58 ただただ、あなたに逢いたくて その1
突然、乱暴に扉を開けられ、明珠は身を強張らせた。
視線を向けた先にいるのは、三十歳くらいの見知らぬ男だ。男は扉に手をかけたまま、信じられぬものを見たように、固まっている。
糸のように細い目を、驚愕に見開いているさまを見て、ようやく明珠は今の状況を思い出す。
寝台に押し倒された明珠と、のしかかっている陽達という、この状況は。
「あ、あの……っ」
明珠が言葉を探しているうちに、素早く身を起こした陽達が寝台から降り立ち、男の視線を遮るように、明珠を背に庇う。
「何の用だ?
史傑と呼ばれた男は、名を呼ばれて我に返ったらしい。
「たまたま
ようやくいつもの自分を取り戻したらしい史傑が、からかうような笑みを浮かべる。
「まさか、男色に
「違う! これは……っ」
言い返そうとした陽達が、途中で唇を噛みしめる。
「長年のつきあいだが、まさか、お前がそんな趣味だったとはな。で、
「お前には関係ない!」
楽しげな史傑の声を、陽達がぶった切る。
寝台から下りて靴を履いた明珠の視界を遮るように、陽達が立ちふさがる。
「お前は一言も話すな」
史傑を睨みつけたまま、陽達が低い声で忠告する。
長年のつきあいと言うわりに、陽達は史傑を警戒しているようだ。史傑が何者かは知らないが、陽達の反応から推察するに、明珠は口を開かぬ方がいいのだろう。
すげない陽達の様子に、史傑は肩をすくめる。
「おやまあ、長年の友人にひどい言い草じゃないか。心配せずとも、お前から取ったりしないさ。俺は真っ当な趣味の持ち主でね」
にやにやと笑いながら、明珠をよく見ようと、史傑が横に一歩踏み出す。
それに合わせて 陽達も横に一歩踏み出した。それほど、明珠の存在を史傑から隠したいということなのだろうか。
「まあ、自警団団長が男色家だなんて、広められるわけにはいかないものな? だが、いいのかねぇ? まだ日も高いというのに、乾晶にいるべき団長殿が、砂郭で人目を忍んで逢瀬とは」
史傑は
刺すように鋭い史傑の視線に、明珠は確信する。
史傑の嘲笑は、わざとだ。おそらく、陽達を怒らせて、本音を引き出したいのだろう。
緊張に大きな背をいからせていた陽達が、深く息を吸いこむ。
と、はんっ、と投げやりに鼻を鳴らした。
「挨拶もなしに扉を開けるような
「どうして知って――っ!?」
反射的に叫んだ明珠を、陽達が勢いよく振り返る。
話すなと言われていたことを思い出し、明珠はあわてて口をつぐんだ。
が、陽達の目に浮かんでいるのは、非難ではなく、驚愕だ。
てっきり明珠は、晴晶や孝站と一緒にいるところを見られていたと思ったのだが……。いったい、陽達は何をどこまで知っているのだろう。
本物の晶夏を知らず、生き別れになっていたということは、少なくとも堅盾族の村で暮らしていたのではないのだろう。
お互いに、知っていることがあまりに違い過ぎて、口裏を合わせようがない。
だから、陽達は一言も話すなと言っていたのだろうか。と。
「へえ。尋問の仕方はさておき、その少年が賊について知っているのは本当らしい。……ますます、何者か知りたいね」
弾むような声に、明珠と陽達は、同時に史傑を振り向いた。
「陽達。きみの用事が済んでからでかまわない。ちょーっと、その少年を貸してもらえるかい?」
細い目は、笑みの形をしているのに、目の奥が笑っていない。
史傑が何者か、明珠は知らない。予想もつかない。
だが、明珠の勘が、彼に関わるのは厄介なことを引き寄せると告げている。
と、不意に大きな手に右手を掴まれた。
「断る。官邸の賊の件は、お前には関係の無いことのはずだ」
安心させるように明珠の手を握った陽達が、史傑を見据え、きっぱりと告げる。
が、史傑の笑顔は変わらない。
「まっ、誰が官邸に忍びこもうが、俺としてはかまわないんだがね。龍華国に弓引く気がある勢力とは、顔をつないでおきたいんだよ。わかるだろう?」
「砂波国の
陽達が苦々しげに吐き捨てる。史傑のまなじりがぴくりと動いた。
「両方に通じている
「えっ? それって……」
明珠は陽達と史傑の顔を見比べる。
二人の言葉が確かならば、史傑は砂波国の人間で……。それよりも、乾晶の自警団団長である陽達が、両国に通じているというのは、どういうことだろう?
「よ、陽達さん……」
もの問いたげな明珠の表情を横目でちらりと見た陽達が、苦々しげに史傑に視線を戻す。
「知りたければ、後で話してやる。それより、口をつぐんでおけと言っただろう? こいつに目をつけられたら、ろくなことにならんぞ」
「せっかくの忠告だけど、もう遅いねぇ。単なる賊の仲間なら、お前がそれほど庇うわけがない。今、この時に砂郭に現れるなんて……。いったい、何者なのか、じっくり聞かせてもらいたいね」
史傑から発される圧が高まる。
陽達がわずかに足を開き、油断なく身構えた。陽達が腰につけていた竹筒から、そろりと《晶盾蟲》が顔を出す。
空気が、ちりちりと火花を
史傑という男は、底が見えない。この場はひとまず陽達の味方をしようと、明珠が思い定めた時。
「「「っ!?」」」
不意に、窓の外で響いた固い風切り音に、三人ともが息を飲む。
明珠と陽達の右手、大きく開け放たれた窓から見えたのは。
「《
驚愕にかすれた声が、明珠の口からこぼれ出る。
背筋がぞわりと
走り出そうとした明珠は、陽達に強く腕を引かれた。
「どこへ行くっ!?」
驚いて問う陽達の声など、ろくに耳に入らない。
「放してくださいっ! 行かなきゃ――っ! り、ご主人様の元へ行かなきゃいけないんですっ!」
今、龍翔がどんな状態かはわからない。
だが、きっと、明珠を探してくれている。《気》がなければ、思うように術だって使えまい。
蚕家で仕えていた時、少年姿の龍翔が《刀翅蟲》に襲われていた時の恐怖を思い出し、きゅうっ、と胸が痛くなる。
明珠のせいで、もう一度龍翔が危険な目に遭うなんて、そんな事態、絶対に許せない。
「放してくださいっ! すぐに――」
「いやあ。ますます興味深いねぇ。これほどの数の《刀翅蟲》は初めて見たが……。これに君が関わっていると? ますます逃すわけにはいかないなぁ」
史傑の細い目が、刺すような光を宿す。
いつもの明珠なら、
「あなたに関わっている暇なんてありませんっ! 陽達さんも放してくださいっ!」
「放せるかっ! これほどの数の《刀翅蟲》が飛んでいる中を、どこに行くっ!?」
「私を探してくださっている方のところです!」
陽達の怒鳴り声に、間髪入れず言い返す。
「《刀翅蟲》だろうがなんだろうが、関係ありませんっ! ただ――」
心の中に、龍翔の姿を思い描く。
それだけで、どんな苦難も乗り越えて行ける気がする。
「あの方の元へ、行きたいんですっ!」
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