61 黒い砂嵐を前に その1


「《龍》で国境に赴き、砂波国さはこくの進軍を止める」


 きっぱりと宣言した龍翔の面輪を、明珠は見上げた。


 龍翔の言葉に、周りの皆が息を飲む。

 真っ先に反論したのは季白だ。


「なりません! お一人で前線へ出られるなど……っ! 御身に何かあったら、どうなさるおつもりですかっ!?」


「では、《堅盾族》だけで、砂波国の騎馬軍団の進軍を止めよと?」


 冷ややかに問うた龍翔に、季白が言葉に詰まる。

 龍翔の視線が、晴晶に移った。


「晴晶。義盾ぎじゅん殿が率いていった《堅盾族》の人数は?」


「は、八十人ほどでございます。ですが、ろくな準備もできなかった上に、今回が初陣ういじんの者も多く……」


 晴晶がしどろもどろになりながら答える。


「幸いにも、砂波国との間には、二十年近くまともな会戦は開かれておらぬからな」


 頷いた龍翔が季白を見やる。


「今、わたしが乾晶ではなく砂郭にいるのは、僥倖ぎょうこう以外の何物でもない。砂郭を砂波国に奪われるわけにはいかぬ。砂波国は砂郭に侵入すれば、必ず略奪を行うだろう。そのような暴虐を許せと?」


「それはおっしゃる通りでございますが……」

 苦い顔で答えた季白が、「ですが!」と語気を強める。


「《堅盾族》がいるとはいえ、お一人で出られるのはあまりに危険です! 何より、《龍》をび、維持するには多くの《気》が必要でございましょう!? 万が一のことがございましたら……っ!」


「一人で行く気はないぞ?」

 どこか楽しげな声で告げた龍翔が、やにわに明珠を横抱きに抱き上げる。


「明順も連れてゆく」


「ええええっ!?」

 明珠の驚愕の叫びに、季白の同じ声が重なる。


「なっ、何をお考えでいらっしゃいます!? 神聖なる《龍》に、そのような小娘を乗せる気ですかっ!? あり得ませんっ!」


「り、龍翔様、本気でございますかっ!? その……。龍翔様がいらっしゃれば大丈夫かと思いますが……危険では?」


 いつも口うるさい季白だけでなく、張宇までもが顔をしかめて忠言する。

 抱き上げられたまま、明珠はあわあわと、龍翔と季白達の顔を見比べた。と。


 龍翔が、唇を吊り上げた。

 笑みのはずなのに、背筋が一瞬で凍りつくかのような威圧感を放つ龍翔に、全員が押し黙る。


「明順を、わたしの目の届かぬところにやると、予想もつかぬ事態を引き起こすと、今日だけで思い知らされたからな。――二度も」


 地をうような低い声に、明珠は龍翔の腕の中で身を縮める。

 晴晶を捕まえた時といい、陽達に攫われた時といい、一言も反論の余地がない。


「もう、あんな心臓に悪い思いは、こりごりだ」


 龍翔の腕に力がこもる。

 真摯しんしな声の響きに、何も言えなくなって、明珠は申し訳なさにぎゅっ、と両手で守り袋を握りしめる。


「ほ、本気で明順を連れていかれると!?」

 季白がなおも食い下がる。


「龍翔様とともに行けば、必ずや明順も注目を浴びることになりますが……っ!」


「ああ、それならば」

 軽く応じた龍翔が、《幻視蟲》を呼び出す。

 とたん、明珠の視界が薄く幕を張ったようにぼやけた。おそらく、季白達の側からは、明珠の姿は完全に見えなくなっているだろう。


「安心せよ。明順の姿を、他人にさらす気はない」


 確かに、これならば、よほど高位の術師でなければ、明珠を視認することはできないだろうが……。本当に、明珠などが一緒についていっていいのだろうか。


 明珠が戸惑っているうちに、龍翔が《龍》を喚び出す。現れたのは、《風乗蟲》ほどもある大きな《龍》だった。


「ここで無駄な時間を費やしている暇はない。もう決めたことだ」

 一方的に告げた龍翔が、明珠を抱えたまま、《龍》にまたがる。


晴晶せいしょう孝站こうたん。わたしは先に向かうゆえ、後から来い」


 何を言っても無駄と悟ったのか、季白が一つ吐息して、拱手きょうしゅの礼を取る。


「かしこまりました。龍翔様のご指示通りに。ですが、くれぐれもお気をつけくださいませ!」


「もちろんだ。わたしが明順を危険な目に遭わせるとでも?」

「明順よりも、龍翔様です!」


 季白がぎんっ、と刺し貫きそうな鋭い視線で、明珠を睨みつける。


「いいですかっ!? これ以上、龍翔様にご迷惑をかけてごらんなさいっ! 容赦しませんからねっ! 重々、肝に命じなさいっ!」


「はいぃっ!」


 季白には明珠の姿は見えていないはずなのに、この視線の圧力はなんだろう。

 明珠は、見えていないと知りつつも、こくこくこくっ、と必死で頷いた。


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