47 賊を捕らえるのは簡単にはいきません!? その1


「どう? 明順チャン、見える?」


 安理が持つ手鏡を、明珠はそっとのぞき見た。

 細い路地を挟んだ向こうの窓辺に座る、鏡面に小さく映し出された人物は。


「はい! この子です! 官邸に忍び込んだ賊の一人は、この子で間違いありません!」


 きっぱりと頷く。


 先ほど、安理に連れられ、あまり柄の良くなさそうな居酒屋の二階に案内された時は、何事かと思ったが。

 ちなみに、案内された時、龍翔は柳眉をしかめて安理を詰問したが、


「やっだな~。龍翔サマ、ここは別に、いかがわし~店なんかじゃないっスよ~? ちょうどこの店の二階から、お目当ての二人が泊まっている部屋が見えるんス」


 と、にやにや笑う安理に説明され、不承不承、頷いた。


「安理。よく見つけた。ご苦労だったな。明順も、助かった」


 龍翔が安理と明珠をねぎらってくれる。窓辺から離れた明珠は、おずおずと龍翔に歩み寄った。


「龍翔様、その……」


 これは、明珠のわがままだ。加えて、正しいことでもない。

 自覚しつつ、それでもすがるように龍翔を見上げる。と。


 まるで、明珠の心を読んだかのように、優しく笑った龍翔が、安心させるように明珠の頭をでる。


「大丈夫だ。厳罰に処すつもりはない。罪を問わぬわけにはいかぬが、お前がちゃんと納得できるよう、公正に処そう」


 安理が意外そうな声を上げる。


「あれっ!? いーんスか? 明順チャンのむ――」

「賊の前に、お前を罰した方が、よさそうだな」


 ひやり、と龍翔から冷気が立ち昇る。が、安理は笑顔を崩さない。


「えーっ、今っスか? 賊に逃げられちゃうっスよ? せーっかく明順チャンが足を運んでくれたのに?」


 龍翔が泥水でも飲まされたように、秀麗な面輪をしかめる。


「……で、どう捕らえる気だ?」

 諦めの吐息とともに、龍翔が安理に問う。


「そりゃ~、気づかれていないんなら、奇襲がいーんじゃないっスか? 見たところ、賊は二人しかいないようですし。オレが宿に入って扉側から、龍翔サマが、逆の窓側からでどうっスか?」


 居酒屋と宿屋の間には、細い路地が通っている。人通りはさほどないが、もし窓から逃げられたら厄介だ。


 大通りから入ったこの辺りは、細い路地が入り組んでいて、土地勘のない明珠は、もし賊に逃げられたら、追える気がしない。


 安理が明珠をちらりと見る。


「ただ、問題は明順チャンなんスけど……」

「この店にはおいておけんぞ」


 龍翔がきっぱりと言い切る。

 夕べからの居残り客か、それとも朝っぱらから呑みに来ているのか、まだ早朝だというのに、一階の居酒屋には何人かの酔客がいた。


 生真面目な龍翔は、そんな店で、年頃の娘を一人で待たせるわけにはいかないと思っているらしい。


「馬車で待たせるにしても、預けた宿とは距離があるしな……。こんなことなら、張宇も連れてくればよかったか……」


「あの、私でしたら、このお店で待たせていただきますけれど……」


 酒楼の厨房ちゅうぼうで働いていたこともあるので、酔っぱらいには多少慣れている。

 難しい顔で呟く龍翔に申し出ると、即座に「駄目だ」と厳しい顔で却下された。


「お前の安全が気になって、賊どころではなくなる」

「す、すみません。頼りなくて……」


 しゅん、と肩を落とすと、龍翔があわてたようにかぶりを振った。


「そうではない。慣れぬ街だ。どんな危険が潜んでいるか知れぬ。お前にもしものことがあっては、己が許せん」


 龍翔の長い指先が明珠の手を取る。


「明順。お前はわたしのそばにいろ。自分の手の届くところにお前を置いておくのが、結局、一番安心する」


「わかりました」

 明珠に否はない。


「じゃ、さっそく乗り込むっスか♪」


 安理が楽しげに告げ、三人そろって階下に降りる。

 安理が居酒屋の店主に心付けを渡し、ごみごみした路地へ出た。賊が泊まる宿の入り口は、居酒屋のすぐ前だ。


 術師を相手にするためだろう。龍翔が《視蟲しちゅう》をび出し、安理の眉間に止まらせる。


「明順。お前はわたしの後ろから出るなよ」

 龍翔がつないだままの手に、力を込める。


「んじゃま、ちょっくら行ってくるっス~♪」


 これから術師を相手にするとは思えない気軽さで、安理が宿屋へ入っていく。

 かと思うと。


 ばきょっ! と、固い何かが無理矢理、折られたような異音が響いた。


 龍翔が身構え、油断のない視線で賊が泊まっている部屋の窓を見上げる。

 安理が入ってからの時間が短すぎる。まだ部屋についてさえいないはずなのに、何事だろう。


 何だ何だ、と道行く人が騒ぐ声に混じり、


「すんませんっ! 逃げられましたっ!」

 珍しく、安理の焦った声が届く。


 同時に、通りの少し先、宿屋の隣の民家の屋根に、二つの人影が飛び出したのが見えた。

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