第42話 死に損ないの無頼漢

 ロックピラーの荒野には、それなりに幅が広い道が走っている。

 わざわざ農耕資源にも恵まれないこの地域に、獣車が行き交えるほどの街道が敷かれた理由は単純明快。戦争のためだ。

 東にユライア王国と接するロックピラーは、目と鼻の先に国境緩衝地帯、正しくは前線となっているグラデーションゾーンが存在する。

 そこへ大軍と共に、動物兵器の輸送や駄載獣で物資を輸送するために、整備された街道は必要不可欠だった。

 更に泥沼化した戦争は、元々ただの街道上に築かれた中継陣地を、今や大きな要塞へと変貌させている。

 アンヴが牽引する獣車の中で、マティ・マーシュはその城の如き東の護りにため息をついた。


「これが……フォート・サザーランド」


「おや、マーシュ派遣官は見られたことがない?」


 温厚そうな笑みを浮かべてきたのは、斜向かいに座っている小男だ。

 自分の派遣が決まって間もなく、バックサイドサークルへと迎えにやってきた時は驚いた。多少耳聡い者ならばその姿を知らない者は居ないだろう。

 まるでキメラリア・ファアル鼠人間のように小柄な体躯だというのに、筋肉の鎧を纏ったような頑強な容貌の男。国に名の知れた名副官たる、カサドール帝国軍ハレディ将軍麾下第三軍団の副団長ゲーブルである。

 おかげで私は、声をかけられるたびに恐縮していた。


「は、はい! その、バックサイドサークルから出ることもあまりなかったですし、地元も遠いので」


 ゲーブルに威圧感はない。それどころか慌てふためく私を、まるで孫娘に相対するよう、そうですかそうですかと笑っているほどだ。


「しかし、このタイミングで派遣官が来てくれるのは助かりましたぞ。我らの方にも客人が居りますので」


「は、はぁ」


 ニコニコした表情を崩さないゲーブルに、理解が及ばない私は曖昧な言葉を返す。

 やがて馬車は空堀にかかった跳ね橋を渡って巨大な石造りの門をくぐり、小城のような建物の前に停まった。

 その場の光景に体中から汗が噴き出すのを感じる。

 槍を斜めに持った姿勢で警備に努めるのは、周囲を歩く兵と違ってプレートアーマーを着た騎士であり、この空間に常ならざる警戒態勢が敷かれていることが素人目にも理解できたのだ。

 ゲーブルに導かれるままに警備兵の間をくぐる。兵たちは目を合わせないようにしているようだが、それが逆に物凄い威圧感に感じられて、私は居心地が非常に悪い。

 場違いにも程がある。ただのコレクタユニオンの派遣官に対して、この待遇は何なのか。

 厳重な警戒は戦争の最中である以上当然なのだろうが、田舎娘1人に対して獣車を準備し、挙句に副団長が直接出向いてくるなど何度考えてもまともではない。

 グランマが軍や帝国に何を言ったらこんなことになるのだろう。長という連中の底知れぬ力に、私はひたすら恐れおののいていた。

 石レンガの薄暗い廊下を歩き、螺旋階段を上って、また廊下を歩いて、自分の位置が理解できなくなってきたころ、1つの扉の前にゲーブルは立ち止まった。

 扉そのものは別に他の部屋と変わらず、木の板を鉄の部品で纏めたそれだが、扉の前に護衛が立っているあたり、重要な部屋であるらしいことが窺い知れる。

 その護衛兵はゲーブルの顔を見るや、流れるように頭を下げて扉の前から退き、小男はその扉に向かって声を放った。


「副団長ゲーブル、戻りました」


「入れ」


 僅かな間も置かず響いた重厚な声に、ゲーブルはゆっくりと扉を潜り、私もそれに続いた。

 ゲーブルが入室許可を貰う相手となれば、私も深呼吸してその衝撃に備えている。部屋に入るや否や、ゲーブルが胸に手を当てる敬礼をとった後ろで、無理矢理受付用の笑顔を貼り付けて、今まで体に必死で教え込ませたお辞儀を教本通りにやって見せた。


「コレクタユニオンより派遣官殿をお連れ致しました」


「うむ、ご苦労……派遣官殿も足労頂き感謝いたす。面を上げられよ」


「はい」


 体の動きに意識を集中していた私は、いつも通りに頭を上げる。

 豪奢とは異なる、明らかに戦を前提とした指揮官室が視界に広がった。左右には本棚が置かれ、部屋の中央には作戦図と幾つかの駒が配置されている。

 問題はその奥だ。執務机に腰を下ろしているキメラリア・キムン熊人間かと思う程の巨漢。四角い顔つきには年齢に似合わない皺が刻まれ角刈りの金髪を輝かせる。

 ハレディ将軍麾下第三軍団のロンゲン軍団長その人に、覚悟をしていたとはいえ体の震えを止めるだけで精一杯だった。

 これはダメだ。ゲーブル相手にしていた恐縮とかそういう問題ではない。まるで強大な獣が前に居て、僅かでも動いたら頭からむしゃりむしゃりと美味しくいただかれる状況と大差がない。

 どれくらいその硬直が続いたのか、双方動かないとわかったらしいところでゲーブルが大きくため息をついた。


「軍団長……ただでさえお顔が恐ろしいのです。女性の派遣官殿にそれを無言で向ければ、固まってしまうのも当然でしょうに」


 巌のような顔がゲーブルの方へと向けられる。幻覚でなければ、口から怒気を煙として吐き出しているように見える。なんなら目も光っているのではないか。

 自分に向けられているわけではないと言うのに、私は悲鳴が零れそうになった。

 小男であるゲーブルは、座っているロンゲンの背丈にさえ届かない。あの拳が振り下ろされたら熟れた果実の如く中身を飛び散らせるのでは、そんな予想が脳裏を離れなかった。


「顔は生まれつきだ」


 怒ってらっしゃるので、速やかに謝って下さい。これ以上、この部屋の圧力を上げないでください。そんな私の心中を、ゲーブルは笑って吹き飛ばす。


「せめて口調を和らげるなりしていただきたいところですな。兵たちは恐れながらも慕いますが、かように可憐な女性相手に向けるものではありますまい」


 これは握りつぶされても文句言えないのでは、と思ったが、小男の言葉に巨漢は机に額を打ち付けた。机の方がよく耐えたと思う程激しい音がしたが、軍用品というのは頑丈なのだろう。

 そして彼から漏れ出たのは、不思議なことにどこか情けない声だった。


「そ、そうだな」


「ショックを受けられる前に、派遣官殿に謝られてはいかがか」


「えっ!? あ、いえ、その、私は別に何も気にしていませんので!」


 ゲーブルの提案に私はとんでもないと主張したが、ロンゲンは再び凄まじい音と共に机に四角い頭を叩きつける。

 これには流石にひぃと声が出たが、それは聞こえていないのか、重厚な音声が震えながらも謝罪を響かせる。


「派遣官殿、どうか謝罪を受け入れていただきたい。私はこうしか話せぬのだ。あと、顔に関してはどうしようもない故ご容赦願いたい」


 全体的に自分ではどうしようもないから許してくれという類の泣き言である。

 目の前に見えていた石像のような巨漢が、急激に小さくなっていくような錯覚を覚え、私は肩から力が抜けた。

 一兵卒からの叩き上げで、戦場を騎兵槍を振り回して暴れまわった寡黙な武人。実直で真面目な姿勢をハレディ将軍に認められて軍団長に抜擢された男。

 武将でも普通の人なんだなぁと、私は仮面ではない苦笑を顔に浮かべて、改めて腰を折った。


「あの、大丈夫ですから、頭を上げてください」


 この光景がどう映ったかはわからない。

 だが、隣でゲーブルはほぉと首を傾げ、ゆっくりと頭を上げたロンゲンの目には何かの輝きが宿っていた。

 呆然とする表情の大男は、なんともはぐれた親を見つけた子供のようで、いままでの威厳などどこにもない。

 一兵卒叩き上げというのは、自分と同じ庶民だったのに、こんな責任ある立場になった人だ。それも真面目だったことが理由ならば、いつも気を張って必死になっているのかもしれない。


「お、おお……寛大なお心に感謝する」


 立ち上がる巨体も力が入らないのか、ロンゲンはそのまま元居た椅子にドスンと座り込んだ。

 またしばらく見つめられていたが、最初のような威圧感も――麻痺しただけかもしれないが――感じないので、私は相手が喋り出すのを待つことにした。

 それを察したらしく、ハッとしたロンゲンは大きく咳ばらいを1つして、顔を引き締める。巌のような顔がより険しくなったが、それは真剣なだけらしい。


「改めて、私がハレディ将軍麾下第三軍団軍団長、ロンゲンだ。此度は足労に感謝する」


「コレクタユニオン・ロックピラー支部所属のマティ・マーシュです。ボルドゥ・リロイストンとカサドール帝国軍の約定に従って、この度は派遣官の大任を拝しました。非才の身ですが、客人ではなく1人の部下としてご命令ください」


 ロンゲンはうむ、と重々しく頷いて、ゲーブルに目配せをする。視線の隅で小男が敬礼を返し、退室していった。


「早速で申し訳ないのだが、我々が緊急でコレクタユニオンより人を呼んだのは、こちらの客人に関しての取り扱いに苦慮しているのだ」


「客人……ですか?」


「うむ。というのも、本来ならば治療回復の後に、コレクタユニオンへ引き渡すが妥当なのだろうが、少々厄介な情報を抱えておってな」


 本当に苦労しているのか、ロンゲンは眉間に寄った皺を指先で揉み解すとため息をついた。

 コレクタユニオンに引き渡されるというのは、どこかしらの組織コレクタに所属していた人間だということになる。それ以外のコレクタだと、そう言った国相手の約定に守られる特権を持たない。

 だが、ロンゲンは約定を理解したうえで、それを引き渡すことが難しいと考えているらしい。違反行為となれば、コレクタユニオンと敵対することにもなりかねない危険な行為だが、では何故コレクタユニオンの派遣官にそれを直接伝えたのか。

 その問に答えたのは、先ほど部屋を出ていったばかりのゲーブルだった。


「お連れしました」


「マーシュ派遣官殿。この御人と面識はあられるか?」


 開け放たれた扉を振り返れば、2人の兵士に支えられて立っている男が居た。片腕と片足を失い、あちこちに包帯が巻かれた傷だらけの姿で。

 シューニャ・フォン・ロールの報告が頭をよぎる。


「ヘンメ、さん……?」


 ゆっくりと頭を上げたボサボサ髪の男は、私の姿を見てニィっと笑う。

 間違いないと確信した。いつも同じ顔をして、沢山の部下を連れて天幕を出ていく無頼と全く同じ顔をしたのだから。


「マティの嬢ちゃんが来るとは思わなかったな……しばらくぶりだ」


「生きて――」


 生きていた。生きていて、くれた。

 あの時ポインティ・エイトに襲われて絶望的と聞かされた中で、自分が担当していた組織コレクタは壊滅しても、シューニャ・フォン・ロールとリベレイタ・ファティマ以外にまだ生存者が居てくれたことに、私は目頭が熱くなるのを感じた。

 それを見てやれやれとヘンメは肩を竦めて見せる。


「泣くなとは言わんがちょっと後にしてくれ。ロンゲン、悪いが椅子頼む」


 こんな脚だからな、とヘンメはボロボロの体を嘲笑って見せた。


「誰か椅子を」


 ロンゲンの合図でガタガタと椅子が作戦図の広げられた机に寄せられ、ヘンメがその上に座らされる。そして机を囲むようにロンゲン、ゲーブル、そして私が立った。


「今から俺が死に損なった理由を教えてやる。いいか? 全部事実だ、疑うなよ」


 勿体ぶるような口調で、彼は自分の身に起きた不可解な出来事を語り始める。

 それは私の涙を全て引っ込めてしまうほどの衝撃を持った、数奇な情報だったのだ。

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