40 倉の中には何があります!?


「安理に、くらに忍び込んでもらいます」


 龍翔の部屋の卓で、五人で夕餉ゆうげを食べた後。

 食後の茶を飲みながら宣言した季白の言葉に、明珠は目を見開いた。


「倉に、って……。官邸の倉に忍び込むんですか!?」

 素っ頓狂な声を上げると、


「他に、どこの倉に忍びこむ必要があるんですか?」

 と、季白に呆れた目で睨まれた。


「で、でも、倉に忍びこむなんて、万が一にでも見つかったら……っ」


「明順チャンってば、オレのこと心配してくれてるの? やっさし~♪」

 安理が弾んだ声を上げる。


「でも大丈夫だよ~。まあ、警備は厳しいだろうけど、外からじゃなく、もうすでに、官邸の中にいるんだし。バレるようなヘマはしないって♪」


 安理は笑顔であっさり請け負うが、そういう問題ではない。

「そもそも、どうして官邸の倉に忍びこむ必要があるんですか?」


「もちろん、確証を得るためです」


 さも当然とばかりに季白が言うが、明珠にはさっぱりわけがわからない。と、龍翔が苦笑する。


「季白。明順にもちゃんと説明してやれ。明順が品物の一覧表を作ったおかげで、気づいたのだろう?」


「一覧表は明順だけで作ったものではございませんが、龍翔様がそうおっしゃるのでしたら……」


 季白が茶の器を傾けて唇を湿らせる。


「明順。あなたに、賊が侵入し、倉が火災に遭ったことで失くなった物、残った物の一覧を作ってもらいましたが……」


 季白が切れ長の目を、す、と細める。


「多すぎるのですよ。失くなった品が」」

「え? でも、燃えたんですから、当然じゃ……?」


「いえ、それを抜きにしても、燃えたか盗まれたかして失くなった物が多すぎるのです。しかも、嵩が低くて高価な品ばかりが。本来なら燃え残るべき金属製の宝飾品なども、ごっそり失くなっているのです」


「じゃあ、それは盗まれたとか……?」

 明珠の言葉に、季白がゆっくりとかぶりを振る。


「しかし、警備兵の話を聞く限り、大量の荷物を運び出す時間はなかったはずです。……襲撃の際には」


「はあ……」

 季白が思わせぶりに言葉を切る。まだ話が掴めない明珠は、あいまいに頷いた。


「張宇や安理が調べたところ、官邸から大量に荷物を運び出したという目撃情報も得られませんでした。ということは、燃えたのでなければ、残る可能性はただ一つ」


 季白がぴんと人さし指を立てる。


「倉に納められていた品物は、まだ官邸内にあるということです」


「ええっ!? つまり、盗まれていなかったってことですか!?」

 驚いて大声を上げると、季白が「いいえ」と首を横に振る。


「品物は官邸内にあっても、盗難されたことになっているのですよ。


「?」

 明珠にはわけがわからない。

 きょとんとしていると、季白が吐息と共に説明してくれる。


「官邸に献上された品物はすべて、王都にいらっしゃる皇帝陛下へと輸送しなければなりません。まあ、総督の取り分として、多少は残しますがね。ですが、建前はすべて皇帝陛下への献上品なのです」


 その話は以前に聞いた記憶がある。

 高価な品々を守って、王都まで行かねばならぬのは大変そうだと思ったものだが。


「しかし、やんごとない事情で、献上品が送れない事態になったらどうします? しかも、焼失したはずの献上品は実は別の倉に移動されただけで、書類上はないはずのそれらを売り払うことができたら?」


「いや~、元手なしで大儲おおもうけだねっ♪」

 安理がにへら、と楽しそうに笑う。


「だが、官邸に賊の侵入を許したとなれば、総督の評価の下落は免れまい。いくら莫大な金額になるとはいえ、官僚としての出世に響くような真似をするものか?」


 疑問を挟んだのは張宇だ。


「確かに、範総督にとっては、名に傷がつく危険がある行為でしょうね」


「では、官邸を襲撃させたのは、副総督の貞の仕業だと? 確かに、副総督ならば、総督ほど責任は問われぬだろうが……」


「まあ、以前に話したように、龍翔様を乾晶に派遣させるため、何らかの裏取引がされていたのだとしたら、総督の仕業でもわたしは何も驚きはしませんがね」


 張宇の言葉に、答えた季白の声音は、氷のように冷ややかだ。


「ですが、今、述べたことはあくまでわたしの推測に過ぎません。ですから、安理には、一覧表に書かれていたものが、倉の中に納められているかどうか、確認してもらいたいのですよ」


「了解~♪ ま、大船に乗ったつもりで、安理サンに任せなよ♪」

 安理がすこぶる気安く請け負う。


「しかし……。季白の推測が当たっていたとしても、官邸の倉というのは、厄介だな……」


「そこまで考えてのことだとしたら、小賢しいとしか言いようがございませんね」


 渋面で呟いた龍翔に、季白が苦々しく応じる。

 明珠はふたたび首を傾げた。


「え? 盗まれたはずの品物が見つかったら、後は、総督か副総督のどちらが指示したかを確認して、捕まえるだけじゃないんですか?」


「残念ながら、そう簡単にはいかんな」

 龍翔が苦笑し、季白が深く吐息する。


「同じ官邸内の倉というのが、厄介なのですよ。盗まれたはずの品を見つけて追及したとして、「実は地震の後の混乱で、倉に納めていたという帳簿の記録の方が間違っておりました」と謝罪されたらどうします?」


「うっ、それは……」

 明珠は言葉に詰まるが、季白は明珠の返事など期待していなかったのだろう。苦い顔のまま続ける。


「「一部の品は、偶然、襲撃の前日に移動していましたが、官邸襲撃の混乱で、報告が食い違っておりました」など、いくらでも言い訳のしようがあるのです。あちらも、不都合な書類はとうに焼き捨てているでしょうし、品物の運搬に携わった下男や兵士達は、何も知らされていないでしょうしね。箱に入れてしまえば、中身が何か、知るすべはありませんから。官邸の外に持ち出していれば、追及のしようはいくらでもあったのですが……」


 季白が大きく溜息をつき、龍翔が、


「だが、わたし達がいる間は、警戒して、官邸から運び出さぬだろうからな」 

 と苦い声で呟く。


「さすがに、官邸の警備兵に倉を壊させたということはあるまい。官邸襲撃が自作自演ならば、範か貞と手を結んで、倉を壊した術師がいるはずだ。その者を捕まえ、証言させられれば……」


「あの~、龍翔サマ。その賊のことなんスけど……」

 手を挙げ、悪戯っぽく笑ったのは安理だ。


「明日、昼くらいまで、明順チャンを借りてもいーっスか?」


「へっ? 私ですか?」


「うん♪ 先日の、二人組の賊らしいのを見つけたんだけどね。賊の顔を見たのは明順チャンだけだから、間違いなく賊かどうかの確認を……」


「ならん!」

 龍翔の厳しい声が、安理の言葉を断ち切る。


「明順を官邸から出すのは許さん! 陽達などという、得体の知れぬ者が明順を狙っているというのに……! 首実検というのなら、似顔絵があるだろう?」


「あの似顔絵、ほんと役に立ったっスよ! こんなに早く探し出せたのも、似顔絵のおかげっス。けど~」


 と、安理が、試すような視線を龍翔に向ける。


「龍翔サマのお望みは、他に先んじて、かつ密かに賊を捕らえることなんスよね? となると、万が一、間違いだった場合、大変なことになりますし……。たたでさえ、術師二人を相手にしなきゃならないんスから、オレとしては、あっちに警戒される前に、明順チャンに確認してもらって、一気に仕掛けたいんスよね~」


「あの、私でお役に立てることがあるなら……」


 申し出ようとすると、隣に座る龍翔に強く手を掴まれた。

 黒曜石の瞳が剣呑な光を宿す。


「安請け合いするな。お前に危険な真似をさせる気はない。そんな事態は、わたしが許さん」


「で、でも……」


 賊を捕らえるのは急務のはずだ。明珠が賊の顔を見たおかげで、先手を打てているものの、官邸の兵達だって、賊の行方を追っている。先に捕らえられるわけにはいかない。


 何より、龍翔のために役立てることがあるならば、明珠にしないという選択肢はない。それに。


「官邸に忍び込んで、倉を壊すなんて、悪いことだってわかっています。けど、あんな子どもが、何の理由もなく、悪いことに手を染めるなんて……」


 明珠は、祈るように尊敬する主を見つける。


「龍翔様が賊を捕らえられたら、そうした事情まで、ちゃんとご考慮くださるでしょう……?」


「まったく、お前は……」

 明珠の手を握ったまま、龍翔が顔をしかめて嘆息する。


「子どもとあれば、賊にでも情けをかけるのか」

「す、すみま……」


「よい。謝るな。そういう甘いところもお前だと、ちゃんと承知している」


 つないだ指先に力を込めた龍翔が、にこりと微笑む。と、安理に視線を向けて宣言する。


「というわけだ。明順が町へ出るのなら、わたしも共に行く。術師を捕らえるのなら、わたしが出るのが、一番、確実だろう?」


「それは、その通りでございますが……」


 渋面で季白が考え込む。

 が、わずかに逡巡しただけで。


「かしこまりました。では、龍翔様にお任せいたします」

 何やら決意した様子で季白が頷く。


「安理。明日はあなたに任せましたよ」


「えっ、ほんとにいーんスか? 季白サンったら、だいたーん♪」


 おどけた様子で返した安理に、季白の目がきらりと光る。


「ええ。あなたの責任は重大ですよ。まあ、まずは今夜、倉の中を確認するところからですが……」


 なぜだろう。季白の眼差しに鬼気迫るものを感じて、明珠はひそかにおののいた。


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