12 これも大事なお仕事です! その4
「さっき聞いていた通り、この後、街の有力者達から挨拶を受けることになっていてな。だが、言葉通り、挨拶だけで済むはずがない。おそらく、夕方近くまで、昼食にすら戻ってこれんだろう。それで、その……」
龍翔が困ったように形良い眉を寄せる。
「……少し、多めの《気》が必要だ」
「は、はい……」
青年姿の間に、新たに《気》をとれば、元の姿でいられる時間が伸びるのも、多くの気を得れば、それだけ長く青年姿でいられるのも、どちらも旅の間に確認済みだ。
だから、龍翔が言いたいことは理解できる。
が……。理解できることと、動揺しないことは、まったくの別物だ。
むしろ、先ほど安理が解呪のことを話題にしたせいで、余計に意識してしまう。
「……安理め、余計なことを……」
明珠の表情を見て察したのだろう。龍翔が苦々しげに呟く。
龍翔を見上げられないでいると、不意に、大きな手に優しく頭を撫でられた。
「そう緊張することはない。いつものように、龍玉を握って、目を閉じていればいい」
「は、はい……」
服の上から胸元の守り袋を握りしめ、目を閉じる。
緊張でいつもより身体が固くなっている気がするが、こればかりはどうしようもない。
龍翔が苦笑した気配を感じる。
「明順。気持ちはわかるが、息を止めていては、《気》がろくに出てこんぞ? わたしは長く口づけるのは一向にかまわんが、お前はそれでは困るだろう?」
「え……? ひゃあっ」
長い指先が頭から横へすべり、髪を束ねているせいでむき出しになっている
軽くつままれて、驚きとくすぐったさに声が
かと思うと、薄く開いた唇をふさがれる。
「ん……っ」
龍翔の呼気と、衣に
いつもより、ほんの少しだけ、長いくちづけ。
たったそれだけなのに、恥ずかしさで気を失いそうになる。
ゆっくりと、龍翔の唇が離れる。
「前言撤回だ。……甘すぎて、溺れそうになる」
明珠は龍翔の呟きなど、ろくに耳に入っていなかった。頭がくらくらする。
背中に回された腕は、まだほどけない。が、いま放されたら、一人で立っていられる自信がない。
「すまん。嫌ではなかったか?」
上半身を屈めた龍翔が、不安そうな表情で明珠をのぞきこむ。
捨てられた子犬を連想させる面輪を見た途端、明珠は反射的にかぶりを振った。
「いえっ、大丈夫で……」
激しく頭を振りすぎて、ふらりとよろめくと、力強い腕に支えられた。
「無理はするな。少し座って落ち着くといい」
手を引かれ、近くの椅子にそっと座らされる。
「張宇に茶と菓子でも……」
龍翔が首を巡らせたところで、部屋の扉が叩かれた。
「
「ああ、入れ」
立ち上がろうとする明珠を手で制し、龍翔が答える。
「失礼いたします」
と、丁寧に頭を下げて入って来た季白の背後にひざまずいていたのは、6人の男達だった。
「運び入れなさい」
季白の指示に、男達が立ち上がる。おそらく、官邸の下男だろう。
二人の男が大きめの文机と椅子を、後の四人が、巻物や冊子が山と積まれた大きな木箱を持って入って来る。
「文机はそこの隅に。木箱はその横に。置いたら退出してかまいません」
季白の指示に下男達がきびきびと従い、あっという間に机と木箱を置いて、一礼して部屋を出て行く。
「何だこれは?」
龍翔の問いに、季白があっさり答える。
「木箱の中身は、今回の襲撃に関わりのありそうな書類です。隠されたり、破棄されたり、
「それはわかるが、これほどの量を調べるとなると、かなり時間がかかるぞ。お前もそこまで暇ではあるまい」
木箱は大人の男が両手で抱えなければ持ち運べないほど、大きい。小さな子どもが屈めば、すっぽり入りそうな大きさだ。
「わたし一人で見る気はございません」
肩をすくめた季白が、不意に明珠を振り返る。
「ちゃんとまとめられますね?」
「えっ!? 私がですか!?」
思わず叫ぶが、季白の
口調こそ疑問形だが、季白は明珠にできるかどうかを尋ねているのではない。「やれ」と命じているのだ。
「頑張ります。けど……。一人では、何日かかるかわかりませんよ? それとも、乾晶に
おずおずと尋ねると、季白が冷笑をひらめかせた。明珠は思わず背筋を伸ばす。
「そのようなわけが、ないでしょう? 龍翔様が不在の王都では、今頃、龍翔様を追い落とそうとどんな悪巧みが進められていることやら。龍翔様には、乾晶で功績をあげた上で、一日も早く王都にお戻りいただかなくてはなりません!」
明珠にも季白の言わんとすることは理解できる。
王都にいる第一皇子派、第三皇子派の人々の弾劾を避けるためには、彼らが納得するだけの功績を挙げなくてはならない。
少なくとも、官邸を襲撃した賊を捕らえなければ、王都へ戻ることもままならないだろう。
「わかりました! 龍翔様のために頑張ります!」
「よい心意気ですね。よく励みなさい」
「おい、季白。本気で明順一人にこの量をまとめさせる気ではないだろうな⁉ 倒れてしまうぞ!」
龍翔が黒曜石の瞳を怒らせる。
「まさか。明順を無為に部屋に閉じ込めるのももったいないので、仕事を与えただけですよ。もちろん、わたしもまとめます。さしあたって、今日、わたしが龍翔様の供としてついている間は、張宇に手伝わせましょう」
手始めとして、倉に入れられていた物で、襲撃後も確実に燃え残っていた物。燃えたか盗まれたかして、失くなってしまった物。それぞれの一覧表を作るようにと命じられる。
「では、龍翔様。参りましょう。明順には張宇をつけますので」
「わかった。が、明順、無理をすることはないのだぞ? 張宇とゆっくり茶や菓子でも楽しめ」
あやすように頭をなで、龍翔が季白と出て行く。入れ違いに、張宇が入ってきた。
運びこまれた文机と書類の山を目にすると、珍しく、嫌そうに顔をしかめる。
「さっき、季白に言われたが……。かなりの量だな、これは」
「でも、龍翔様のために、頑張ります!」
気合を入れて、木箱に近づいた明順は、巻物のそこここに小さな紙片がはさまれているのにも気づいた。見覚えのある季白の字だ。
どうやら、書類を箱に詰めながら、巻物の題の部分を見て、内容ごとにあらかじめ分けてくれているらしい。さすが季白だ。
「倉から失くなった物の記録は……この辺りだな。よし、とりあえず、該当する巻物をこっちの大きな卓に移そう。龍翔様は夕刻まで戻ってこられないし、二人で作業をするなら、広い卓の方がしやすいだろう」
張宇の指示に従い、巻物を運びながら、ふと気になったことを尋ねる。
「そういえば、安理さんは? 安理さんも、龍翔様についていかれたんですか?」
「いや、あいつは情報収集に行っているよ。あいつは、書類仕事より、そっちの方が得意だからな」
「あ、なんとなくわかります。安理さんって、人当たりがいいですよね。懐に飛び込んでいくのが上手いというか」
「買いかぶり過ぎじゃないか? あいつの場合、単に無礼なだけってことも十分あるぞ? まあ、多分に自覚した上でやっているんだろうが……」
苦みを帯びた張宇の声音に、主であるはずの龍翔に、ずけずけと物を言っていた安理の様子を思い出す。それと。
「安理さんのことを話す張宇さんは、いつもと少し違いますね。なんだか、いつもよりくだけている感じがします」
「そうかな?」
首を傾げた張宇が、諦めの混じった笑みをこぼす。
「まあ、あいつにはあれこれ迷惑をかけられているしな。まったく、安理といると、心臓が縮むことばかりだ。……いや、心臓への悪さで言えば、季白も大して変わらないけどな」
珍しい張宇の愚痴に、思わず笑みがこぼれる。
文句を言っているはずなのに、「仕方がないなあ」とばかりに苦笑いしているのが、いかにも張宇らしい。
と、不意に張宇が真面目な顔で明珠を見つめる。
「いいか。もし、安理が余計なちょっかいをかけてきたら、龍翔様が俺に、早めに言うんだぞ? あいつは、加減を知らないところがあるからな。……龍翔様が目を光らせているだろうが……」
「はあ……」
あいまいに頷いた明珠に、張宇が微笑む。
「まあ、起こるかわからない話より、しなければならない作業に集中するか。とにかく、手をつけ始めよう」
「はい! 頑張りますので、いろいろ教えてください!」
張宇の言葉に、明珠は勢いよく頷いた。
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