57 ただただ、あなたに逢いたくて その2


 明珠が真っ直ぐに見つめて言い切ると、陽達が息を飲んだ。


 ややあって。

「……わかった。そこまで言うのなら、史傑から逃してやる」


「おいおい。せっかく捕まえた手がかりを、みすみす逃すっていうのかい?」


 史傑が呆れた声を出す。


「逃すんじゃない。後で合流するだけだ。……約束したからな」

「はい……っ! はいっ!」


 あっさり史傑の言葉を否定した陽達に、大きく頷く。

 陽達を本物の晶夏に会わせるという約束を、反故ほごにするつもりなどない。


「おやまあ。俺の知らないところで、ずいぶんとれあっているみたいじゃないか」


 史傑の細い目の奥に、冷ややかな光が浮かぶ。

「だが、俺が簡単にお前達を逃すとでも?」


「逃してみせるさ。術師の腕で、お前に劣るだなんて、一度も思ったことはない」


 陽達が身構える。それに呼応するように、《晶盾蟲》がひらりと陽達の肩に止まった。


 陽達と史傑が緊張をはらんで睨み合い――。


「「《縛蟲ばくちゅう》!」」


 二人が同時に《縛蟲》を召喚する。


 喚び出された《縛蟲》が、部屋の中央で互いに絡み合う。同時に、《晶盾蟲》が史傑めがけて肩から飛び立っていた。


 史傑が盾蟲を呼び出し、晶盾蟲を防ごうとする。

 が、明珠に二人の応戦を眺めている暇などない。


 扉は史傑の向こうだ。窓から出るしかないと、窓辺に走り寄る。

 さんに足をかけ、身を乗り出し。


「《板蟲ばんちゅう》!」

 守り袋を握りしめ、《板蟲》を喚び出す。


 窓から板蟲に飛び移ろうとした瞬間、あらかじめ召喚して潜ませていたのだろう。壁際に張りついていた縛蟲が、しゅるりと板蟲に絡みつく。


「ひゃっ⁉」


 板蟲ががくりと平衡へいこうを失い、窓を乗り越えた勢いのまま板蟲に飛び乗った明珠は、体勢を崩した。


 落ちそうになったのを、板蟲にしがみついて何とかこらえる。二階の高さから落ちれば、ただでは済まない。


「《お願い、かえって!》」


 板蟲だけでなく、明珠にも絡みつこうとする縛蟲にふれ、念じながら叫ぶ。

 召喚を解かれた縛蟲が、幻のように消え去った。板蟲が高度を取り戻す。


 板蟲の上に立ち上がり、明珠は素早く辺りを見回す。


 《刀翅蟲》の行き先に、龍翔がいるはずだ。


 宿営地を襲った数に劣らぬほどの何十匹もの《刀翅蟲》。

 常人には見えぬものの、不穏な気配を感じるのだろう。道行く人々が、悲鳴を上げながら逃げていく。

 《刀翅蟲》に斬り裂かれた木の葉や、鋭い羽がぶつかって削れた瓦が、ばらばらと地面へ落ちる。


「龍翔様……っ!」

 祈るように、敬愛する主人の名を紡ぐ。


 龍翔は無事でいるだろうか。

 張宇達がいるなら大丈夫だろうと信じる一方で、一刻も早く無事な姿を見て安心したいと、心が希求する。


 《風乗蟲》を喚べぬ自分の力不足が情けない。今すぐ、龍翔の元へ飛んでいきたいのに。

 ゆっくりとしか飛べぬ板蟲がもどかしい。と。


 固い風切り音が響いたかと思うと、背後から飛んできた刀翅蟲が、板蟲を斬り裂く。


「きゃあっ!」


 たたらを踏んでよろめいた明珠の袖をも斬り裂いて、刀翅蟲が飛び去っていく。


「《ご、ごめんね! 還って!》」


 謝る暇もあらばこそ、明珠は実体を失いつつある板蟲から、一番近い屋根へ飛び移る。

 屋根瓦から滑り落ちそうになり、明珠はあわてて瓦を掴んでこらえた。


 もう一度、板蟲を喚ぼうかとも考えたが、たぶん、自分の足で進んだ方が早い。男物を着ていて助かったと本気で思う。


 守り袋を握りしめ、明珠は盾蟲を二匹召喚した。


 刀翅蟲の飛んでいった先に、龍翔がいる。

 そう思えば、ふれただけでただではすまぬ刀翅蟲を追うことさえ、怖くはない。


 町のあちらこちらから、蜜に群がる蜂のように、刀翅蟲が飛んでくる。

 宿だの商店だの民家だのがひしめくように立つ砂郭の街並みは、屋根の高さも素材もまちまちだ。


 明珠は時に四つん這いのようになりながら、刀翅蟲の集まるほうへと、屋根の上を駆ける。


 勢いをつけて、屋根と屋根の間を跳ぶ。

 足元で瓦が鳴り、足を滑らせそうになる。


 けれども、決して足を止めない。


 今すぐ、鳥になって龍翔の元へ飛んでゆけたらいいのに。


 泣きたくなるほどの焦燥が、明珠を突き動かす。

 刀翅蟲は嫌というほど見えるのに、龍翔達の姿はどこにも見えない。


 高級宿なのだろう。大きく傾斜した高い屋根を、必死でよじ登る。

 一番高いむねを乗り越えた瞬間、開けた視界の先に。


「居た……っ!」


 明珠の少し先、屋根の上に陣取り、刀翅蟲を相手取る張宇達の姿を捉え、視界が涙でにじみそうになる。


 だが。


「龍翔、さま……?」


 求める主の姿だけが、どこにもない。


「っ!」

 震え出しそうになる唇を噛みしめ、屋根を駆けおりようとする。


 その耳が、固い羽音を捉えたのは、神経が研ぎ澄まされていたおかげだろう。


 反射的に身をよじった明珠の右横を、刀翅蟲が通り過ぎる。

 羽根にふれた着物の肩口が切れ。


「つぅっ」


 右肩に走った鋭い痛みに、うめいた瞬間、足を滑らせた。

 ずるり、と靴の裏が、踏んだはずの瓦の上を滑る。


 こらえようとしたが、駄目だった。

 固い瓦にぶつかった衝撃に、息が詰まる。


 ごろごろと転がり落ちる明珠の身体の下で瓦がけたたましく鳴る。

 めまぐるしく回る視界の片隅が、《感気蟲》の姿を捉えた気がした。同時に。


「明珠っ!」


 耳に届いたのは、何よりも聞きたかった声。

 少年特有の高い――ただひたすらに、明珠を求める響き。


 明珠は必死に声の主を求めて、視線を巡らせる。


「明珠っ!」


 姿は、見えない。

 けれど、その声を明珠が聞き間違えるはずがない。


「龍翔様っ!」


 屋根から空中へ、明珠の身体が投げ出される。

 重力に囚われながら、明珠は傷ついた右腕を空へ伸ばした。


 不可視の主へ、手を伸ばす。


 小さな手が、明珠の右手を握りしめた気がした瞬間。


「わっ、ぷっ!」


 明珠は、路地に張られていた露店の天幕へ、突っ込んだ。


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