3 同室の女性に、贈るもの? その1


 季白の指示でとった部屋は、宿場町の中でも高級宿なだけあって、ゆったりと広い部屋だった。部屋の両端に寝台があり、季白の配慮だろう、部屋の中央には大きな衝立ついたてが運びこまれている。


 一方の壁には、内扉があり、隣にある季白と張宇の部屋につながっている。明珠が張宇に教えてもらったところによると、高級宿に泊まるような貴人は、宿の侍女や下男ではなく、主人の細かな好みまで承知している自らの従者を使いたがるため、高級宿では主人の部屋の隣に従者用の部屋を配し、内扉でつなげている場合が多いらしい。


 それにしても、貧乏人の明珠の感覚からすれば、一介の従者である自分がこんな立派な部屋に泊まっていいのかと、不安を覚えるほどの豪華さだ。三人で暮らしていた実家のぼろ家より、この部屋のほうが明らかに広いし、家具の質もいい。


 季白のことだ。今は従者という身分にやつしているとはいえ、英翔をみすぼらしい部屋に泊まらせるなど、臣下として許せなかったのかもしれない。


 明珠が部屋の立派さにほうけていると、英翔にためらいがちに声をかけられた。


「明珠、その……。本当にいいのか、同じ部屋で。今からでも遅くはない。一人部屋がよければ……」


「とんでもありません!」

 英翔が遠慮がちな申し出を言い終わるより早く、激しくかぶりを振る。


「そんなもったいないお金の使い方をしたら、ばちが当たります! こんな立派な宿に泊まれるだけで、すごいことなのに、その上、一人部屋だなんて……っ。だめですよ、そんなの!」

 拳を握りしめて力説すると、なぜか英翔が疲れた表情で吐息した。


「……うん。つつましいお前なら、そう返してくるだろうとは予想していた……」


 吐息して寝台に腰かけた英翔が、「そういえば」と、ふと思いついたように顔を上げる。


「実家から蚕家までは、数日はかかる距離だったのだろう? その間の宿は、どうしていたんだ?」

「え? 宿ですか? ふつうの安宿に泊まりましたよ? 大部屋で雑魚寝の……」


「雑魚寝だと!?」

 なぜか英翔が目を怒らせる。


「そうです。というか、一番安い宿なら、雑魚寝なんて当たり前らしいですよ? 私はたまたま、王都へ商売に行くっていう行商人のご夫婦と、蚕家の手前で別れる直前まで、ご一緒できて。一人旅なんて初めてで不安だったので、本当に助かりました。奥さんが可愛がってくださって、色々と教えていただけましたし、ほんと、心強くて……」


「そうか。よかったな」

 行商人夫婦の親切を思い出し、口元を緩めた明珠より、よほど安心したような顔で、英翔が頷く。


「年頃の娘の一人旅なんて、危険極まりない。特にお前は、危なっかしいところがあるからな。頼りになる同行者がいてよかった」


「……私、そんなに頼りなさそうですか?」


 これでも、実家にいた頃は、亡き母に代わって家の中の一切を取り仕切り、ご近所さんからは「しっかり者」と評されていたのだが。

 だが、蚕家に奉公してからというもの、「しっかり者」の看板は地に落ちているような気がする。


 たしかに、季白や張宇といった大人の男性からしれみれば、明珠など頼りなく見えて当然かもしれないが。


 本来の姿ではないと知りつつも、少年姿の英翔に指摘されると、かすかな不満が頭をもたげて、唇をとがらせる。


「「頼りない」ではない。「危なっかしい」と言ったんだ」

 かぶりを振った英翔が、てきぱきと指示を出す。


「お前は衝立のあちら側を使え。わたしはこちら側を使う。着替えなど、一人になりたい時は言え。わたしは隣の張宇達の部屋へ行くから」

 英翔が示した先には、隣室へと通じる内扉がある。


 はきはきとした話し方は、いつもの英翔だが……妙に、口調にやけっぱちなものが混じっている気がして、明珠は眉を寄せた。英翔が不機嫌な心当たりと言えば。


「あの……。もしかして英翔様は、一緒のお部屋はお嫌でしたか?」

 寝台に腰かけた英翔に歩み寄りながら尋ねると、英翔が弾かれたように顔を上げた。


「何を言う!?」

 眼差しの強さに、思わず息を飲む。


「嫌だと思うなら、お前の方だろう?」


「へ? 私ですか? そんな、とんでもない! こんな立派なお部屋に泊めていただいて、嫌だなんてありえませんよ! 少年姿の英翔様なら、可愛い順雪と泊まるも同然ですし!」

 ぶんぶんと大きくかぶりを振ると、英翔の黒曜石の瞳に剣呑な光が宿った。


 何かはわからないが、失敗した――。

 やばいと思った時には、手を伸ばした英翔に、強く腕を引かれていた。


「わ! ぷっ」

 つんのめり、寝台の英翔が座った隣へ突っ伏す。綿をいっぱい詰められたふこふこの布団が、明珠の上半身を優しく受けとめてくれる。


「すみませんっ」

 生まれてこのかた、ふれた経験のない、身体が沈みそうな掛け布団に手をとられながら、身を起こそうとする。と。

 英翔に肩をつかまれて、ぐいと押された。


「え、英翔様!?」

 英翔が仰向けに明珠を押し倒す。英翔が明珠の上に身を乗り出し、女の子のように可愛らしい面輪おもわが、近くに迫ってくる。


「ほら。やはりお前は危なっかしい」


「ええっ!? だって、今のは英翔様が引っ張られるから……!」

 今ので危なっかしいと言われるのは不本意だ。

 頬をふくらませて抗議すると、肩から離れた英翔の右手が頬をすべる。


「ひゃっ」

 くすぐったさに声を出した拍子に、頬にためていた空気も洩れる。


「そういう意味で言ったのではない」

 悪戯いたずらっぽく笑った英翔の指先が頬から離れ、明珠の左手首をつかんで布団に押しつける。右手もつかまれているので、両手をふさがれたような格好だ。


「ほら、簡単につかまえられる」

「? 何かの遊びなんですか? 力比べとか?」

 少年姿の英翔となら、いい勝負になるだろう。


 いつの間にか、英翔の黒曜石の瞳から、悪戯っぽい光が消えている。

 思いつめたような、真っ直ぐな眼差し。視線の矢に射抜かれたように、身体が動かなくなる。


 英翔がさらに身を乗り出し、可愛らしい顔が大写しになる。


「これほど簡単につかまえられるのなら、他の者が捕らえるより先に、いっそこのまま――」


 どこか切羽詰まった、熱をはらんだ声。


「え、英翔様?」

 英翔は何を言いたいのだろう?


 戸惑って声を上げたのと、内扉が向こうから叩かれたのが、同時だった。


 英翔が我に返ったように、明珠をつかんでいた両手を放し、身を起こす。

「すまん。たわむれがすぎた」


「い、いえ……」

 明珠は戸惑いつつも起き上がって寝台から下り、内扉を開けに走る。

 扉を開けた先に立っていたのは、大きなたらいを持った張宇だった。


「湯が届いたぞ。すまないな。内湯に入らせてやれなくて」

「とんでもないです。こんなにたっぷりのお湯が使えるだけでありがたいです!」


 張宇が抱えているたらいからは、ほこほこと湯気が立っている。温かいたっぷりのお湯を使えるなんて、実家にいた頃と比べると、明珠にはかなりの贅沢ぜいたくだ。実家では、湯を沸かす薪さえ惜しんでいたのだから。


 張宇が衝立の向こうへたらいを運んでくれる。その間に、英翔は手早く自分の着替えの準備をしていた。


「わたしは張宇達と湯を使ってくるから、気兼ねなくのんびりしていろ。宿の質からして、不審な者が急に入って来る事態はないと思うが……。ちゃんと内扉も廊下側の扉もかんぬきをかけて、わたし達が戻ってくるまで、絶対に開けたりするなよ!? いいな!」


「は、はい!」

 厳しい声で命じられ、こくこく頷く。


「いいか? ちゃんと守るんだぞ?」

 まるで小さな子どもに留守番でも頼むように念押ししてから。英翔は張宇とともに部屋を出て行く。


「……英翔様には、そんなに私が頼りなく見えるのかしら……?」

 だとしたら、ちょっと、いやかなり、情けない。

 だが、指示はもっともだ。明珠は素直に二つの扉に閂をかけた。

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