32 これは何の修羅場ですか!? その1
龍翔の足取りは、逃げるかのように速い。ほとんど小走りだ。
団子屋の前を通り過ぎようかというところで、ばたばたと真向かいから走ってくる三人の自警団の若い男達とすれ違った。皆、
「手勢が増えたか……」
龍翔が厄介な、と言わんばかりの声で呟く。
大通りまで出て、ようやく龍翔は歩調を緩めた。それでもまだ、足取りはかなり速い。
人目を集めるのも構わず、明珠達三人は、人ごみの間を縫うように進んで行く。
「……尾行されていますね」
大通りに入って間もなく、
「まきたいところだが……。あちらの方が土地勘があるだろうからな」
龍翔が背後をちらりと見たのに合わせて、明珠も振り返る。
人込みの向こうに、陽達の長身がちらりと見えた。張宇に投げ飛ばされていたが、すぐに動ける程度だったのだと、ほんの少し、ほっとする。
陽達以外の自警団の者はいないようだ。
「追い払ってまいりましょうか?」
何でもないことのように尋ねる張宇の穏やかな声に、龍翔がわずかに悩む。
「そうしたいのはやまやまだが……。自警団というのは、嘘ではないようだからな。こちらから手を出して、捕縛されてはたまらん」
龍翔の視線が明珠に移る。
「明珠。あの陽達という男は、本当に面識のない奴か?」
「は、はい! 記憶にある限り、一度も会ったことはありません!」
こくこくと頷くと、龍翔の形良い眉がきゅっと寄る。
「何者だ、あの男……? 明珠を知っているようだったが……。初めて訪れたこの街で、「明珠」を知っている者など、いるはずがない。……いったい、誰と間違えている?」
龍翔の呟きに、「明珠とは本当の名か⁉」と、切羽詰まったように問われた声がよみがえる。
本当も何も、明珠は生まれた時から明珠だ。
だが、陽達は、明珠の名前が他にあると信じ切っている様子だった。
祈るように問うた声が、耳から離れない。
「……すぐに手を出してくる気はなさそうだな」
「あちらも、大通りで騒ぎを起こすのは避けたいのでしょう」
早足で歩きながら、龍翔と張宇が低い声で交わす。
もう一度、振り返ろうとした明珠は、ぐいっと龍翔に手を引かれた。
「見るな。知り合いではないのだろう?」
「は、はい……」
「なら、お前が見る必要はない」
有無を言わさぬ声に、頷くしかない。
龍翔の歩みは、子どもとは思えぬほどに足早で、久々にくるぶしまである女物の着物を着た明珠は、うっかりしていると、裾に足がとられそうになる。
土地勘のない明珠には、宿まであとどのくらいの距離が残っているのか、さっぱりわからない。
「張宇。一本中に入るぞ。明珠は、一言も話すな」
無言でどれだけ歩いただろう。
不意に、龍翔が告げたかと思うと、手近な路地の角を曲がる。
人気のない細い道をいくらか進み。
「いい加減、追いかけ回すのはやめてもらおうか」
足を止めた龍翔が、明珠を庇うように立ち止まり、後ろを振り返る。
三人を追っていた足音も、同時に止まる。
振り返った先にいたのは、もちろん陽達だ。だが、張宇と龍翔が明珠の視線をさえぎるように前に立っているので、ろくに見えない。
「尾行したのは謝る! だが、危害を加えるつもりはない! オレはただ、明珠と――」
「わたしの侍女を気安く呼ぶな」
不快さを隠そうともせず、龍翔が吐き捨てる。
「明珠は、お前などまったく知らぬと言っている。どこの誰と勘違いしているか知らんが、これ以上、関わるな」
「そんなわけはないっ! いや、明珠は覚えていないのかもしれないが……っ」
魂を振り絞るような声とともに、陽達が一歩踏み出す。
張宇が腰を落として、油断なく構えた。
明珠には、陽達が何を言いたいのか、欠片たりともわからない。
ただ、胸に迫るような叫びが、明珠だけを見つめる眼差しが、このまま放ってはおけないと、心に訴えてくる。
じっくりと陽達の話を聞けば、もしかして、明珠が役に立てることがあるのではないだろうか。
無意識に一歩踏み出した身体が、龍翔の背にぶつかる。磁石に引かれる砂鉄のように、陽達も一歩踏み出し。
「――安理」
「はいは~い♪」
突然、近くの家の屋根から、安理が軽やかに陽達の眼前に降り立った。
完全に不意打ちだったのだろう。陽達が驚愕に顔を強張らせて、じり、と一歩下がる。
陽達と明珠達を交互に見た安理が、わくわくと楽しそうに口を開く。
「何スかこれ。オレがちょーっと離れてたうちに、何の修羅場になってるんスか?」
「そいつは、自警団団長の陽達というらしい。ついさっき、出くわした」
龍翔の声に、陽達を振り向いた安理が、「ああ」と声を上げる。
「確かにそーっスね。見たことあるっス」
「……偽物を
龍翔が低く呟く。
「で、自警団の団長サンがどーしたんスか?」
「何者だ、お前は!? 邪魔をするなっ!」
ようやく我に返り、怒鳴る陽達に、安理はにへら、といつもの軽い笑顔を返す。
「誰って……。アンタがご執心の明珠チャンの、ごく近しい人?」
「近しくないだろう」
「そうですね。むしろ、遠ざけておきたいといいますか」
「ちょっ、ひどっ!
そんな場合ではないだろうに、安理がよよよ、と泣き真似をする。
「ふざけるなっ! 邪魔をすると……」
「邪魔?」
苛立った陽達の声に、安理の声がかぶさる。
聞いた覚えのない安理の低い声に、ぞわりと明珠の背筋が
「邪魔はどっちだか。主のせっかくの楽しい休日を、無粋な真似で潰すなんて――」
安理が
「よほどの命知らずだな。なら、ご主人サマの雷が落ちる前に、この安理サンが、身の程を教えてやるよ♪」
「後は任せたぞ。ああ、ついでに、その男の目的が何か、吐かせておけ。もう二度と、その顔を見ずに済むようにな」
一方的に命じた龍翔が、明珠の手を引いてきびすを返す。
「英翔様⁉ まさか、安理さんに……っ」
進むものか、と踏ん張ると、龍翔が、「そういえば」と安理を振り返る。
「その男、《
「えーっ! 術師相手にさっきの要求は、ちょっと無茶振りじゃないっスか?」
安理が軽い口調のまま、顔をしかめる。
明珠は安理の実力がどれほどのものなのか、全く知らない。だが、一般人が術師に勝てるものなのだろうか。
「《大いなる彼の眷属よ。汝は盲いた
明珠が召喚した二匹の視蟲が、ふわりと羽ばたき、安理と張宇の額に止まる。 《視蟲》の羽を通せば、術師でなくとも《蟲》の姿を捉えることができる。
「わーお、明珠チャンやっさし~♪」
「《視蟲》……!? やはり術を……っ!」
ふらり、と明珠に引き寄せられるように踏み出した陽達の前に、安理が立ちふさがる。
「ざんね~ん♪ お姫サマにお目通りしたかったら、三枚の城壁を突破してもらわなきゃね~♪」
「どけっ!」
陽達の目が怒気に染まる。が、明珠は見続けることはできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます