13 恐れ多くて近寄れません? その2


 退くより先に、腕を掴まれる。

 ぐい、と引き寄せられ、気づいた時には龍翔の腕の中につかまえられていた。衣にきしめられた香の匂いが押し寄せる。


「何をまとおうが、わたしはわたしだ。そうだろう?」


「り、龍翔様!」

 押し返そうとしたが、龍翔の腕は外れない。抗議を込めて見上げると、悪戯っぽい光をきらめかせた黒曜石の瞳にぶつかる。


「見慣れぬというのなら、慣れるまでじっくり眺めるといい」


「こんなに近かったら、お顔しか見れません!」

 言い返すと、すこぶる楽しげに笑われた。


「衣装が見えねば、緊張もせぬだろう?」

「しますよ! こんな……」

 力強い腕に抱き締められて、緊張しない者がどこにいるというのか。


「お放しください! 衣装が崩れたりしたら、季白さんに大目玉を食らいますよ!?」

 季白の名前を出しても、龍翔の腕はゆるまない。


「季白の叱責など、どうでもよい。それより、お前に隔意を抱かれる方が、つらい」


「か、隔意なんて、そんな大層な……! ただちょっと、龍翔様がご立派で、見惚みほれてしまって……」


「見惚れた?」

 龍翔が意外そうな声を上げる。


 うっかりこぼしてしまった、ふれられたくない言葉をおうむ返しに言われて、明珠はさらに焦る。


「あ、当り前じゃないですか! そんな立派なお着物を召されていたら、そりゃあ……っ」


「……なんだ、服にか」

 なぜか龍翔の声が不機嫌に低くなる。


「先ほども言っただろう? 何を着ていようと、わたし自身は変わらん。……何を着ていようと、お前がいつも愛らしいのと同じでな」

「ふえっ!?」


 龍翔に抱き締められていなかったら、膝から崩れ落ちていただろう。

 ただでさえ恥ずかしいところに追い打ちをかけられて、思考が止まる。


 対して、明珠を見下ろす龍翔はどこまでも楽しそうだ。黒曜石の瞳が、子どもみたいにきらめいている。

 すとん、と明珠は得心した。


「わかりました! やっぱり、何を着てらしても、龍翔様は龍翔様です! こんな悪戯される方、龍翔様の他にいません!」


 断言すると、龍翔の口元に満足そうな笑みが浮かんだ。

「もう、よろしいでしょう? 早く放して……」


「すまんが、まだだ」

 身を離そうする明珠に、龍翔が困ったように微笑みかける。


「《気》をもらわねば、宴の間、この姿を保てそうにない」


「っ!?」

 確かに、午前中にくちづけをしてから、優に三刻(約六時間)は経っている。龍翔の要求はわかるが。しかし。


「い、今なんですか……!?」

 今でさえ、もう十分恥ずかしいのに。その上さらに、く、くちづけなんて……。


「ちょっ、ちょっと待ってください! 一度、離れて落ち着かせて……」


「龍翔様? 支度はよろしいですか?」

 季白が隣室から扉を叩く。


「まだだ。もう少し待て」

 返した龍翔が、困り顔で明珠を見下ろす。


「……すまん。お前を困らせる気はなかったのだが……。行きたくもない宴に出る憂さを、ついお前にぶつけてしまった」


「い、いえ……。私などで、龍翔様のお役に立てることがあるのでしたら……」

 明珠をからかって龍翔の気が晴れるのなら、困りはするが、かまわない。


 従者の明珠は暢気に宴に憧れていればいいが、実際に出る龍翔からすれば、気が重く、うっとうしい公務なのだろう。


 そこまで思い至らなかった自分に情けなさを感じてうつむくと、大きな手が頬にふれた。そっと上を向かされる。

 わずかに龍翔の身体が離れ、明珠は胸元の守り袋を服の上から握りしめた。


「すまんが、少し長いぞ?」


「え? あ……っ」

 心の準備が整う前に龍翔の秀麗な面輪が下りてきて、あわてて目を閉じる。


「っ」

 唇にふれた吐息の熱さに反射的に身を引きそうになると、逆に強く抱き寄せられた。

 驚きにわなないた唇を、やさしくふさがれる。


「んん……っ」


 ただでさえ、いつもと違う龍翔の姿に動揺しているところにくちづけをされ、恥ずかしさが限界を突破する。

 頭が真っ白になって、何も考えられない。


 無意識に、龍翔の着物を掴みかけ――絹の着物に変なしわをつけるわけにはいかないと、かすかに残った理性が忠告する。


 かすかな吐息とともに、龍翔の唇が離れる。よろめいた身体を、ふわりと横抱きにされた。


「……お前と比べたら、どんな美酒でも水と同じだな」


 ふわふわとした浮遊感の中で、龍翔の呟きを聞く。ぼうっとする頭が言葉の意味を考えるより先に、再び内扉が叩かれた。


「もうよろしいでしょうか?」

「ああ、かまわん」


 内扉を開けて入ってきた季白が、龍翔に横抱きにされた明珠を見て、顔をしかめる。

「龍翔様! せっかく着つけた衣が乱れるようなことはおやめください!」


「この程度で見苦しいほど着崩れはすまい? なんなら、このまま明順も連れていくか?」


「ご冗談はおやめください。わたくしも張宇も支度は済みました。遅れ過ぎても角が立ちます。明順は安理に任せて、参りましょう」


 よく見れば季白も、後ろの続く張宇も、いつもよりずっと立派な服を着ている。

 季白の言葉に、龍翔が眉を吊り上げた。


「安理だと!? 明順と残るのは、張宇ではないのか?」


「わたくしも張宇も、宴に参加するよう、総督にぜひにと言われております。龍翔様の従者となれば、真っ先に思い浮かぶのはわたくしと張宇ですから。留守番程度なら、安理でも十分かと」


「大丈夫っスよ~、明順チャンは、オレがちゃあんとお相手しておきますから♪ 龍翔様は、心置きなく美酒と美女を堪能してきてください♪」


 張宇に続いて部屋へ入ってきた安理が、にへら、と笑みをこぼす。どことなく、龍翔の悪戯っぽさを連想させるような笑みだ。


「お前の「大丈夫」は信用できん」

 渋面で告げた龍翔が、明珠を抱く腕に力を込める。


「あのっ、お願いですから、いい加減、下ろしてください……っ」

 心の底から、懇願する。

 抱き上げられているだけでも恥ずかしいのに、季白達まで現れては、恥ずかしさで顔が上げられない。


「明順チャンは、オレとお留守番でイイよね~?」

 床に下りたところで安理に問われ、こくりと頷く。


「は、はい。あの、別に一人でも大丈夫ですけど……?」


「あなたを一人にするなんて、無謀なことはできません」

「安理と一緒にするくらいならいっそ……。いや駄目だ。やはり、一人にはできん」


 季白がすごい剣幕で、龍翔が思い悩んだ様子で、それぞれ首を横に振る。

 何だろう。この信用の無さ。と、明珠はほんの少し、哀しくなる。


「いいか、安理。明順に余計なちょっかいはかけるなよ?」

 龍翔がすごみのある眼差しで安理を睨みつける。


「えーっ、ヤダなあ、龍翔様。オレのこと、信用してくださいよ~っ」

「「お前は信用できん」という己の認識を信用しているだけだ」


「くぷーっ! ウマイこと言いますね~」


 ……さっきの言葉は、吹き出して喜ぶ内容だろうか……?

 明珠は疑問に思うが、安理が楽しそうなので、突っ込まないことにする。


 と、不意に龍翔に両肩を掴まれた。前かがみになった龍翔が、明珠と視線を合わせる。


「いいか? こいつは自分が面白いかどうかが、第一の判断基準となる奴だからな。ろくでもないことを言い出したら、口を縫いつけろ。わたしが許す」


「ちょっ、龍翔様。オレまだ明順チャンとろくに話してもないのに、悪い印象を植えつけるのは、ひどくないっスか!? それに、縫いつけるって……。おれに美貌に傷が!?」


「張宇。こいつに鏡を持ってきてやれ」

「水鏡の方がよろしいですか? それなら、沈められますし」

「張宇さん!? 沈めるってなんスか!?」


「……冗談だ」

「その微妙な間がコワイっス!」


 張宇が冗談を言うなんて珍しい。三人のやりとりに吹き出してしまう。

 季白がしかめ面でぱんぱん! と手を叩いた。


「おふざけはそのくらいにして、参りましょう。龍翔様も、今夜は安理で我慢してください。他にいないのですから」

 理性では承知しているのだろう。龍翔が「仕方ない」と吐息する。


「安理も、こんな小娘に手を出すほど、落ちぶれておりませんし」


「季白!」

「季白サン!?」

 龍翔と安理の声がかぶる。


「振り出しだ……」

 張宇が深く吐息した。


「ええと、その……」

 不穏な気配を感じ取って焦る。何か言わねばと、明珠は無意識に龍翔の袖を引いた。目を怒らせて季白を睨みつけていた龍翔が明珠を振り向く。


「お仕事なのは承知しておりますけど……。せっかくの宴なんですから、楽しんできてくださいね。それと、こちらにもお料理を手配してくださって、ありがとうございます!」


 にっこり笑って頭を下げると、諦め混じりの吐息が降ってきた。


「……面倒だが、行かぬわけにもいかんか」

 顔を上げると、龍翔の柔らかな笑顔にぶつかる。


「お前を連れて行けぬのは残念だが……。同じ料理を、お前がどんな嬉しそうな顔で食べているか思い描いていれば、退屈な宴も少しはましに思えるかもしれんな。……いや、余計に中座したくなるか……」


 低く呟いた龍翔が、明珠の頭をくしゃりと撫でる。


「仕方ない。行ってくる。間違いなく深夜になるだろうから、お前は先に休んでおけ。眠る時は、安理は廊下に蹴り出しておけばいい」


「えっと……」

 安理を邪険に扱う龍翔になんと返せばいいかわからず、あいまいに頷く。


「その、いってらっしゃいませ」

 深々と一礼し、明珠は安理とともに龍翔達を見送った。

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