第97話 迷宮建築士

 僕が周囲の安全を確認して砲手席から抜け出せば、車体後部には既に女性陣が集まっていた。


「アポロニア、凄かった」


「犬の癖にちゃんと使えるようになってましたね」


 どうやらアポロニアが小銃を扱えていたことが賞賛されているらしい。ファティマはやや不服げな顔をしていたが、それでも評価は歪めることなく認めている。

 しかし褒められ慣れていないからか、アポロニアは居心地悪そうに身体を揺すって後ろ頭を掻いていた。


「そ、そうッスかね? 手ごたえはミクスチャのときよりあった気もするッスけど」


「十分だよ。きちんと教えたとおりにできていた」


 リロードも誰に頼ることなくこなし、空弾倉も捨てていないので初陣としては上々の結果である。元々射撃には向いていたのかもしれないが、飲み込みの早さは目を見張るものがあり、何より彼女が1週間ほどでも手を抜かずに努力をしていた証左だった。


「ご主人、自分は……お役に立ったッスかね?」


 こちらに気付いた彼女はおずおずと近づいてくると、茶色の瞳で上目遣いに僕の顔を除き見てくる。僅かに退けた腰と股の間に巻き込まれた太い尻尾は、まるで試験結果を聞かされる生徒のようで、しかし僕にできることなど褒める以外になかった。


「ああ、よく頑張ったね。教えている時から筋がいいのはわかっていたけれど、それ以上にアポロは頑張ったんだ。もっと胸を張るといい」


「~~~~っ!! やったッスよぉ、ごっしゅじーん!」


 そう告げるや否やアポロニアは花の咲いたように破顔し、小銃をストラップでぶら下げたままぴょんと抱き着いてくる。

 突然のスキンシップを僕が驚きながら受け止めれば、今まで喝采を送っていた2人も驚いたらしくビタリと身体を硬直させた。だがそんなことは気にもならないらしく、アポロニアは尻尾を盛大に振って小さな体を精一杯摺り寄せてくる。

 あまりに大袈裟な喜び方は、僕もどうしていいかわからず困惑してしまう程だ。


「お、おいおい――どうしたんだい急に」


「えっへへ、嬉しさは全身で表すことにしてるッス。アステリオンは主に褒められることこそ至上の喜び、ついでにご褒美なんか頂けるともっと嬉しいッスよ」


 むしろこれでは僕の方が、役得という褒美をもらっているようなものである。ストリのことを考えると肉欲的な感情はどうかとも思うのだが、それでもアポロニアのように小柄ながら凶器じみたスタイルの愛らしい娘に抱き着かれて、悪い気がするはずもない。

 そんな邪な感情を理性で必死に押さえ込み、無理矢理引き剥がそうとすれば、彼女はまるで木に引っ付いたカブトムシかのように頑なな抵抗を見せた。


「ちょ、とにかく少し離れなさい。それにご褒美って言われても――」


「おんやぁ? ご主人もしかして照れてるッスか? やだなぁ、これは家族としてのスキンシップッスよぉ」


「う、む……そうだとしても、だね」


 この一言は驚くほど心に突き刺さった。極僅かな抵抗の言葉こそ零れたものの二の句は継げず、引き剥がそうとしていた力さえ抜けてしまい、アポロニアはこれぞ好機とばかりに再び懐へ飛び込んでくる。

 何せ自分は彼女らの好意を無下にした糞野郎なのだ。だからこそいつ見限られてもおかしくないと覚悟をしていた中で、まさかアポロニアから家族と言ってくれるなどとは夢にも思わなかった。

 以前ダマルにも告げた通り、僕は彼女たちを変わらず信頼している。現代において自分を信じ共に歩いてくれている存在で、それは命がけで守りたいとも思えるほどだ。

 そんな中で家族と言われてしまえば、僕の頭は彼女へのご褒美を考えることで必死にならざるを得なかった。


「ご褒美、ご褒美か……」


 紛糾する脳内議会に顎を掻きながら悩んでいれば、アポロニアに小さく袖を引かれた。体格も相まって本気で子供のような所作だが、それは普段以上に庇護欲を刺激してくる。

 何かあるのかと僕が視線を落とせば、僅かな静寂の後、彼女はもごもごと要求を呟いた。


「あの、なんでもいいなら、その……撫でて、欲しいッス」


「あぁなんだ、そんなことでいいのかい? それくらいならお安い御用だ」


 もっととんでもない物を要求されるかと思えば、なんとも慎ましい内容に苦笑が零れた。

 優しく髪を撫でつけてやれば、アポロニアは気持ちよさそうに目を細める。相変わらずボリュームのあるふわふわした赤茶色の髪は触り心地が良く、時折分厚い耳に触れればくすぐったそうに彼女は身をよじり、うへへと奇妙な笑い声を発した。

 どれくらいの間、彼女を撫でていただろう。そろそろ満足したかと思った僕は、ゆっくりとアポロニアの頭から手を離した。


「これくらいでいいかい?」


「も、もうちょっとお願いしていいッスか?」


「む……そう、か」


 予想外の追加要求に、僕は面食らった。

 ただでさえ彼女はここまでハッキリと何かを求めてくるのは珍しい。とはいえ、先ほどのレーダー障害についての確認や、周辺警戒も続けねばならないため、さてどうしたものかと唸る。

 しかしこのナデナデ続行要望は、外部からの妨害によって棄却された。


「そ、こ、ま、で、で、す、よ、この犬ぅ……」


「ぐえっ!? ちょっ、首! 首入ってるッス!」


 それは見事な裸締めスリーパーホールドだった。そのまま引き剥がされたアポロニアは暫くジタバタと抵抗していたが、やがて力なくだらりと身体を弛緩させる。それを確認したファティマは彼女を無造作に地面へと捨てた。


「ふー……あんなこと言っときながらいい度胸ですよね」


「同感」


 よくわからないが、どうやら彼女らの間にも事情があるらしい。三竦みの関係を破りでもしたのかアポロニアに味方は居らず、うごぉと唸って転がる彼女に一切の同情はなかった。


「……あー、それじゃ悪いが、続けて周辺警戒を頼むよ」


 何故彼女がこんな目に、と聞く勇気など自分にあるはずもない。おかげで僕はそそくさと運転席へ向かいダマルから、レーダーの現状について詳細な報告を受けた。



 ■



 噂の巣穴は夜明け頃に見つかった。

 何せ人の亡骸や装備品があちこちで無残にうち捨てられ、見事な道しるべとなっていたのである。土が盛り上がっている入口は、地中に掘られた穴の土砂を運び出したものらしい。ただどうにも古代人にとっては見覚えのありすぎる形で、マキナ姿の僕と鎧姿のダマルは呆然とそれを眺めていた。


「とんでもなくでけぇが……これって蟻の巣だよな?」


『昔観察キットって売ってたねぇ。こんなサイズのは見たことないけど』


 ロガージョという名前からは見た目も想像できなかったが、こうして巣穴の入口を見れば自分たちが小さくなったのではと疑うくらいハッキリとした蟻の巣だった。

 だが巣穴だというのに近くに居住者の姿はない。しかし周辺にはフウライやアンヴなどの草食動物から、よくわからない1メートル近い巨大な芋虫、果てには先に攻略を試みたコレクタらしき人の遺体まで、とにかく動物性の死体が大量に積み上げられていた。


「玉匣じゃ入れねぇのに本気で行くのか? 食われても文句言えねぇぞ」


『見る限り肉食性じゃないみたいだけど……まぁ巣に侵入されれば排撃はするよね』


 遠くで聞こえた木の倒れる音に、僕とダマルは揃ってビクリと肩を震わせた。

 ただでさえ小さな蟻でも種類によっては獰猛で、大型の獣さえ捕食すると聞いたことがあるほどだ。それが人間の歩けるくらい大きな巣穴を掘り進み、実際に武装した人間の小集団を多数殲滅したと考えればダマルの躊躇もよくわかった。


『シューニャ、あんまり聞きたくないがロガージョって何なんだい?』


「刃を阻む硬い甲殻に覆われた蟲。地中に巣を掘り大きな群れで行動し、女王クイーンと呼ばれる大型個体がそれを率いている。他にも兵隊アーミー職人ワーカーが居て、それぞれ役割を分担しているらしい」


「完璧に蟻じゃねぇか!」


 先に聞いとくべきだったとダマルは頭を抱える。

 しかし肉食性であるポインティ・エイトでさえマキナの装甲は貫けなかったのだから、皆を守りながら進むなり、内部を完全に掃討してから調査を行うようにすれば、リスクは随分抑えられることだろう。

 そう考えていた矢先、巣穴から顔を出したそいつと目があった。


 ――立派なクロアリだなぁ。


 全高は成人男性の腰くらいまであり、全長は2メートル近いように見える。

 呆然とする僕らに対し、その巨大クロアリはこちらに興味がないらしく、ちらと一瞥しただけでヒョコヒョコと巣穴から這い出してくる。そして大顎に咥えていたを無造作に地面へ捨てると、また巣穴へと帰っていった。


「おぉ……ボク、初めて見ましたよ」


「相変わらずデカいッスねぇ。でもゴミ捨て場がこの程度じゃ、そんなに活動的な巣じゃないっぽいッスけど」


「ロガージョはユライアランドへの進出数が少ない。彼らが必要とする木材が少ないことが理由だと思う」


 好奇心で物を見るファティマに、冷静に分析するアポロニアとシューニャ。彼女らの精神構造が強靭なのはよくわかった。何せ僕とダマルは、さっきの巨大蟻が帰っていった巣穴に視線を固定して身動き一つできなかったのだから。

 巨大蟻はいざ相対してみると素直に化物だった。大きさから考えればキチン質の甲殻が相当の強度を持つことくらい想像に難くなく、槍やら剣やらで戦いを挑む現代人はまさしく勇者といって差し支えない。あれに集られることを考えれば、翡翠を着装していても戦いたいとは思えなかった。


「よし、帰るか」


 マキナさえ着ていないダマルは、恐怖心と嫌悪感が限界突破したらしい。平然と玉匣に戻ろうとしたところを、ファティマに首根っこを掴まれてしゃかしゃかと空を掻いた。


「何逃げようとしてるんですか」


「放せぇ! 俺は蟲に食われて死ぬのだけは嫌だぁ!」


 ダマルは必死に抵抗するものの、呼び名の通りに筋肉なんてどこにもない骸骨ボディでは、人型兵器も斯くやというパワーのキメラリアに敵うはずもなく、あっという間に巣穴へと引き摺って行かれる。

 しかしファティマはともかくとして、シューニャとアポロニアさえ面倒くさいといった様子で巣穴に向かうものだから、僕としては彼女らの度胸に驚かされていた。無論、引き摺られる骸骨騎士は喚き散らしていたが。


「俺ぁ虫が嫌いなんだよ! 既に骨しかないのに、最後の自分らしい部品まで失いたくない!」


「ロガージョもダマルさんは食べないでしょー?」


「そもそもあれは草食性」


「そういうこと言ってんじゃねぇぇぇぇ!!」


 悲痛な叫びは彼女らの耳に届かない。結果として巣穴を覗き込める位置まで連れてこられたが、同時に再びロガージョが顔を出し、また死体を棄てて帰っていったのでダマルは叫び声をあげる事すら許されなくなった。

 ちょうどいいとばかりにシューニャが全体へ指示を出していく。


「キョウイチを先頭にファティと私、後ろはダマルとアポロニアの横並びで進む。ゴミ捨て場の様子から巣の規模は小さいと思うけれど、入り組んでいる可能性が高いから私がマッピングする。狭い通路では誤射に注意してほしい、特にファティはキョウイチの射線に入らないように」


 彼女の判断は知識に基づく堅実な物だった。流石ブレインワーカーと言ったところで、前後に守られて司令塔としての役割を担うつもりらしい。

 皆この指示には異論なしと頷くが、唯一ダマルだけが返事をしなかったのでファティマに派手に揺すられ、ガラガラと骨の音を響かせた。


「なぁやっぱり帰るってのは――」


「ここに私たちが必要としている物資があるかもしれないなら、テクニカを探すよりロガージョを駆除するほうが余程簡単。他の遺跡を探して攻略するにしても、ロガージョ以上の脅威が居る可能性だってある。この程度のリスクは考慮すべき」


 シューニャはロガージョの戦力評価を随分低く見ているらしい。しかし蟲が嫌いだと公言するダマルはこれを受け入れようとはせず、ギクシャクしながらも即席で作戦を考えていた。


「べ、別にそこまで急いでるわけでもねぇしよ、せめて外に炙りだして1匹ずつ倒すとか作戦をだな」


「誰かに先を越されては意味がない。私たちが行かなければ、いずれ別の組織コレクタが呼び出されて投入されるだろうし、そうでなくても集団コレクタが殲滅に成功する可能性は高い。それに作戦と言うなら、私たちには強力なマキナを前方に押し出して戦うという方法が取れる」


「蟲を殺すなら殺虫剤が欲しいなぁ……なんて?」


 最後まで悪あがきを繰り返すダマルに対し、シューニャの目がスッと細められる。

 相変わらずの無表情だというのに、そこから怒りやら面倒くさいという感情が手に取るようにわかった。

 だからだろう。投げつけられた言葉は非情そのものだった。


「これ以上文句を言うなら、ダマルを正面に立たせる」


「よーし相棒、後ろは任されたぜ!」


 途端にダマルは機関拳銃を握り、素早く最後尾に回り込んだ。

 それほどまでに嫌なのかと思ったが、僕も率先して中に入りたいわけではないので、マキナのモニター越しに見える暗い巣穴へ降りるのは些か躊躇ってしまう。

 だがもたもたしていれば後ろからファティマに早く行ってくださいと小突かれてしまい、僕は渋々近くの木に結び付けたナイロンザイルに掴まって懸垂降下を開始したのだった。

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