第3話 目覚めの時と骸骨

 眠っていた時間が一瞬だったのか、はたまた数年だったのか、それは眠っていた本人にはわからない。

 時間を刻む物がなければ、覚醒してなお判断することは難しいと言える。

 それが数百年となればすぐ身体が朽ちてしまいそうなほどだが、僕は眠ったで時の姿のままだった。


『第35被検体の覚醒を確認しました。生体組織正常、アストラル体の定着確認、記憶情報ダウンロードに軽度のエラー……エラー修復を実行、失敗、エラー修復を再度実行、失敗……エラー修復不能、シーケンス省略……』


 無機質な声だと思った。

 3回ほど聞こえただろうか。ぼんやりと広がる視線の先は、曲面を描くガラスのようだった。


『第35被検体の保存プログラムを終了。現在稼働中のプログラム無し。生命保管システムは、現在を持って全シーケンスを完了。プログラム結果を出力し、本システムはシャットダウンされます。繰り返します――』


 その曲面ガラスはゆっくりと開いた。新鮮かどうかはわからないが、少なくとも今までとは違う空気が鼻につく。

 指先から力を込めて、ゆっくりと体を起こす。痛みはない、ということは怪我や病気で眠っていたわけではないのだろう。

 ぼやけた視界をなんとかしようと目を擦れば、少しだけクリアに周囲の状況が理解できた。やけにボロボロの室内ではあちこちで化粧板が剥がれ落ち、それどころか屋内配線がむき出しとなって垂れ下がっている。

 不思議に思いながら床に降り立ってみれば、足の裏がひやりと冷たい。


「裸足……というか裸だな」


 見事に一糸纏わぬ姿に、これはどうしたものかと考えた。周囲にも服らしきものはなく、それどころか布切れひとつ見当たらない。

 誰かと会ってこの状況の説明を求めようと思っていた矢先、いきなり難易度が跳ね上がった現実を突きつけられて、自分は何故こんなところにこんな格好で居るのかと、余計に頭の中は混乱が広がっていった。

 それこそ先ほどまでの無機質な声が答えてくれるならよかったが、誰か居るか、と叫んでも響くばかりで何も返ってはこなかった。


「セクハラで訴えられるのは勘弁してほしいんだけど……仕方ないか」


 ボロボロの室内にいつまでも居るわけにもいかず、僕は外に出ることを決意した。

 見える扉は一枚だけ、これが直接外に繋がっているのか廊下に出るだけなのかもわからない。しかし、とにかく一歩と扉に手を伸ばす。

 だが、僕の手が触れる前に扉は独りでに開いた。決して自動ドアだからというわけではない。


「おはよーさん」


「は……?」


 その開いた扉の向こう側を見た時、僕は呆然と立ちすくむしかなかった。

 白い肌、という言葉があるが、炭酸カルシウムのような白を指す言葉ではなかったはずだ。

 何が言いたいかと言えば、目の前であまりに軽い挨拶をやってのけたのは、まごうことなきだったのである


「思ったよりいい体してんなぁお前」


 カラカラと乾いた音を立てながら喋る骨。混乱が混乱を呼ぶ無限ループに、僕は哲学や宗教の世界が実在したのではと考えて、あぁそうか、と納得した。


「僕ぁ死んだのかい?」


 ここが死後の世界であるならばセクハラは問題にならないかもしれないなぁ、などと、骨の登場で一瞬にしてオーバーヒートした思考回路は訳の分からない演算結果を口から吐き出す。

 すると妖怪じみた存在はカッカッカッと爆笑し、バンバンと僕の肩を叩いてきた。随分気安い死神である。


「セクハラ気にするとはアンタもだいぶヤベェ奴だな! 俺ぁ骨だがこれでも生きてんだぜ? まぁ、生きながら骨になるよりは、死んでから肉のボディのほうがよかったのかも知れねぇけどなァ!」


 そしてまたひとしきり笑う骸骨。

 ここがどういう空間で自分はどういう状況に置かれているのか、これでさっぱりわからなくなった。それも全ての思考を放棄してしまうほどには。

 しかし現在における混乱の最大原因はこちらの脳内など知る由もなく、あー笑った、と言いながら、抱えていた服を投げ渡してきた。


「とりあえず説明してやるから服を着てくれ。骨であろうとなかろうと、俺に性的マイノリティの気はねぇから」


 本気で悩んでいたセクハラ云々の社会的信用失墜問題を笑いネタにされ、胸の中に吐き気にも似た苛立ちを感じる。半ば八つ当たりではあるが、カルシウムの塊に性もクソもないだろう、と少し睨んでおく。

 だが骸骨は肩を軽く竦めただけで何も言わない。僕には表情が読めない相手とはこうもやりにくいかと唸る他なかった。

 早々に相手が抗議を聞き流す体制をとったため、こちらも不毛な問答と自分の苛立ちを放棄して、僕は投げ渡された服に袖を通した。


「戦闘服……かい?」


「御明察だぜ旦那。こいつしかなかったから諦めてくれや」


 ネイビーブルーの上下と黒いシャツ。それは慣れ親しむどころか、飽きてさえいる機甲歩兵マキナ隊の標準作業服だった。

 サイズまでしっかり合わせられていることを考えると、自分のために準備されていたとしか思えず、これ以上ないと思っていた混乱は余計に深っていく。

 聞きたいこと、聞かなければいけないことは多いはずなのに、整理がつかず碌な言葉が出てこない。

 そんな中で唯一僕の口が紡ぎだせたのは、


「……君は、何者なんだ?」


 だけだった。

 僕の疑問に対して骸骨は一瞬だけ動きを止めると、顎に手を当てて何事か考えているらしい。


「何者、ねぇ……まぁ元々はフツーの人間だったからその問も正解かぁ」


 カタカタと下顎骨を鳴らしながら骸骨は器用に白すぎる指を揉み、やがて1つ頷いてから語りだした。


「俺ぁダマル。食い、眠り、動き回り、考える骨だ。お前と同じ、ここでされてた生命の1つらしいぜ。天海恭一あまみきょういち大尉」


「僕のことを知ってるのかい」


 ダマル、という名前に聞き覚えはなかったので、少なくとも知り合いということはないだろう。

 その理由を骨は隠すことなく直ぐに打ち明けてくれた。


「読める経歴は読ませてもらったからな。ここのシステムに記録されてる分だけだがよ」


「プライバシー問題じゃないかいそれ? それに、保管っていうのは……?」


 動く骨格標本は驚いたように下顎骨を落とす。

 人間の顎はあんな風に開くのか、と少し感心する僕に対してダマルは明らかに焦り始めた。


「おいおいおいおい、ここがどんな施設なのか知らずにあそこに居たのか!?」


「居たっていうか……その、あそこで眠っていた理由もわからないんだが」


 オウっ、と叫びながら、骸骨は額を押さえて大仰に後ずさる。


「……ようやくまともな人間が再生されたと思ったら、お前も俺と変わらねぇのかよ! さっきのエラーが原因かァ!?」


「なんだい、人をロクデナシみたいに」


「まともな人間ってのは、って意味だ!! 俺も肉と直近の記憶を失ってるが、お前はそれ以上に酷ぇぞ!」


 ああクソなんて日だ、とダマルは頭を振る。

 僕にとっては何やら死活問題な内容ではあったが、想像もつかない話なので聞きに徹した。

 ひとしきり何かをクソ作戦だったとか何が英知だとか叫んでいたダマルは、ややあってから諦めたように深いため息を1つついた。


「ここはな、そのカプセルに入った人間の生体情報を読み取ってから、その生体構成要素とアストラル体を分子レベルに分解して保管する場所なんだってよ。設定された一定時間が終了すると身体を情報通り再生成して、そこに分離したアストラル体を突っ込んで……簡単に言えば一度殺して生き返らせる装置って奴だな」


 どう噛み砕いて説明すればいいかと、ダマルは悩みながら語る。

 だからといって科学的、或いは技術的な知識に専門性を持たないただの軍人に過ぎなかった僕には、ハイそうですかと全理解できるわけでもない。アストラルがどうとか生体情報がどうとか言われても、耳を右から左へと抜けていくだけなので、汲み取れた部分だけを質問する。


「一度死んだ人間が生き返る?」


「半分は正解だな。正解した部分が失敗してる部分だが……遺伝子情報から再構成した体っていう器に、アストラルっていういわゆる魂みたいなものを戻すんだとさ。だが、アストラル体は解明された部分が無さすぎて、体に入れなおすどころか保管できてるのかもわからねぇ。そんな状況ででも作戦は実行されたらしい。結果、このシステムで生き残ったのは骨になっちまった俺と、記憶に欠損を生じたお前だけってわけだ」


 開いた口が塞がらない僕と、それが普通だという骨。

 ここに何故自分が入っていたのか、入る前後に何があったのかという部分は、その記憶の欠損が顕著らしくまったく思い出せない。


「人体実験じゃないか……!」


 一歩間違えばどころではない。自ら飛び降りた崖の下で、見ず知らずの誰かがクッションを敷き、それに運よく着地できて助かるかどうか。そんな賭けだ。

 正気の沙汰ではない。だが、人類はそれほどに自らの保存に逼迫した状況だったともいえる。


「だが、お前は運よくその人体実験を、少なくとも肉の身体と意識を持ったまま耐え抜いてる」


「それを幸運だったと言えってのかい君は! 指揮官は誰だ!? こんなことが許されるなら、法なんてなんの意味がある!? 国際法でもこれを認めることなんてありえないだろうに!」


 さっきまで死んだと思っていた人間が、生きていた上に突き付けられた現実は頭を沸騰させるに足る条件だった。命に対しての怒りというのは、簡単に冷静の仮面をはがす。

 僕は感情のままダマルの胸倉を掴んでいた。自分がどんな表情をしているのか、あまりわからない。

 カラカラと揺れる暗い眼孔は何も語らない。自分以上に表情の分からない彼を睨みつけ、だがその直後に僕はハッとしてその手を離した。

 軽い。

 あまりにも軽い感触。先ほどとは打って変わって一瞬にして冷えていく頭。

 服の下にあるはずの肉体はなく、冷たく硬く軽い。生命の鼓動すら聞こえてこない服の内側に、僕は頭を大きく揺さぶられたように感じた。


「そんな顔すんなよ」


「いや……すまない」


 目の前にあるこの骨もまた、生命保存システムなる作戦の完了を持って生み出された被害者だろう。比較すべきではないだろうが、人間として死んだ他の者よりも、欠陥を抱えながら生きられた僕よりも、被害者かもしれない。

 責められる者が居るならば、それはこの作戦を立案し実行した者だろう。それが生きているかどうかは知らない。だが、少なくとも、ダマルを責めるのは筋が違う。それが妙に恥ずかしく、情けなかった。


「別に同情してほしいってわけじゃねぇぜ。お前も俺も、被害者だってだけだろ」


「いや、だが君は……何故アレの中に居たんだ?」


「さぁな。俺もそれが思い出せねぇんだが、この際理由なんてどっちでもいいのさ。むしろ考えるべきは、これからのことなんだからな」


 ダマルはその底知れない暗闇で僕を見据えながらそう言った。

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