両手で叩いていた。
「認められるかっ! そんなことっ!」
ふれた食器同士が、かしゃんと耳障りな音を立てる。その音が、激昂した英翔を我に返らせた。
いつもの自分なら、感情に任せて季白の提案を退けたりなど、しない。たとえ英翔が不快に思う内容であろうと、季白が提案するからには、提案せねばならないだけの理由があると、知っているからだ。季白に対する信頼の表れでもある。だが。
今の自分は、感情だけで怒鳴ってしまった。
その感情の出どころもわからぬまま――ただただ、許せない、と。
一つ深く吐息して、自制心を奮い立たせる。
「……誰と同室がいいかなど、我々で決めるものではないだろう。寝る時は、男どもが一部屋に移動してもいいではないか。まずは、明珠の意思を確認して……」
明珠を振り返った英翔は、明珠が真っ赤な顔で黙り込んでいるのに気がついた。唇がわなわなと震えている。
当然だ。年頃の娘が、突然、異性と同室になれと言われて、一番困惑しているのは明珠だろう。
「明珠……。嫌ならやはり、お前に一部屋をとろう」
言いかけた英翔は、明珠の視線とぶつかって、言葉を飲みこんだ。真っ赤に頬を染めた明珠が、瞳を潤ませ、上目遣いに英翔を見つめている。
「あのっ、同室って、それって……」
明珠の桜色の唇が、わなわなと震えながら言葉を紡ぐ
「そ、それって……。赤ちゃんが生まれちゃったりしませんか……?」
「「ぶっ!!」」
英翔と張宇が吹く。
口に食べ物が入っていた張宇は、可哀想なくらいの咳き込みようだ。
唯一、涼しい顔をしている季白が、優雅に茶の器を傾けた。
「まあ、可能性がないとは言いきれませんが――」
「季白、黙ってろっ!!」
大皿を季白にぶん投げてやりたい衝動を理性で抑え込み、明珠に向き直る。今は季白などにかまっていられない。それより明珠だ。
「明珠! わたしはお前に無理矢理そういうことをする気はないぞっ!?」
「……そういうこと、ですか?」
きょとんと無邪気な目で小首を傾げられ、頭が真っ白になる。
どういうことか説明しろとっ!?
「えほっ、おほっ! あー、明珠。その……」
ようやく咳き込みを抑えた張宇が、困り切った顔で口を開く。
「ちょっと確認したいんだが、その……。もしかして、男女が同じ部屋に泊まったら赤ん坊が生まれるものだとか、思ってないよ、な?」
「えっ!? 違うんですか!?」
びっくり仰天、といった様子で目を見開く明珠に、へなへなと腰がくだけそうになる。
「そんなわけないだろうがっ! それで赤ん坊が生まれたら、世の中、赤ん坊だらけだ!」
思わず荒い声で言うと、明珠が困ったように眉を寄せた。
「でも……。結婚したてのご夫婦は、同じ部屋で寝るんですよね?」
「明珠だって、実家にいた頃は、父親や順雪と一緒に寝ていたって、前に話していただろう?」
やんわりと、張宇が明珠の誤解を指摘する。
と、明珠がもう一度、きょとんと首をかしげた。
「そうですけど、赤ちゃんが生まれるわけないじゃないですか。だって。弟と父親なんですから。夫婦じゃありませんもん」
だめだこれ。
どっ、と気を失いたくなるような疲労が英翔を襲う。
どうやら、十七歳にもなって、明珠には夫婦の営みに関しての基本的な知識がまったくないらしい。
十二歳で母を亡くしたと言っていたから、ふつうなら、母から嫁入り前の娘へと、授けられる知識を得る機会を失ったのだろうが……。それにしても、無知すぎる。たいてい、早熟な友人などからそれとなく吹き込まれそうなものだが。
おそらく、本当に夫婦が同じ部屋で「寝る」だけだと信じているに違いない。
が、男三人のこの中の誰が、この場で明珠の誤解を解けるというのか。
深くふかく――海よりも深い溜息をついて、英翔は気力を振り絞って口を開く。
「明珠。誤解しているようだから言っておくが……。たとえ夫婦といえど、同じ部屋に泊まったからといって、赤ん坊が生まれるわけではないぞ? 夫婦に限らず、年頃の男女でも、だ。赤ん坊を授かるにはその……。特別な儀式が必要なんだ」
「特別な儀式……?」
あ、だめだ。
この反応は、本気でわかっていない。
きょと、とつぶらな瞳で小首を傾げた明珠に、泣きたいような気持になる。
が、ここでもたついて、明珠に「特別な儀式って何ですか?」などと問われるのは断固として避けたい。
短く息を継いで、早口に続ける。
「だから、赤ん坊云々の心配は、まったく、全然、気にしなくていい!」
視界の端で、なぜか季白が顔をしかめたのが見えた。が、今はかまう余裕などない。
「ただ、着替えだのなんだのと、気を使うことは山ほどあるだろうから……。一人部屋にするか、わたし……ああ、別に季白でも張宇でもいい。わたし達の誰かと同室にするか……。明珠、お前が決めろ」
口では言いつつ、もし季白か張宇を選んだら、横暴と言われようと、問答無用で一人部屋にする気だが。
三人の視線が、明珠に集まる。明珠は眉を下げて困り顔だ。
英翔は、何だが胃が痛くなってきた。ついさっき食べた料理が、胃の中で消化不良を起こしている気がする。
「私だけで部屋を取るなんて、そんなもったいないこと、できません!」
つつましい明珠らしく、まず、一人部屋が却下される。
そして。
「そ、その……。同室になるなら、ご迷惑かもしれませんけど、少年姿の英翔様がいいです! 順雪と泊まるんだと思えば、大丈夫だと思います!」
困り顔のまま、しかし、きっぱりと明珠が告げる。
少年姿の英翔様。
選ばれたことを喜べばいいのか、哀しめばいいのか、今の英翔には判断がつかない。
ただ一つ確かなことは、明珠の信頼を裏切る気は、欠片もないということだ。
「では、わたしと明珠が、季白と張宇が同室ということでよいな」
「かしこまりました」
一人だけ、涼しい顔で頷く季白に、どうにも腹立たしさが抑えられない。が、ここで当たっても詮無いと、理性はちゃんと理解している。
むしろ、これ以上、突っ込んだ話をして、明珠に余計な質問をされたくない。
一つ吐息して、英翔は今は不要な感情を押さえこんだ。
今夜から、自分は安らかに眠れるのだろうかと、いささかの不安を覚えながら。
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