第43話 夢か現か

 壁に備えられた燭台が炎を揺らす。

 眼前には木の長机を囲んで、上級帝国軍人が2人と護衛兵、情報将校らしい者が1人、そして場違いな私。その全員が無頼漢の話に耳を傾けていた。


「掃除屋共から俺を直接救ったのは帝国軍じゃねえ。こいつらは俺が生きてるのを確認して、治療と情報収集のためにここまで連れてきてくれたってだけだ。そんときには右足が腐っちまっててこのざまだ」


「では……ヘンメさんを救ったのは一体?」


 答えを急かす私に対し、ロンゲンがそっと目を伏せた。

 僅かな溜めの後、ヘンメは嫌らしく口の端を上げて笑う。


「青いリビングメイルさ」


「え――? り、リビングメイル!?」


 危うく椅子を蹴って立ち上がりそうになった。最早、リビングメイルという単語そのものへの条件反射とも言える。

 コレクタという集団は本来、リビングメイルを含めた金属生物や謎の人工物オーパーツを追うのが主な仕事だ。

 特にリビングメイルとなれば、国家の戦力となるか人類を脅かす敵となるかと言った瀬戸際の存在であり、その確保あるいは破壊は最重要任務である。大口依頼元であるテクニカからも、発見し次第報告せよと最早社訓のように毎日伝えられている。


「そ、それは、野良が助けたと言うことですよね!?」


「あぁ……テイムドなら調教師が居るはずだが、周りには誰も居なかった」


 人間の指示に従うテイムドメイルならば、調教師の声にしか応じない。それが近くに居ないのであれば野良、つまりは一般的なリビングメイルということになる。

 一般的にリビングメイルというのは人間に一切の興味関心を示さないか、あるいは人を見るや襲い掛かってくるかの二種類しか居ない。テイムドメイルというのは、前者の無関心な個体が唐突に人の声に反応して隷属した稀有な存在である。

 その声を発せた者は最早天才であり、努力でどうこうできるというわけではない。すぐにテクニカによって多額の褒賞と引き換えに調査が行われ、それを終えたのちに国家へ帰属させられる。

 だがヘンメは、そのどちらでもない、と言い張った。


「あの冷たい鉄甲冑がな、喋ったんだよ。それもハッキリとな」


 これには参った。

 リビングメイルが喋るなど気が狂ったと言われてもおかしくない妄言だ。

 テイムドのように人の言葉を理解する個体はあっても、話しかけてくるなど聞いたこともない。


「あ、あの――夢だった、なんてことはないですよね?」


「信じられねぇのは無理もねぇがな。俺が生きてんのはそいつが居たからだぜ」


予想通りの反応だったのか、ヘンメは包帯が巻かれた顔で器用に煙草を吸ってみせる。


「奴は俺が倒れてる横で掃除屋共を一瞬で細切れに変えちまった。どうやって見分けたのか知らんが俺の方に歩いてきて、わかるかい、なんて言うんだ。まるで優男みてぇだろ?」


「優……男」


 シューニャ・フォン・ロールとリベレイタ・ファティマを救ったと言う青年の顔が思い浮かぶ。

 彼女たちを保護したことに責任という言葉を使い、コレクタユニオンのリベレイタに対する扱いに怒り、今は無謀にもミクスチャに挑んでいるアマミという男。

 放浪者とは大概がろくでなしの連中だ。その中で比較的頭の回る連中はコレクタに所属し、悪知恵が先行する奴は野盗に身をやつす。

 だが、アマミはそのどちらとも違う。

 自然な礼儀と誠実さに清潔さを持っていて、ブレインワーカーと対等に会話する知識を有しているのに、どこか常識が欠如したような存在。どこかの箱入り貴族だったのではないかと邪推してしまうくらいには歪で異質。


「派遣官殿?」


「あ……い、いえ、なんでもありません」


 ゲーブルに訝し気な視線を向けられ、私はすぐに思考を振り払う。

 如何に不可思議な男だろうと、リビングメイルとの繋がりなどあるはずがない。人は鎧を着込めても、あの化物にはなれないのだから。


「まぁ信じられねえのも無理はないだろうよ。だが、うちのリベレイタとブレインワーカーは生きてんだろ? アイツらを誰が救ったんだ?」


「アマミ、という人でした」


 耳慣れない変わった名前に、ヘンメが視線を鋭くする。


「聞き覚えがないな。何者だ?」


「先日、2人を助けたと言って現れた男性です。本人が言うには放浪者で、記憶を失っているとか」


「記憶喪失の放浪者……ね」


「ヘンメ殿はその男が、件のリビングメイルに関係があると?」


 今まで沈黙を貫いていたロンゲンが口を挟む。

 記憶を失っていると語った青年と喋るリビングメイルの組み合わせは、確かに不可解である。

 だが所詮は歪なピースの寄せ集めに過ぎず、どこをどう合わせれば形になるのか、サッパリわからないままだ。

 むぅと唸ったのは頭の切れると噂のゲーブルである。


「派遣官殿、そのアマミという男に関しての情報はありませんかな?」


「アマミ氏ですか? 記憶喪失の放浪者という以外でなら、素手の決闘でキメラリアキムンを倒すほどの実力者、と言ったくらいで――」


「キムンをだとぉ!?」


 私の言葉を遮ってロンゲンが机に大きく身を乗り出してくる。

 ぐぬぬと奥歯を噛み締め、悔しそうだというのにどこか愉快さも混じった複雑な表情をして見せる。

 今まで巌のようだと思っていたが、いざこうしてみればただ人間臭いだけに見えてきた。しかし、彼のキムンに対する過剰反応は理解が及ばず、失言だったかとゲーブルに視線で助けを求めると、小男はやれやれと肩を竦める。


「ロンゲン軍団長は、戦場で幾度もキメラリアキムンと刃を交えています。あれは個がまこと強いゆえ、一騎打ちなど申し込まれた時は軍団長も互角が限度でしてな」


「そうだ。いつかキムンを正々堂々一騎打ちの末、人間の手で討ち取ってやろうと思っておったが……まさか先を越されるとは」


 自らが討ち取れていない悔しさと、人間が勝ったという嬉しさとで板挟みだったらしい。ロンゲンはまたも口から火炎を吹きそうな勢いで大きく息をつくと、すまぬ取り乱した、と小さく謝罪する。

 それを見ていたヘンメは実に可笑しそうに笑った。


「お前も戦場じゃ十分化物だと思ってたが、そのアマミとかいう奴は本気で人外だぜ。どうせあのババアのことだから、適当に難癖つけてマッファイと決闘でもさせたんだろ」


「よ、よくわかりましたね。その通りです。ただその……敗れたマッファイさんは、しばらく再起不能だと医者が申していましたが」


 これには流石のヘンメも何も言わなかった。いや、言えなかったらしい。

 ゲーブルもマッファイのことを知っていたのか、そんな馬鹿なと眉間を揉んだ。


「そのアマミという男、なんたる勇猛さだ。できれば我が部隊に雇い入れたいが――ゲーブル、どうか?」


「話が真実であれば、声をかけぬわけにはまいりますまい。しかし件のリビングメイルとの関係も明らかにしませんとな。とにかく、アマミに関しては情報を集めてみましょう」


 うむ、と言ったロンゲンは背もたれに体重を預けた。突如降ってきた重さに、木製の椅子がギィギィと文句の声を上げる。

 ゲーブルは護衛兵に何か伝令を頼んでいたが、それも終えたのちは両肘をついて首を擡げた。隣でヘンメも左手で頭を覆い天井を仰いでいる。マッファイがやられただと、とか呟いていたあたり、相当の衝撃だったのだろう。

 不思議な話の連続に、一同は疲れの色を隠せない。1人会話に加わらず、ひたすら書記を続けていた情報将校だけが、自分の筆記内容を再確認する作業に追われていたが、彼もいずれは馬鹿げた話だったと笑うに違いない。

 喋るリビングメイルの証人に、正体不明の豪傑の存在。それだけでもうお腹は一杯だった。

 だったのだが。


「ロンゲン軍団長!」


 慌てた様子の伝令が1人、会議室の扉を蹴破るほどの勢いで転がり込んできたのだ。

 咄嗟にゲーブルがその無礼を叱咤する。


「何事か! 会議中であるぞ!」


「イルバノ百卒隊のセクストンから急報でございます! イルバノ百卒長が、討ち死にされた、と」


「何ぃ……?」


 この言葉に、ロンゲンはゆっくりとその巨体を持ち上げた。

 部屋の中に突如殺伐とした空気が流れ始めたのは、私の勘違いではないだろう。





 夢を見るなどいつぶりだろうか。

 目覚めてこの方、忙しかったからか夢なんて見た覚えがない。ただ忘れているだけかもしれないが。

 また、夢を夢だと認知できることも珍しい。人によっては夢の中で自由に動けるなどという話さえ聞くが、僕にそういう才能はないのだろう。

 目の前で垂れ流される景色は映画のように、よく見知った顔を映し出していた。

 腕の振り方はこうだとか、相手の急所をどう打てばいいとか、そんなことを新兵相手に実践してみせる笹倉ささくら大佐。

 もう四十路なんだから無理しなきゃいいのに、という他の大隊長たちの苦笑いすら受け流し、その日に焼けた浅黒い肌に白い歯を見せながら、皺と傷の刻まれた顔で豪快に笑う。

 教練相手に選ばれた1人の小隊長が青い顔をしていたが、前に立たされれば誰であってもそうなって当然だ。

 彼は何度も何度も投げ飛ばされた挙句、ほら立てやれ立てと怒鳴られて、よろめきながら立ち上がってみれば、打撃だ投げだと格闘技のオンパレード。もう無理だとギブアップを告げれば締め技がやってきて、極めつけの関節技にはセイウチのように地面をバシバシと叩いた。

 そこへ違う人影が現れ、笹倉大佐の頭に拳骨が落ちた。大佐相手にそんなことができる人物を、僕は1人しか知らない。

 バカモン、やりすぎだ、と叫んだのは師団長の高月たかつき准将だ。

 最早老齢の域に達している高月准将からすれば笹倉大佐も子供扱いらしく、しっかり雷が落とされシュンと小さくなっていた。これも毎度のことで周囲は何も言わない。

 だが説教の最後にどうして、やるなら天海とでもやれ、となるのかが僕にとって毎回の疑問だった。あまり高月准将のことが得意でなかったのは、これが理由だったかもしれない。

 喜び勇んで近接格闘術でかかってくる笹倉大佐との組手は、それこそ息をつく暇もない。こんな体では無理だ。


「勘弁してください大佐。自分はさっき戦場でリミッター解除戦闘をこなしたばかりで、体中ボロボロなんです」


 声が出たことが不思議だったが、大佐が呆れ顔をしたことはもっと驚いた。


「またやったのかお前は。毎度毎度倒れおってからに、衛生隊から苦情が来てるんだぞ」


「と、言われましても、死ぬよりマシかと思うとついやってしまうのであります」


「動けなくて倒れているお前を見るたびに、泣き叫んでいる看護師が居ると苦情が来とるんだ。女を泣かせる趣味がないなら、普通に戦って勝てるくらいに強くならんか!」


 そんな人のことは知らない、と言うが早いか、僕の頭に拳骨が落とされた。目の前に星が飛んだ気がする。痛みも含めて、夢だと言うのに大層リアルなことだ。

 霞む視線相手に、精一杯なんです、と言い訳したかったが、もう声は出ない。その割に笹倉大佐の声はしっかり聞こえた。


「それとも誰かを好きになるのが怖いか? そんなだからお前はいつまでも無謀な戦い方しかできんのだ!」


 急転直下、視界が暗転し、体が浮いたような感覚に僕は叫ぶこともできない。

 怖い、と思った気がする。

 だからだろうか。暗い視界の中で薄っすら光が見えたとき、それを掴もうと手を伸ばせば、手に柔らかく暖かい感触が伝わった。

 さっきまではっきりしていたはずの意識はやけにぼやけていて、白い光はやけに眩しく視神経が刺激されて痛い。

 声が聞こえている気もしたが、それは朧気でひたすら慌ただしい空気しか理解できない。

 だが、直後に体が縦横に揺れたことでゆっくりと全てが動き始めた。

 光に慣れていく目が瞳孔が正常に動作したことを教えてくれる。ハッキリと聞こえ始める音が現実を意識させてくれる。

 僕は手を伸ばしていた。夢と連動していたのかはわからないが、柔らかく暖かく、そして濡れた何かに触れていた。


「シュー、ニャ……?」


 美しい緑色の瞳が揺れている。僕の手は彼女の頬に触れているらしい。

 なるほどそりゃあんな風に怒られるかと笑いそうになった。笹倉大佐は彼女のことを衛生兵だと言ったのか。

 自分の霞む声に、シューニャは頬にある僕の手を強く握りしめ、大粒の涙をボロボロと零した。


――また、泣かせてしまったなぁ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る