53 あなたの憂い顔を、なんとかしたくて その2
「あそこです! あの、木がよく茂った林の中心に……っ! ですが、待ってください! 《聖域》の周囲には、結界が張られているのです!」
晴晶の案内に、明珠を腕に抱えたままの龍翔が、
龍翔の後ろで、晴晶が何やら呪文を唱えているのが、強風にまぎれて聞こえる。結界に入れるようにしているのだろう。
風乗蟲で移動して、どれほどの時間が経ったのだろう。いまや、《気》を奪われ過ぎて、
何か、不可視の幕のようなものを通り過ぎた気配を感じる。きっと、結界の中へ入ったのだろう。
龍翔としては、少しでも《聖域》の中心にあるという洞窟近くに降りたいのだろうが、乾燥地帯とは思えぬほど木々が生い茂っていて、風乗蟲の巨体を下ろせる場所が見当たらない。
仕方がなさげに、それでも少しでも洞窟に近い、比較的、木々がまばらなところへ、風乗蟲を降下させる。
強風に、木の葉が大きな音を立てて揺れる。
明珠を抱き上げて下りた龍翔が、続いて晴晶も下りたのを見て、風乗蟲の召喚を解いた。
「晴晶。ここから《聖域》までの案内はできるな?」
「はいっ、もちろんです! ですが……」
晴晶が、気遣わしげに明珠と龍翔を見やる。
「《聖域》があるこの森は、村人しか入らぬため、木々が生い茂っております。《聖域》は、鍾乳洞のため、滑りやすく、危険です。そのまま、明珠さんを抱えていくのは……。《気》ならば、回復しております! 卵は、わたしが持ってゆきます!」
幼さの残る顔に決意をこめて、晴晶が告げる。
明珠はふるふるとかぶりを振った。
「だ、大丈夫です! 私、一人で歩けますから!」
暴れるようにして、龍翔の腕の中から飛び降りる。が。
身体に力が入らず、かくん、と地面にへたりこんでしまう。
「無理をするな!」
怒ったような声で叫んだ龍翔が、倒れかけた明珠の上半身を抱き起こす。
情けないことに、支えてもらわねば、自分の身すら起こせそうにない。これでは、歩くなんて絶対に無理だ。
自分の足手まといっぷりに、涙がにじみそうになる。
「龍翔様」
抱き上げようとする龍翔を、かぶりを振って制し。
明珠は、龍翔を真っ直ぐ見上げた。
「私がついていくのは無理みたいです。《気》ならいくらでも差し上げますから……。卵は、龍翔様にお任せしてもいいですか?」
「お前をここに残していけるかっ!」
即座に、龍翔に叱られる。
明珠は、黒曜石の瞳を見上げたまま、きっぱりと首を横に振った。
「違います。ここで少し、休ませていただくだけです。ちょっとだけ、休憩していたら……」
明珠は身体のつらさを隠して、にっこりと笑いかける。
「龍翔様が、すぐに迎えに来てくださるでしょう?」
「……っ!」
龍翔が、唇を噛みしめる。
聡明な龍翔は、とうに理解しているはずだ。
卵を無事に《聖域》に運ぶなら、ここで明珠を置いて、龍翔と晴晶で《聖域》を目指すのが一番よいと。
だが、優しい龍翔はきっと、自分から明珠を見捨てるようなことを、決して口にしないだろう。
――ならば、明珠から言い出せばいい。
片膝をつき、支えてくれている龍翔に、明珠はへにゃりと情けなく笑う。
「本当は、かなりつらくて……。ここで、少し休ませていただけるのが、一番、嬉しいんです……。《気》なら、必要なだけ、龍翔様にお渡ししますから……」
「……本当に、つらいのか?」
顔をしかめた龍翔が、低い声で問う。
身体がつらいのは本当なので、明珠は迷いなく頷いた。
「はい。本当は、こうして身を起こしているのも……。で、でも、大丈夫です。《気》を渡すことなら……」
渡す「方法」のことを考えると、それだけでぼんやりした頭が、さらに混乱に陥りそうだが、とりあえず、考えないことにする。
龍翔の《気》が、まだ十分に残っているのなら、渡さなくても何とかなるかもしれない。
「晴晶」
晴晶を振り返りもせず、龍翔が問う。
「《聖域》まで行って、ここへ戻ってくるには、どれくらいかかる?」
龍翔が発する威圧感に怯えたのか、晴晶が早口に答える。
「行くだけでしたら、四半刻(約三十分)もあれば、十分かと……!」
「その間、お前を一人でおいておくわけには……」
龍翔が蟲を喚び出そうとしているのを察して、明珠はあわててかぶりを振った。
「私なら大丈夫です! 待っているだけですから! ここなら、堅盾族以外の人は来ないでしょうし……。《気》は大事においといてください!」
「それほど、《気》が必要なのか……? とにかく、卵を渡せ」
「は、はい……」
差し出された龍翔の手のひらに、明珠は守り袋と一緒に、大事に胸に抱えていた卵をそっと乗せる。途端。
《気》を卵に吸われた龍翔が、秀麗な面輪をしかめた。
「お前は……っ! こんなものを、ずっと一人で……っ!」
怒ったような龍翔の声。
と、不意に龍翔の手が伸びてきて、明珠の頭を優しく撫でる。
「ここまで、よく
いたわりに満ちた、優しい指先。
まだ、《聖域》にはついていないのに、龍翔の言葉だけで、なんだかもう、大丈夫な気がしてくる。
「はい。お待ちしています」
こくん、と頷くと、微笑み返した龍翔が、すっくと立ち上がった。
「行くぞ、晴晶」
「はいっ!」
龍翔と晴晶が、木々の間を駆けていく。
どうか卵が間に合いますように。そして、堅盾族が護り手に戻れますようにと、祈りをこめて二人の背中を見送り――。
二人の姿が見えなくなってから、明珠は手近な木の幹にもたれかかり、そっと目を閉じた。
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