56 かそけき糸を追いかけて その1


「っ!?」


 龍翔の姿を見た晴晶が、息を飲む。

 当たり前だ。目の前の青年が、突如、自分よりも幼い少年に変じたのだから。


「り、龍翔殿下……?」

 おずおずというより、こわごわと、晴晶が口を開く。


「そ、そのお姿はいったい……?」


「わたしには、禁呪がかけられている……。が、他言は無用で頼むぞ? せっかく罪に問わずに済んだというのに、死なれては、目覚めが悪い」


 龍翔の静かな言葉に、晴晶が、蒼白な顔でこくこくと何度も頷く。


 もちろん、龍翔自身は、秘密を知った晴晶をどうこうする気はないが……。季白と安理が知ったら、どう動くか。釘を差しておいたほうがいいかもしれない。

 だが、今は龍翔自身のことよりも。


「晴晶! お前は《感気蟲》は扱えるか!?」


 自分よりも背が高くなった晴晶を振り返ると、晴晶の面輪が情けなさそうに歪んだ。


「扱え……ないことはありませんが、わたしは明珠さんの《気》を知らないので……」


 龍翔は舌打ちしかけたのを、かろうじてこらえる。

 《感気蟲》で明珠の居場所を追うならば、明珠の《気》の質を伝えねば、どうにもならない。さらには、距離が離れてしまうと、追うのはますます困難になってしまう。


「くそっ、こんな時に……!」


 別れる前、明珠から《気》をもらっておけばよかったと悔やんでも遅い。

 が、あれほど憔悴していた明珠からさらに《気》を奪うなど、どうしてもできなかった。


 たった一口だけでも、酔いそうになるほど甘い蜜の香気。

 龍翔ならば、たやすく思い描けるというのに、肝心の《感気蟲》を喚び出せぬとは。


(いったい、どこに消えた!? 明珠――っ!)


 爪が手のひらに食いこみそうなほど、拳を握りしめた時。


 頭上で、風が渦巻いた。同時に、振ってくる慣れ親しんだ声。


「龍翔様!」


 まだ風乗蟲が降りきっていないというのに、張宇が巨体から身を躍らせる。危なげなく、地面に下り立ったかと思うと。


「そのお姿は……!? 何があったのでございますかっ!?」

 張宇が飛びつかんばかりに駆け寄ってくる。


「お怪我などはございませんか!? 敵の襲撃などは……っ!?」


 張宇が矢継ぎ早に問う間に、地面に下りた風乗蟲の背から、季白と安理、そして周康と孝站が降りてくる。


 周康と孝站は、少年姿の龍翔に目を見開いて凍りつき、我に返ってあわてて片膝を地面につく。


「わたしは大事ない。卵は無事、女王蟲のもとへ返すことができた。だが――」


 事実を認めたくなくて、声が震える。


「途中で別れた明珠の姿が、どこにも見当たらん」


「っ!?」

 息を飲んだのは、張宇か、果たして全員か。


 凍りついた空気の中を、龍翔は決然と歩む。立ち止まったのは、呆然と顔を上げた周康の前だ。


「管周康。おぬし、解呪が得意だそうだな?」


「は、はい! 解呪の腕前に関しましては、遼淵様のお墨付きで――」


「手を出せ」

「は?」


 言うと同時に、龍翔は拱手きょうしゅの形を取っていた周康の右手首を、左手で乱暴に掴んだ。

 帯から引き抜いた『破蟲の小刀』で、周康の手のひらを浅く切る。


「なっ!?」


 じわりとにじんだ血を舐めとると、周康が目をこぼさんばかりに見開いて固まった。


 ――不味さしか感じぬ、鉄錆てつさびの味。


 龍翔はそばの地面に唾液ごと血を吐き捨てた。

 酔うほどに甘くかぐわしい明珠の《気》とは、似ても似つかぬ。


「傷は己で治しておけ。……やはり、明珠でなければ駄目なのか……?」


 明珠が持つ《龍玉》が解呪に必要とわかる前から、まるで全身が蜜でできているかのように、明珠は甘く、芳しかった。


 それが解呪の特性ゆえだとしたら、周康は解呪が得意というだけで、解呪の特性は欠片たりとも持っていないのだろう。


 龍翔の禁呪が緩む様子は、微塵もない。


「周康。なぜかはわからぬが、明珠がおらぬ。なんとしても、明珠を一刻も早く取り戻さねばならん。――見つけられるな?」


 否という返事など、認めない。

 黒曜石の瞳で見据えると、周康の顔面が蒼白になった。


「張宇。お前達が来る時、怪しい人影を見はしなかったか? なぜ、明珠が消えたのか、まったくわからん。何でもよい! 何か気づいたことは⁉」


 祈るように、信頼する従者達の顔を見る。


 いったい、明珠の身に何が起こったのか?

 嫌でも恐ろしい想像が心にあふれ出し、立っていられないほどの恐怖に駆られる。


 しっかりしろ、と龍翔は自分で自分を罵倒した。


 いつから、こんな臆病者になってしまったのだろう。

 こんなことで、明珠の行方をつきとめられるわけがない。追い詰められた時こそ、冷静に考え、対処しなければならぬというのに――。


 自分が殺されかけ、禁呪を懸けられた時以上の恐怖が、龍翔の心を侵す。と。


「龍翔サマ。つかぬことをうかがいますけど、《風乗蟲》から飛び降りたりしました?」


 地面に視線を落としていた安理が、不意に口を開く。


「ここに、高いところから飛び降りたような足跡が一つ、残ってるんスよね。さっき、張宇サンが飛び降りたのは、ここじゃないっスし……。大きさからいって、男なのは間違いなさそうなんスけど」


 「男」と聞いた瞬間、閃くようにある顔が龍翔の脳裏をよぎる。

 知り合いなどいないに等しい乾晶で、唯一、明珠に執着していた男と言えば。


陽達ようたつ! もしかして、あいつがわたし達を追ってきたのか!?」


 叫んだ途端、孝站がびくりと身体を震わせる。


「孝站!? 何か心当たりでもあるのか!?」

「そ、その……」


 龍翔の刺すような視線に、孝站が血の気の失せた顔で震える声を出す。


「ま、まさか、その名をいまさら……」

「何を知っているっ!?」


 思わず孝站に掴みかかろうとしたところに。


「龍翔殿下。一つ、確認させていただきたいのですが」


 周康の緊張を孕んだ声が割り込む。


「遼淵様から、明珠様は遼淵様のご息女であるとうかがっております。お間違いありませんね?」


「ああ。だが、それが……」

 邪魔をするなとばかりに睨みつけると、周康が薄く笑んだ。


「師である遼淵様の《気》でしたら、嫌というほど知っております。もしかしたら……《感気蟲》で、明珠様の行方を、追えるやもしれません」


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