33 花ならば、まだ愛でられる その3


「――で?」


 馬車が動き出してすぐ、龍翔は向かいの安理に視線を向けた。

 今は季白が御者台にいるので、珍しく張宇が明珠の向かいに座り、安理がその隣にいる。


「陽達とやらは、どうなった?」


「逃げられちゃいました♪」

 あっさり、笑顔で告げた安理を、龍翔がにらみつける。安理は、


「だぁってぇ~」

 と、子どもみたいに唇をとがらせた。


「自警団の団長を務めているだけあって、そこそこの手練てだれだったんスよ!」


 安理が困り顔で肩をすくめる。


「さすがに自警団の団長相手に、大通り近くで荒事は難しいっスよ。下手したら、こっちが捕まるっス。ま、捕縛されても、龍翔サマのお力で、ぱぱーっと牢屋から出してもらえるんでしょーけど……」


「総督に、余計な弱みを握られたくはないからな」


 思わせぶりな安理の視線に龍翔が渋面で頷く。

 我が意を得たりとばかりに、安理がにへら、と笑った。


「でしょー? ま、所属と名前がわかってりゃ、逃したってすぐに調査できるんで、今日のところは、深追いはやめておいたっス」


「……それを理由に、手を抜いたんじゃないだろうな?」


 胡散くさそうに尋ねる龍翔に、安理は「ひどっ!」と芝居がかった仕草が顔をしかめる。


「大事な明珠チャンに関わるコトなのに、手抜きなんてするワケないじゃないっスか! ホント、明珠チャンがもしあの場に残ってたら、引きそうにない剣幕だったんスから!」


「確かに。明珠に見せるあの執着は、何なんだろうな……?」


 吐息混じりに呟いた張宇に、安理があっさりと答える。


「一目惚れとか?」


「そんなもの認められるかっ!」

「そんなわけないですよ!」


 はからずも龍翔と叫びが二重になる。


「ほんとに陽達さんに見覚えがないんです! どうして陽達さんが私を知っているのか、心当たりが、まったくなくて……」


 もしかしたら、幼い頃に会ったことがあるかもしれないとも思ったが、記憶を探る限り、出てこない。


「陽達が一方的に明珠を知っているということか……? 明珠の母親や、遼淵りょうえん殿を通じて知っていたとか……?」


 張宇が腕組みをして呟く。龍翔が溜息をついて答えた。


「……遼淵の場合、どこでどう、誰から恨みを買っているか、知れたものではないからな……。だが、遼淵の線は薄いだろう。明珠が遼淵と血のつながりがあると知っている者は、ほんの数人だ。乾晶にいる者でとなれば、我々くらいだろう」


「あの……」

 明珠は、おずおずと口を開く。


「誰かと人違いしているという可能性は、ないんでしょうか?」


 三人の視線が集中し、明珠はあわてて説明する。


「その、私の名前をきいて、ひどく驚いていたようでしたし、私自身は、陽達さんに見覚えはありませんし……」


「だが、人違いというなら、いったい『誰』と間違えたのだ?」


 答えを探すように黒曜石の瞳で見つめられ、明珠は居心地の悪さに視線を逸らす。


「そ、それはわかりませんけれど……」


「昔の恋人とか?」

 安理がまぜっ返し、龍翔に刺すような目で睨まれた。


「確かに、明珠への執着はただごとではない感じでしたね」

 張宇の言葉に、陽達と交わしたやりとりを思い出す。


 力の加減を忘れるほど、必死に伸ばされた手。思いつめた声――。


 たとえ、明珠自身が陽達が求める者でなくても、何とかしてあげたいと思わずにはいられない必死さに満ちていた。


「明珠」

 不意に、龍翔に右手を強く握られ、我に返る。


「もしかして、陽達をなんとかしてやりたいなどと、考えているのではなかろうな?」


 まるで心の中を読んだように問われ、びっくりする。


「そ、その。もし人違いなら、教えてあげた方がいいかと……」


 明珠の答えを聞いた龍翔が、呆れたように吐息する。


「人が好いのはお前の美点だが、無防備に過ぎる。もし、これが何かの罠でお前を狙うものだとしたら、どうする気だ?」


「そんな、私などを……」


 狙われるとしたら、龍翔の方だろう。

 明珠を狙っても意味はない。


「とにかく」


 龍翔の強い声が、明珠の呟きを断ち切る。


「お前に害を為すやも知れぬ者を、放っておくわけにはいかん。安理と張宇は、陽達の人となりや、自警団団長としての働きなどについて調べろ。奴が何を求めているのかについてもな。明順、お前は」


「は、はい!」


 明珠は背筋を伸ばして龍翔の言葉を待つ。

 龍翔が厳しい声で告げる。


「お前は官邸の表へは出るな。もともと出ていないので大丈夫だと思うが……。うっかり陽達と出くわしたりしたら、厄介だからな」


「はい、わかりました……」


 厳しい声の裏で、龍翔が明珠の身を案じてくれているのは、嫌でもわかる。

 明珠は陽達に申し訳ないと思いつつも、素直に頷いた。


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