61 黒い砂嵐を前に その2
「しっかり掴まっていろ」
明珠に低く囁いた龍翔が、「《飛べ》」と《龍》に命じる。
ぐん、と《龍》が身をくねらせ、宙へ舞い上がる。
《風乗蟲》とはまた違った飛び方と風圧に、明珠は遠慮も忘れて、思わず龍翔の胸元にしがみついた。明珠の身体に回された龍翔の腕に、力がこもる。
「大丈夫だ。もう決して、お前を危険な目には遭わせん」
「す、すみません。びっくりして……」
強い風が頬に当たり、髪や衣がばさばさとあおられる。《風乗蟲》も速いが、もっと速い。景色がぐんぐんと後ろへ飛び去っていく。
「急ぐゆえ、少し我慢してくれ。何かあったら、遠慮なく言うのだぞ?」
風に声が飛ばされぬようにだろう。明珠の耳元に口を寄せ、龍翔が
「大丈夫です! というか……。本当に、私なんかがご一緒してよかったんですか?」
砂波国の騎馬軍団とは、どのようなものだろう。それに、先に国境へ向かったという義盾達は無事なのだろうか。
不安を隠せず龍翔を見上げると、安心させるような笑顔が返ってきた。
「大丈夫だ。お前が心配することは何もない。お前に、
龍翔の手が明珠の頭に回り、こてん、と胸元に引き寄せられる。
「怖いのなら、目を閉じ、耳をふさいでいればよい」
「いいえっ!」
明珠は反射的に首を横に振る。
「私は龍翔様の従者です! 龍翔様のなさることから、目を
龍翔だって、可能ならば、有能な季白が張宇を連れてきたかったことだろう。
《気》を大量に使っても大丈夫なようにと、明珠が選ばれたのだろうが……。
「そ、その、私にできることなんて、見ていることと、《気》をお渡しすることくらいですけれども……」
明珠は守り袋を握りしめたままの左手に、力をこめた。
季白や張宇や安理に及ばぬことは、自分が一番よく知っている。
でも、だからこそ、龍翔の優しさに甘えたくはない。
龍翔を見上げて告げた途端、龍翔の手が頬に伸びてきた。
「お前は……っ」
どこか熱を孕んだ声が、明珠の耳を打つ。
明珠を真っ直ぐに見つめる黒曜石の瞳が、距離を詰め。
ふと、龍翔が何かに気づいたように視線を明珠から外し、前方を見る。明珠もあわてて龍翔の視線を追った。そこには。
午後の光に羽をきらめかせて飛ぶ何十匹もの《晶盾蟲》の姿があった。硬質な羽を陽光にきらめかせるさまは、まるで金剛石のようだ。
そして、《堅盾族》の先には。
もうもうと砂煙を立てて、乾いた地面を疾走する何百騎もの砂波国の騎兵達がいる。
要所要所に金属があしらわれた、黒く染められた革鎧。
背には弓を、腰には剣を
地平まで煙らせるような砂煙を立て、一団となって疾走するさまは、暴威を振るう黒い砂嵐のようだ。
まだ距離があるはずなのに、
初めて目にした騎馬軍団に、明珠の身体が恐怖に震える。
派遣軍の宿営地には何度も行っているが、いつも馬車を降りてすぐに天幕に入ってしまうため、兵士の姿など、天幕の前に立つ護衛兵くらいしか見た経験がない。
明珠には正確な数はわからないが、砂波国の騎馬兵は、《堅盾族》の何倍もいる。
本当に、龍翔と《堅盾族》だけで止めることができるのだろうか。
もし、止めることができずに、砂郭に侵入され、略奪が始まったら――。
自分のものではないように、かたかたと震え出した身体を、力強く抱き締められる。
「大丈夫だ。お前は、何があろうとわたしが守る」
身体の芯まで深く響くような声でそう告げられるだけで、恐怖が薄らいでいく気がする。
「距離が詰まってきた。高位の術師がいないとも限らん。衣を頭からかぶって、顔を隠しておけ。あまり声も出すなよ?」
「は、はいっ」
《幻視蟲》は姿を隠したり、逆に幻を見せたりすることができるが、声まで消すことはできない。
明珠は頷くと、龍翔に着せられた古着を引っ張り、頭からかぶる。
その間にも、《堅盾族》や砂波国軍との距離は、どんどん縮んでゆく。
《龍》に気づいた堅盾族達が驚愕の面持ちで振り返る。
龍翔は堅盾族のそばまで来ると、声を張り上げた。
「《堅盾族》よ。《護り手》としてのその
先頭を飛んでいた義盾が深く頷いたのを確認すると、龍翔は堅盾族を追い抜かし、前へ出る。
馬よりも速く迫りくる巨大な《龍》に、それまで整然と列を組んで疾走していた砂波国軍の隊列が乱れる。
何十頭もの馬が
弓矢が届きそうなところまで、互いの距離が迫ったところで。
「《雷電蟲》」
龍翔が、数匹の《雷電蟲》を呼び出した。
丸い羽を持ち、身体も丸い、一見すると可愛らしい《雷電蟲》が数匹、《龍》のすぐそばに現れ。
蒼天に、真白い雷が轟いた。
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