41 従者達の頭痛はとどまるところを知りません!? その1


 夕食の後、張宇、季白、安理の三人は、龍翔の部屋と扉続きの隣室に下がっていた。


 張宇は、腰にいていた剣を外し、いつものように手入れを始める。


 蚕家さんけを出て以降、張宇が腰に佩いているのは、遼淵りょうえんから借りている蚕家の家宝の一つ『蟲封じの剣』だ。特殊な呪が封じられたこの剣があれば、常人でも蟲に対抗できる。


 そんな貴重なものをあっさり龍翔に貸し出した遼淵の神経は、信じられないが……奇人変人の名をほしいままにする遼淵の真意など、張宇の推測の及ぶところではないだろうから、そこは、あえて考えないことにしておく。


 いつもなら、龍翔が夜着に着替えに来るのだが、今夜は安理に何かあった場合に備えるため、着替えずに隣室で明珠と待機している。

 代わりに、安理が夜の闇に紛れやすい黒く、動きやすい服に着替えていた。


「で、季白サン、何を企んでるんスか?」


 着替えながら、安理が楽しそうに季白に尋ねる。


「企む?」


 張宇はいぶかしげに眉をひそめた。張宇の目には、季白が企んでいるようには見えなかったが……。


 安理はいたずらっぽく唇を歪めて笑う。


「えー、だって龍翔様が町へ出て自ら賊を捕まえるなんておっしゃって、季白サンがあっさりそれを許すわけがないでしょ~。あんな少しのお小言で許可するなんて、絶対、何か企んでるっスよね?」


 わくわく、と安理が目を輝かせる。はあっ、と季白が一つ吐息した。


「安理。……龍翔様はお身体の調子が思わしくないとか、そんなご様子は……」


 安理の言葉に返さず、沈痛な表情で呟いた季白の台詞に、張宇は驚く。

 張宇がみる限り、龍翔の具合が悪そうだとか、そんな様子は見受けられなかった。


 しかし、敬愛する主が、我慢強く、人に弱みを見せまいと時に無理をする性格だということは、張宇もよく承知している。


「龍翔様はお加減が悪くていらっしゃるのか!?」


 勢い込んで尋ねると、安理が、「ぶっひゃひゃっひゃ」と馬鹿笑いする。


「やっだな~、季白サン。龍翔サマのお加減が悪いワケないじゃないっスか♪ 自分の思惑通りにいかないからって、不調を疑っちゃ、龍翔サマがかわいそーっスよ?」


 安理の言葉に、季白が「くうぅっ」と悔しそうに歯噛はがみする。


「あなたに言われずとも、わかっていますよ! このわたしが、龍翔様のご不調を見逃すはずがありませんっ! ですが……っ!」


「せっかく、二人っきりにしているってのに、龍翔サマがなかなか明順チャンに手を出さないって?」


「そうですよっ!」


 からかうような安理の言葉に季白が額に青筋を立てて拳を握りしめる。


「何のために、わざわざ小娘に華やかな着物を与えたり、あえて龍翔様と二人きりになるように仕向けていると思っているのですか! それだというのに、まったく……っ! 暢気のんきに菓子など食べている場合ではないでしょう!? 確かに、あの小娘に手を出したいほどの魅力があるかと問われたら、否定の言葉しか浮かびませんけれどねっ!」


「季白……。それは明順に失礼過ぎるだろう……。というか、そんなことを企んでいたのか、お前……」


 張宇は思わず口をはさむ。


 確かに、ここ数日、季白が妙に物分かりがいいとは思っていたが、まさか、そんな思惑があったとは。


「龍翔様とて、健康な一青年! ふっ、と魔が差す時があられてもおかしくはないはず……っ! というか、あの小娘相手に魔が差すということ自体、やはり無理が……。ともかく! 王都に戻れば、龍翔様への眼差しは、これまでの比ではなく厳しくなります! 万が一、禁呪のことがばれれば、それを理由に、どんな罠が仕掛けられるか、わかったものではありません! ですから、何としても乾晶にいる間に、はなはだ不快ですが、あの小娘と……っ!」


「いや、無理だろう」


 張宇は深く吐息して、熱弁する同僚を諭す。


「何度も言っているだろう? 龍翔様が、何の同意もない娘に、手を出されるはずがない。明順はその……。男女のことには、かなりうといようだからな……」


「さすが龍翔様! 取るに足らぬ小娘にまでお慈悲をかけるその心根っ! さすが、わたくしが生涯の主と見込んだ御方……っ!」


「……お前は龍翔様をどうしたいんだよ……」


 さっきとは真逆の内容で龍翔をたたえる季白に、思わず突っ込む。

 ちなみに安理は、先ほどから、


「ぶっひゃひゃっひゃ……っ! やっぱり季白サンもおもしれーっ! 腹がっ、腹が痛すぎるっ!」

 と、着替えもそっちのけで笑い転げている。


「龍翔様の高潔なお人柄と、はがねの理性には、尊敬の念しかわきませんっ! ですが、それはそれ! これはこれ! 龍翔様には、一刻も早く、禁呪を解いていただかなくては……っ! そのためには、理解しがたい龍翔様のお好みも、理解しようではありませんか!」


「お前、さらりと言ってるが、明順だけじゃなく、龍翔様にもこの上なく失礼だからな、それ……」


 張宇の呟きは、残念ながら季白の耳には届かなかったらしい。


「まあ、ごくまれには珍味を味わいたいというお気持ちなら、わからなくもありません。わたしでしたら、絶対、金輪際、何があろうと御免ですがっ!」


「明珠も御免だと思うぞ……。というか、明珠に手なんか出してみろ。龍翔様に即座に叩っ斬られるぞ」


 怒る龍翔を想像しただけで、張宇の全身が恐怖に凍えそうになる。


 何が楽しくて、龍が掌中しょうちゅうで大切に慈しんでいる珠に手を出す必要があるのか。

 そんな恐ろしい真似、何があろうと御免だ。


「まあ、百歩譲って、あんな小娘でも、着飾れば少しは見られるというのは認めてやらなくもありません」


「えーっ、明順チャン、すっごく可愛いじゃん! 龍翔サマだって、着飾った明珠チャンを見て、ものっすごくご機嫌だったしね~♪ あっ、褒美ほうびにくれるって言ってたいい酒、忘れずに請求しないと!」


 安理の言葉には、張宇も頷くしかない。


 あれほど機嫌のよい――同時に機嫌の悪い龍翔は、久々に見た。

 安理はすぐに別れたから知らないだろうが、明珠の可憐な姿を見て寄って来ようとする輩に睨みをきかせるのが、どれほど大変だったか。


 明珠に自覚がなく、危なっかしい分、ある意味、青年姿の龍翔のお忍びにつきあった時よりも、大変だった。

 途中で、龍翔の苛立ちが爆発しないかと心配した点においても。


 張宇は出かけていた時の龍翔を思い出す。


 何とかして明珠を喜ばせようと、あれやこれやと気遣う龍翔は、そばで見ていて、微笑ましいこと、この上なかった。正直、お邪魔虫としか言いようのない自分の存在が、申し訳なくなったのだが……。龍翔の護衛として、そこだけは譲れない。

 というか。


「……張宇? どうしました? 顔が赤いですよ」


「えっ!? いや、なんでもないぞ、うん」

 張宇はあわてて首を横に振る。


「……これほどお前に心配されるとは、安理の奴も果報者だ」


 熱をはらんだ龍翔の呟きが耳の奥でよみがえり、その熱にあてられたように、張宇は自分の頬が熱くなるのを感じる。


「やだなあ~、張宇サンたら、何を想像したんスか~?」

 張宇の顔を見た安理が、にやにやとからかうような笑みを浮かべる。


「違っ……」


「ま、着飾った明順チャンはちょー可愛かったっスからね~。いやーっ、一度、あの明順チャンを人込みの中に放り込んでみたいな~。龍翔サマがあわてふためく様子を想像するだけで……。ぶくくくっ、楽しすぎるっ!」


「わたしとしては、媚薬でも盛った上で、出会い茶屋にでも一晩押し込みたいですけどね……っ!」


「おいっ!?」

 季白が冗談とは思えない顔で恐ろしいことを呟く。


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