12 これも大事なお仕事です! その3


 思わず素っ頓狂な声を上げると、視線が集中した。


「えっ、あの、す、すみません。大声を……」

 刺すような季白の視線に、身を縮める。


「これほど、大きな倉なのだ」

 不意に、龍翔が大きな身振りで倉を振り仰ぐ。絹糸のような前髪が揺れ、秀でた額がちらりと見えた。


 芝居がかった仕草だが、龍翔がすると妙に様になる。範も貞も、磁石に引きつけられる鉄のように、龍翔に視線を戻す。


「中にどれほどの品が入っていたのかは知らんが、全部運び出す余裕はなかっただろう。それだけ大量の荷物を運べば、嫌でも目立つ。大荷物を運んでいた怪しい人物の目撃情報も掴めていないのだろう? あれば、とうに賊の正体が掴めていたであろうからな」


「おっしゃる通りでございます」

 龍翔の言葉に、貞が感じ入ったように追随する。


「では、賊の目的は、倉の中の一部の品であり、それが何かを隠すために、火を放ったと?」

 張宇の言葉に、季白がかぶりを振る。


「まだ断言でできません。賊が追及を逃れるために、倉の中の品が目的だと思わせている可能性もありますからね。この大きな倉の中から、何を盗んでいったのか調べるのは、さぞかし時間がかかるでしょうから。まあ、わたしの手にかかれば些事さじでしょうが」


「いえ、龍翔殿下の従者様に、そのようなお手間をかけるなど……っ」

 あわてた様子で口を開いた範に、季白の視線が突き刺さる。気圧けおされたように範が口をつぐんだ。


「何のために龍翔様が乾晶まで来られたと思っているのです? 乾晶の安寧を取り戻すためです。そのためには、官邸を襲撃した賊を捕らえることが欠かせません。我々が調査するのは、当然でしょう? それとも、もう盗まれた品の目星がついているとでも?」


「いえ、それは……」

 切れ長の目に威圧を込めた季白に、力無く範がかぶりを振る。季白は容赦なく言葉を継いだ。


「では、もちろん調査にご協力くださいますね」


「と、当然ですとも……」

 龍翔と季白を交互に見やって頷く範に、明珠はまるで蛇に睨まれた蛙のようだという印象を抱く。


 季白の講義によると、第二皇子・龍翔の従者という立場といえど、季白の家格からすれば、乾晶総督の範の方が身分は上……そう聞いていたのだが、これでは、どちらの方が立場が上か、わかったものではない。


 範の言質げんちを取った季白が満足そうに頷き、龍翔を振り返る。

「龍翔様、他に気にかかる点でもおありなのですか?」


「いや。職人の姿がないと思ってな。まだ建設途中だろう?」

 龍翔が指摘する通り、今朝はここへ来てから、他に人の姿を見ていない。いつもなら、職人達がとうに働いて、にぎやかな時間だろう。


「下賤な輩を龍翔殿下にお見せして、お目汚しするわけにはまいりません。職人達には、今日は午後から作業をするよう、命じております」

 範の言葉に、龍翔が不快げに眉をひそめる。


「立派に働く者の姿を見て、不快になる者がどこにいる? 今後、そのような気遣いは無用だ」


 明珠は、きっぱりと断言した龍翔の言葉に感動する。やはり、龍翔は素晴らしい主だ。


「ここで今わかるのは、この程度か。範、貞。案内、ご苦労であった」


「とんでもございません。龍翔殿下のお役に立てたのでしたら、望外の喜びでございます」

 恭しく頭を下げた範が、顔を上げ、龍翔を見る。


「ところで、龍翔殿下。この後は……」


「ああ。乾晶の有力者達が、わたしに挨拶をしたいのだったな。承知している。まだ、時間はあるだろう? 一度、部屋へ戻って、上衣を整える」


 龍翔が歩き出したのを皮切りに、一行は本邸へと戻る。


 本邸に入ったところで、範と貞と別れる。何か用があるらしく、季白もその二人についていった。


 もう、官邸が動き出す時間なのだろう。本邸の中は人の動きでざわめいている。

 廊下で、官吏とおぼしき男や、侍女とすれ違うたび、全員がひざまずいて丁寧に頭を下げる。


 龍翔や張宇、安理は、彼らに視線を向けることすらなく、悠然と歩いていくが、こんな待遇に慣れていない明珠は、つい焦って、小走りになってしまう。


 一人だけ歩幅の違う明珠を気遣ってくれているのだろう。先頭を行く龍翔の歩みはゆっくりだ。

 いつも通りに歩けば追いつくのはたやすいのに、小走りになってしまうのは、緊張のせいで歩幅が小さくなってしまっているからだろう。こんなところを季白に見られたら、何と言って叱責されるか。


 と、人目が切れたところで、龍翔が足を止めて明珠を振り返る。


「どうした? 緊張でもしているのか?」

 後ろに目がついているわけでもないのに、龍翔にはお見通しらしい。


「その、ひざまずいて見送られるなんて、初めてなので……」

 夕べは薄暗い中を歩いたので、それほど意識せずにすんだが、明るいところでひざまずかれると、どうしても意識してしまう。


 もごもごと答えると、一歩、踏み出した龍翔が、柔らかく笑って明珠の片手をとる。


「り、龍翔様……!?」

 そのまま、手をつないで歩き出した龍翔に、驚いて声を上げる。こんなところを季白に見られたら、大目玉だ。

 あわてる明珠をよそに、龍翔が楽しげに笑う。


「離れに近いここまで来れば、官吏はおろか、侍女も滅多に来ぬだろう。それに、張宇と安理に阻まれて、つないだ手など見えん」


「見えなければいいってわけじゃなくてですね……!」

 いや、見えない方がいいのは、その通りなのだが、


 龍翔は、戸惑う明珠の手を引いて歩き出す。きっと抵抗しても無駄なのだろうと諦めて、明珠も歩を進める。


 青年姿の龍翔と手をつないで歩くのは恥ずかしいが、迷いのない龍翔の足取りに感化され、自然と明珠の歩幅も正しくなる。


「先ほどは、助けていただいて、ありがとうございました」

 隣の龍翔を見上げて礼を言うと、龍翔が秀麗な面輪を傾げる。


「うん? 何かしたか?」

「あの、大声を出してしまったのを、かばっていただいて……」


「そんなことか」

 龍翔が小さく笑みを浮かべる。


「礼を言う必要などない。それに、お前のおかげで、賊の目的が、物取りではなく、倉の品の一部にあったかもしれぬと気づけた」


 龍翔の言葉を素直に信じることはできない。季白のことだ。きっとあらゆる可能性を考えていただろう。

 だが、龍翔の気遣いが嬉しくて、「ありがとうございます」と礼を言う。


「……張宇サン、やっぱり、この龍翔サマって本物?」

 後ろで、安理が吹き出すのを我慢しているような声を出す。


「俺に聞くんじゃない。あと、龍翔様に聞こえるところで口にするな」

 珍しく、張宇のうんざりした声が聞こえる。


「お前は、自分の目で見たものしか、信じない主義じゃなかったか?」

「いや~、あまりに予想外すぎて、にわかに信じられなくて♪」

 安理の声はすこぶる楽しげだ。


 龍翔が何やら言い返そうとしたところで、部屋に着く。


「この絹の上衣でよろしいっスか?」

 荷物の中から、安理が豪華な刺繍がほどこされた上衣を持ってくる。


「ああ、別に何でもいい」

「えーっ、何でもいいはやめてくださいよ~。変なの着せると、後で季白サンに怒られるのはオレなんスから」

 言いつつ安理は、手慣れた様子で龍翔の着替えを手伝う。


「絹で豪華な見た目ならば、わたしが何を着ていようと、気にする者などおらん。今日、挨拶に来る者達にとって大切なのは、「第二皇子」という肩書だけだからな」


 皮肉な笑みをひらめかせて、龍翔が濃い緑の上衣を羽織る。同じく絹の帯を締め直した龍翔が、張宇と安理に出て行くよう、手で合図した。

 安理がきょとんと首を傾げる。


「え、何でっスか? これから解呪するんでしょ? どうやって解呪するのか、オレ、興味津々っス!」


「――張宇。こいつをつまみ出せ」

 部屋の空気を凍りつかせるような声で、龍翔が命じる。


「かしこまりました」

 間髪入れず返答した張宇が、安理の肩と腕をがっしりと掴む。


「えっ? なんで二人とも、そんなコワイ顔してるんスか? 明順チャン、助けて~っ」


「すみません安理さん! 私からもお願いします! 出て行ってください……っ!」

 恥ずかしさに固く目を閉じて返すと、


「ええ~~っ!」

 と悲痛な叫びが聞こえた。


「明順チャンまで、その反応!? これはますます気になる……っ!」


「張宇! さっさと叩き出せ! いや、わたしが蹴り出してやる」

「龍翔サマひどっ! 暴力反対!」


 ぎゃあぎゃあと騒ぐ安理の声が遠ざかり……。明珠が顔を上げて目を開けると、張宇が安理を羽交い絞めにして隣室へと通じる内扉をくぐり、龍翔がそれを閉める後ろ姿が見えた。


「安理がすまなかったな」

 目の前に戻ってきた龍翔に謝られ、あわててかぶりを振る。


「い、いえ。安理さんはご存知ないんですし……」

 安理に悪気がないのはわかっているが、心臓に悪いこと、この上なかった。


「で、でも、解呪って……?」

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