56 かそけき糸を追いかけて その3


陽達ようたつが前族長の息子だと!?」


 感気蟲を追ってゆっくりと飛ぶ風乗蟲の背で。

 孝站こうたんが告げた内容に、龍翔は思わず声を上げた。孝站がこっくりと頷く。


「陽達と名乗るその者が、わたくしのが知る陽達様と同じ人物ならば、ですが……。陽達様は、現族長である義盾ぎじゅん様の兄上、前族長だった陽堅ようけん様の嫡男ちゃくなんです」


 龍翔は昨夜読んだばかりの官邸の記録を思い返す。


「官邸に保管されていた書類によると、義盾殿は十五年前、堅盾族に騒乱があった際に長になったそうだな。……いったい、十五年前に何があった?」


 龍翔の問いに、孝站は口をつぐんだ。躊躇ためらうように周りを見回したが……晴晶せいしょうはここにはいない。

 卵が無事、女王蟲の元へ戻ったことを義盾に報告するために、晴晶一人だけ、一足早く分かれたのだ。


 孝站が村へ戻るよう、晴晶を促していたところを見ると、今から孝站が語る話は、晴晶には聞かせなくない内容なのだろう。


「当時は、わたしも十歳に満たぬ子どもでしたので、大人達から聞いた話なのですが……」


 断りを入れて、孝站が話し出す。


「十五年前、乾晶けんしょうの総督として赴任してきた人物は、かなり横暴な人柄だったそうです。乾晶や砂郭さかくの安寧が、我々、堅盾族の護り手によって保たれているにもかかわらず、蟲使いの不気味な一族よと、堅盾族をさげすみ……」


 孝站の声が苦みを帯びる。


「前族長の陽堅様は、総督に対し、不満と隔意を抱かれていたそうです。そこへ、砂波国の誘いの手が伸び……」


 孝站によると、何としても堅盾族を、ひいては豊かな乾晶を手に入れたかった砂波国は、陽堅をそそのかしたらしい。


 いわく、何百年もの昔に交わされたきりの龍華国との盟約に囚われる必要はない。現に、乾晶の総督は、護り手である堅盾族を軽んじているではないか。

 砂波国側につけば、砂波国が乾晶を占領したあかつきには、堅盾族を能力にふさわしい地位に取り立てよう。


 優れた能力がありながら、無能な総督の下で、むざむざと飼い殺しにされるつもりか。

 堅盾族の未来を考えるのなら、砂波国と龍華国、どちらについた方がよいのかは明白であろう、と……。


 当時の総督に対し、不満がたまっていた堅盾族では、陽堅を中心に、砂波国側につこうという動きが実際に起こったらしい。


 それに対し、何百年と守ってきた龍華国との盟約を破るべきではないと諭したのが、陽堅の弟である義盾だった。


「陽堅様、義盾様を旗頭はたがしらとした争いは、最終的には義盾様に従う者が多くなり、陽堅様は彼につき従ういくつかの家族と、《晶盾蟲》を連れて村を去り、砂波国へ移り住んだと聞いております。ただ……」


「ただ? 何だ?」

 言いよどんだ孝站を促す。


「当時、陽堅様の奥方様とご息女は病を得ていまして、陽堅様についていくことがかないませんでした。奥方様はまもなく亡くなり……。九死に一生を得て回復した娘の晶夏しょうか様は、陽堅様の行方がつかめなかったこともあり、義盾様が引き取られました」


「晶夏だとっ!?」

 龍翔は思わず驚きの声をこぼす。


「つまり、晶夏嬢は陽達の生き別れの妹だというのか!?」


「は、はい……。晶夏様ご自身だけでなく、ある程度の年以上なら、村の者はみな、知っておりますが……」


 龍翔は張宇と安理を振り返る。張宇がこくりと頷いた。

「おそらく、陽達は明珠を晶夏嬢と勘違いしているのではないかと」


「年頃はちょうど合うからな。しかし、なぜよりによって明珠を……」


 呟いた瞬間、明珠の輝くような笑顔を思い出す。

 堅盾族の村で、明珠が笑顔で龍翔に教えてくれた――。


「あの、お守りか」


 明珠が嬉しそうに見せてくれた、《晶盾蟲》のさなぎの抜け殻を使ったお守りを思い出す。


「陽堅と義盾は兄弟だったな。ということは、お守りの組紐の柄は同じか?」


「は、はい。ですが、なぜそれを……?」

 驚いて問い返す孝站には応えず、龍翔は深く吐息する。


 同じ年頃で、血のつながったごく限られた者しか持たぬお守りを身につけていたら……。

 陽達が、明珠を生き別れの妹と誤解したのもやむを得ない。


 堅盾族しか入れぬはずの《聖域》の森に入られたのも、前族長の息子なら納得だ。


「しかし、なぜ今になって、砂波国で暮らしていた陽達が乾晶に……?」


 偶然か。それとも、十五年前のように、また裏に砂波国が絡んでいるのか。

 龍翔は孝站を振り返る。


「孝站。前族長達は、《晶盾蟲》とともに砂波国へ渡ったと言ったな。だが……。女王蟲がいなければ、晶盾蟲を新たに得ることはできぬのだろう?」


 《聖域》の幻想的な光景を思い返しながら問う。

 孝站はこっくりと頷いた。


「おっしゃる通りです。《晶盾蟲》は、《聖域》でなければ、生まれ、育ちません。晶盾蟲の寿命は三十年ほどでして、陽堅様が村を出ることになった時、晶盾蟲を連れていってよいかどうか、問題になったそうですが……。義盾殿が、不安に思う者を説得したそうです。人間の都合で、《晶盾蟲》同士を戦わせるわけにはいかぬ。新たな晶盾蟲は、《聖域》でなければ生まれないのだから、と……」


「……とういことは、《聖域》を手に入れなければ、いくら陽達が族長に返り咲こうとしても、無駄というわけか。《晶盾蟲》あっての堅盾族だからな」


 龍翔は陽達の狙いをし量る。


「だが、陽達は堅盾族が地震後の混乱で乾晶から引きあげている間に、まんまと自警団長の地位におさまっている。団長としての働きも、まずまずだという。このまま、陽達が義盾を追い落とそうとすれば……。孝站、お前の見立てでは、堅盾族の者達は、前族長の息子・陽達と、現族長の義盾、どちらにつく者が多い?」


 淡々と問うた龍翔の言葉に、孝站は顔を青くした。


「そ、それはもちろん、義盾様につく者が多いはずです! と、お答えしたいところでございますが……。義盾様は体調が思わしくなく、跡継ぎの晴晶様がまだお若いのは確か。わたしくも、幼い頃の陽達様しか存知あげていないので。なんとも言えませんが……」


 答えた孝站が急にがばりと頭を下げる。


「申し訳ございません! わたくしもここで失礼してよろしいでしょうか? 陽達様が堅盾族の族長の地位を望まれている可能性があるのでしたら、一刻も早く、義盾様にお知らせしなければ……っ!」


「ああ、かまわぬ。聞きたいことは十分に聞けた。早く義盾殿にお知らせするとよい」


「ありがとうございます!」

 一礼した孝站が、腕につけた竹筒から《晶盾蟲》を呼び出す。


 革紐で作られた簡素な器具を晶盾蟲の脚と、己の手首に巻き付けた孝站が、晶盾蟲が羽ばたくと同時に、風乗蟲の背を蹴る。


「失礼いたします!」

 大人の男一人の重さがかかっているというのに、《晶盾蟲》は、何の苦も無く孝站をぶら下げて飛んでいく。


(……あれほどの力があれば、官邸の倉を壊すくらい、造作もないやもしれんな……)


 龍翔は内心で一人ごちる。


 もし、副総督のていと陽達が手を結んでいるのなら、官邸の倉を破壊したのは、おそらく陽達だろう。安理に調べさせたが、貞の周りで腕の良い術師は、陽達くらいしかいない。


(陽達が結んでいるのが、貞だけならよいのだが……)


 もし、砂波国とも通じているとなると、厄介極まりない。


 十五年前と同じように、砂波国が陽達をそそのかしているとしたら、砂波国は龍華国に攻め入る機会を虎視眈々こしたんたんと狙っているに違いない。


「いずれにしても、陽達を捕まえればわかるだろうが……。こうなってくると、明珠を連れ去ったのが陽達であることを祈った方がいいのかもしれんな……」


「明珠を妹と誤解しているのならば、陽達は決して明珠を傷つけぬでしょうからね」


 吐息交じりの龍翔の小さな呟きに、張宇が気遣うような声を上げる。


「でも、明珠チャンの性格を考えると、妹じゃないって、馬鹿正直にバラしちゃいそうっスよねぇ……」


「「……」」

 安理の呟きに、龍翔と張宇は思わず沈黙する。


 言う。明珠の性格だ。誤解させていては気の毒だと考えて、絶対にあっさりバラす。

 自分の不利益など、これっぽっちも考えずに。


 ぞくりと龍翔の背筋が冷や汗に震える。


周康しゅうこう! 明珠の居場所はまだわからんかっ!?」


 先頭に座る周康に問う声が、抑えようとしても、きつくなってしまう。


「追ってはいるのですが、なかなか……。力及ばず、申し訳ございません」

 周康が申し訳なさそうに言葉を絞り出す。


「親子とはいえ、やはり遼淵様と明珠様では、《気》の性質が違うようでして……」

「いや、すまぬ。無理を言った。お前を責めているわけではない」


 おそらく、周康は《気》を読む能力にけているのだろう。

 本人のものではない《気》を頼りに《感気蟲》を操るなど、並大抵の腕ではない。解呪が得意というのも、そこからきているのだろう。


(もう少しだけ、わたしの《気》がもっていれば、すぐに《感気蟲》で明珠を探し出せたものを……っ!)


 思い描くだけで陶然となる蜜の香気。

 甘やかな気配も、愛らしい声も、龍翔の心に灯火ともしびをともす明るい笑顔も、すべて、まなうらにありありと思い描けるというのに。


 明珠が己の手の届かないところにいるというだけで、気が狂いそうになる。


 ぽっかりと空いた胸の穴に不安と焦燥が押し寄せて、どうにかなってしまいそうだ。


 と、今まで黙りこくっていた季白が口を開く。


「周康殿。英翔様のお姿を隠す術をお願いします。このお姿を人目にふれさせるわけにはまいりません。呼び名も、「英翔様」と」


「承知しました」

 周康が頷き、《幻視蟲》を喚び出す。龍翔は己が《幻視蟲》が作る幻に包まれたのを感じた。


 さすが、遼淵の高弟だけあって、強力な幻だ。よほどの実力がある術師でなければ、龍翔の声は聞こえても、姿は見えぬだろう。


 季白としては今すぐにでも宿営地にとって返して、龍翔を人目のつかぬ最奥に押し込めたいのだろうが……。


 もちろん、明珠をこの手に取り戻すまで、戻る気などさらさらない。


 が、季白が人目を気にするのはわかる。龍翔達を乗せた風乗蟲は、ゆっくりと砂郭の街並みへ近づいていた。


「砂郭か……」


 龍翔は訪れたことはないが、《聖域》にも砂波国との国境にも、最も近い交易の町だ。


 陽達が明珠を連れ去ったのなら、街道を行くよりは、町中へ潜伏した方が見つかりにくいと考えるだろう。探すほうからすれば、土地勘のない町は、厄介極まりない。


 砂郭の規模は乾晶にははるかに及ばないが、砂漠を通る交易路の東端に位置する町だけあって、栄えているのは一目でわかる。

 二階建ての建物が立ち並ぶ一角は、商館や宿屋だろうか。中にはかなり立派な建物も見える。


 《風乗蟲》の巨体に気づいた者達が何人か、こちらを見上げて指をさしている。《幻視蟲》の幻に包まれた少年龍翔の姿だけは、見えていないだろうが。


 町中に入ると、大きな風乗蟲ではかえって動きづらいかもしれない。強風で町に被害を出すわけにもいかぬ。


 どうしたものかと龍翔が悩んだその時。


「何やら、嫌な予感がいたします! 警戒を!」


 季白が鋭く叫ぶのと同時に。


 りぃん――っ!


 龍翔の帯につけている《感気蟲》を宿した鈴が、不穏な音を響かせた――。


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