8 英翔様が二人です!? その4


「えっ! 私も座るんですか!?」


 天幕の二つ目の部屋。

 卓についた龍翔達に、鍔将軍の従者が持ってきてくれた飲み物を給仕していた明珠は、終わったところで席につくよう龍翔に言われて驚いた。


「当り前だ。解呪の鍵を握っているのはお前だからな。お前にも、しっかり話を聞いてもらわねばならん」

 青年姿の龍翔が告げる言葉はもっともだが……。


「あの、そこどう見ても上座なんですけど……?」


 龍翔が示したのは、龍翔の右隣の椅子だ。左隣には季白が、さらにその隣には鍔が座っている。


 龍翔の右隣なんて、どう考えても、この中で一番身分が低い明珠が座っていい席ではない。むしろ、話を聞くだけなら、壁際に立っていた方が気が楽だ。

 が、六人掛けの卓で空いている席はそこしかない。

 まごついていると、龍翔が催促してくる。


「わたしが許しているのだ。遠慮することはない。それとも、鍔の隣の方がいいか?」

 いたずらっぽく笑う龍翔の言葉に、鍔を振り返ると、ちょうど目が合った。


 鍔将軍は熊のように大きな身体といい、右頬に傷のあるいかめしい顔といい、ぱっと見た感じは、思わず身構えてしまうような外見だが、明珠を見つめる眼差しは、意外なほど優しい。

 何より、龍翔が信頼しているのだ。悪い人物であるはずがない。


「鍔様がお許しくださるなら、鍔様のお隣がいいです」

 少なくとも、龍翔の隣よりは下座だ。


 答えると、鍔が目を見張り、龍翔が不機嫌そうに眉をしかめた。

「椅子を動かすのだ面倒だ。いいから、ここへ座れ」


 龍翔の長い指先が伸びてきたかと思うと、明珠の腕を掴んで、問答無用で隣に座らせる。


「龍翔様!? これ、聞いた意味がないですよね!?」


「ぷ――っ、くすくす」

 こらえきれないとばかりに、安理が吹き出す。


「細かいことはいい。それより、鍔と安理。報告を頼む。昨日、泊まった宿の主人から、一度、官邸が襲撃されたものの、その後、乾晶では特に騒乱は起こっていないと聞いているが、いったい、状況はどうなっている?」


 りんとした龍翔の声に、場の空気が引き締まる。

 鍔がかしこまった様子で口を開いた。


「我々が乾晶の一つ前の町に着いたのは、蚕家で龍翔様とお別れして二十日ほど後です。乾晶の反乱の続報がなかったため、新兵の訓練と時間稼ぎもかねて、ゆっくりと行軍しましたので……。そこで数日がかりで橋を架け直し、乾晶で宿営地を築いたのは、先ほども申し上げました通り、三日前です。着いたその日にわたしと安理で官邸に赴き、総督のはん殿と副総督のてい殿に挨拶をいたしました」


 明珠達は蚕家からここまで、約十日の馬車の旅だったが、軍の主力は歩兵だ。徒歩の行軍となれば、馬車よりはるかに時間がかかる。


「乾晶の現状はどうなっている? 総督の範は、どのような人物だ?」


「街に入ってみた様子では、人々はふだんと何ら変わらぬように感じました。商業の街だけあって、活気があり、旅人の姿も多く……。武装した警備兵が殺気立って市内を巡回しているという様子もありませんでした」


 龍翔の問いに答えた鍔が、安理に視線を向ける。

 安理は軽い様子で頷いた。


「オレが見た感じでも、街の雰囲気は、反乱が起こってピリピリしてるって感じじゃなかったっスねえ。襲撃を受けた官邸は、塀がぶっこわれてて、絶賛修理中でしたけど。まあ、そこは官邸へ行ってからお確かめくださいってことで」


 へら、と笑った安理が言葉を続ける。


「で、総督の範っスけど、いかにも貴族って感じの六十過ぎのジジイでー。官邸が襲撃されて、犯人もようとして知れなくて、街の安全を守るために派遣軍を要請したってあわあわしながら言ってましたけど、アレ、嘘っスね。民のことなんか考える人格者がなさそーですもん。きっと、自分の身を守ろうとして呼んだんっスよ。なんか、官邸を襲撃したのは堅盾けんじゅん族って噂も流れてるみたいですし」


「堅盾族の噂はわたしも聞いた。それは確かな情報なのか?」

 龍翔に視線を向けられ、安理は肩をすくめた。


「あくまで噂っス。そもそも、犯人が捕まっていないんスから、確かめようがないっスよ」


「ですが、そんな噂が流れたというからには、何らかの痕跡や証拠があったということでしょう? 裏取りはとれていないのですか?」

 口をはさんだ季白に、安理が大仰に顔をしかめる。


「オレ、三日前に乾晶に着いたばかりで、その上、龍翔様に化けて、ずっと宿営地にこもりきりだったんスよ!? さすがに無理っス! オレを何だと思ってるんスか!」


「龍翔様の手足である隠密」

「龍翔様の逆鱗にふれるのを恐れず突っ込んでいく様には、肝が冷える。頼むから、怒りは一人で受けてくれ」

「役立つのはわかるのだが、その……。影武者の時と、素の時の落差がな。戸惑うというか……。精神的に、疲れる」


「ちょっ!? ひどっ!? オレの扱いひどくないっスか!?」


 季白だけではなく、続けて口を開いた張宇と鍔の言葉に、安理が涙目で抗議の声を上げる。


 明珠は吹き出しそうになったのを何とかこらえた。

 芝居がかった安理の声に、苦笑したのは龍翔だ。


「安理。お前は優秀なわたしの隠密だ。そうだろう?」

 声音はいたずらっぽく――だが、黒曜石の瞳が、真っ直ぐに安理を見つめる。


「あー……」

 小さく呟いた安理が、照れたように頭をがしがしと掻いた。


「龍翔様にそう言われちゃあ、頑張るしかないじゃないっスか。さっき、貞に供の人数は四人って答えてたってことは、当然、オレも頭数に入ってるんでしょう?」


「もちろんだ。頼りにしているぞ、安理」

「あー、もう。龍翔様にはかなわないなあ」

 苦笑した安理が、「ところでっ」と、声を弾ませる。


「四人の内、一人は龍翔様と同室にして、後の三人は一室に押し込んでおけっておっしゃってましたよね? ってゆーことは、明珠……じゃなかった、明順を同室にするってことっスよね!? いーなぁ~っ! オレも可愛い女の子と同室がいいっス! 龍翔様だけズルイ!」


「えっ!?」

 安理の言葉に、目が点になる。


「私、乾晶に着いたら明珠に戻るんじゃないんですかっ!?」

 てっきり、男装の明順は、身分を隠さねばならない旅の間だけかと思っていたのだが。


 明珠の言葉に、季白が呆れたように顔をしかめる。


「何を言っているんですか。乾晶にいる間、あなたには「明順」でいてもらいますよ」

「ええっ!? 聞いてません!」


「失礼な!」

 季白の視線が鋭さを増す。


「ちゃんと言いましたよ。、明順でいてもらいます、と」

「あ……」


 確かに、それは聞いた覚えがある。

 ただ、明珠は「しばらく」を「旅が終わるまでの間」なのだと、勝手に思い込んでいた。

 季白が厳しい声のまま、続ける。


「そもそも、旅の間よりも乾晶に滞在している間の方が、警戒しなくてはならないのですよ。思いがけない来客や、刺客の襲来もありえるのですからね。間違っても、龍翔様に禁呪がかけられていることを、外部に知られるわけにはいきません。もし、あなたの失態で龍翔様の秘密がばれてごらんなさい」


 ひやり、と季白の視線が鬼気を帯びる。


「あなたは解呪の目途めどがつくまで生かしておいてやりますが、それ以外の一族郎党は、皆殺しにして罪をあがなわせますからね?」


「ひいぃっ!」

 喉元に抜身の刃を突きつけられたような恐怖を感じて、悲鳴を上げる。


「大丈夫だ、明珠。そんなことは、わたしがさせん」

 隣に座る龍翔が手を伸ばし、血の気の引いた手を握ってくれる。

 大きな手の温かさと力強さに、強張っていた心が、少しだけ緩む。


「季白はああ言ったが、もし何か起こっても、お前に責を負わせるつもりはない。何より、誰よりも注意せねばならぬのは、お前ではなく、禁呪をかけられたわたし自身だろう?」


「そうかもしれませんけど……」

 自分が失敗する様は、ありありと想像できるが、龍翔が失敗するところなど、まったく全然、想像できない。


 龍翔が優しく笑って、明珠とつないだ右手に力を込める。

「それに、季白や張宇、安理もついてる。滅多なことは起こるまい」


「何か気になることがあったら、いつでも頼ってくれていいんだぞ。季白の厳しい物言いはいつものことだから、あまり気にするな」

 明珠の右隣に座る張宇も、優しくはげましてくれる。


「張宇さん……! 張宇さんにそう言ってもらえると、何だか大丈夫な気がしてきました!」


「幻覚です!」

 一瞬、浮き上がった心を、季白の冷ややかな断言が叩き落す。


「張宇がいるからといって、気を抜いていい理由にはなりません! 特に、あなたは何をしでかすか、予想がつかないのですから!」


「まーまー、季白サン。そんなにカリカリしなくったって。オレだってついてるんだしさ~」

 笑って季白をなだめたのは安理だ。


「これからよろしくねっ、明珠チャン♪ 仲良くしよーぜ、イロイロと♪」


「あっ、はい。こちらこそ、よろしくお願いします。……ってあの、龍翔様。どうして両手をつかむんですか! 放してください!」


 握手を求めて差し伸べられた安理の手に応えようとしたが……。なぜか、龍翔に両手をがっしりと握られる。


「ぷーっ、くくくく! あ、やべえ。オレ、腹がねじ切れそう……」

「その前に、私に腹をかっさばかれんよう、気をつけろよ?」

「ちょっ!? 龍翔様!? 何を物騒なことおっしゃってるんですか!?」


「ぶはっ! やばい、もう笑い死にしそう……っ」


 ぶくくくくっ、と腹を抱えて笑い転げる安理と、憮然とした顔で明珠の両手を握る英翔に、何と言えばいいかわからず、明珠は途方に暮れて、二人を交互に見た。


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