第41話 混合物④

 目覚めてこの方、顎が外れるかと思ったトンデモ話には事欠かなかった。

 おかげでそんな衝撃にも少しは慣れてきていると思っていた矢先、シューニャが口にした提案に下顎骨が宙を舞ったような錯覚を覚える。

 余りの驚愕が戦闘中だと言うのに、俺の耳孔から入ってくる音の全てをシャットアウトしたらしい。

 僅かな間を置いて、俺は気でも狂ったかと叫びを上げた。


「ば、馬鹿言うな! 教習所でゆっくり走るのとはわけが違うんだぞ!? いきなり戦闘行動なんざ無理だ!」


 確かに装甲マキナ支援車シャルトルズは、図体の大きさに対して運転のし易さに定評がある車両ではある。戦闘車両以外も含めて、全装軌車の中では普通の車と同じように扱えるとさえ言われていた。

 だが、乗用車すら運転したことのない人間が、いきなり走らせられるほど簡単ではない。

 それでもと椅子を支えに踏ん張っているシューニャは、頑なに視線を俺から外そうとしなかった。


「あの武器なら、ミクスチャを止められるかもしれない。試す価値はある」


「そういうこと言ってんじゃ――」


 途中まで吐き出した言葉はフェードアウトし、最後に唸り声が残された。

 幸いにも広がる平野には障害物が少ない。それはつまり直線運転で逃げ続けることが可能で、アクセルを踏んでおけばなんとかなるという部分である。

 そして主砲のチェーンガンからAPDS装弾筒付き徹甲弾を叩き込めば、撃破することは難しくともダメージを与えることは不可能ではないのではないか。

 その一方で、無謀なことをせずに、このまま走り続けろという警告も頭に鳴り響く。

 俺は博打が好きだ。近くにカジノでもあるなら、こんな世界だからこそ寄ってみたいと思うくらいには。

 しかしそれは趣味の話である。命を張って賭けをする賭博師でない以上、そんな無謀なことはできないと頭蓋骨を横に振った。


「自分、シューニャに賭けていいッスかぁ!?」


 まさかそんなことを軽々しく言う、大馬鹿を乗せているとは思いもよらなかったが。

 車体後方、開け放ったハッチで小銃を振り回すアポロニアは、やけに嬉しそうに叫ぶ。


「お前、博打狂いの類だったのかよ!?」


「絶対賭けなきゃいけないゲームなんッスから、せめて自分で選びたいだけッスよ! ダマルさんはどーするッスか?」


 その口調だけで、自分は馬鹿にされているのだと気づかされた。

 車体後部など見えるはずもない。なのに脳裏にはニヤリと意地悪く笑う犬娘の表情が張り付いて、頭の柔軟な思考線を容易く引きちぎる。


「ええいくそ、わかったやってやらあ! 俺もあいつにベットだ畜生め!」


 車体を急旋回させ、後ろから迫っていた1匹を無理やり躱し、俺は運転席から飛び出した。

 アクセルを離された玉匣は、ブレーキを踏まずとも履帯の抵抗で瞬く間に失速する。装軌車の特徴であるその仕様が、ここまで恨めしく思えたこともない。

 代わってシューニャが運転席へ滑り込むと、彼女は目いっぱいアクセルを踏み込んだ。一切加減のない力行指示にエーテル機関は咆哮を上げ、失速していたキャタピラが柔い地面を掘り返したが、やがて摩擦力が打ち勝つと弾くように車体を前進させた。


「ハンドルそのまま! 真っ直ぐ走れ!」


「ん!」


 ハンドルを握る手が落ち着くのを見守って、俺はガチャガチャと骨を鳴らしながら砲手席へと飛び込んだ。

 システムチェック、発射桿に手を添えつつ弾種をAPDSへ変更。骨の手でも反応するタッチパネルに感謝しつつ、砲塔をぐるりと旋回させた。

 自分は所詮整備兵。仕様書に基づいて動作テスト程度はしたことがあっても、行進間射撃はおろか実射すらしたことがない。


「運転もド素人なら砲手も大概たぁ、ポンコツもいいとこだぜ――うおっ!?」


 狙いを定めている最中、衝撃に車体が左へとぶれる。

 見れば取り付くのに失敗したらしいミクスチャが地面を転がっており、車体の状況を知らせているインジケータに装甲損傷を示す赤いランプが点灯していた。


『右から体当たりされたッス!』


「野郎ッ! 人ん家にタックルくれるたぁ上等だ!」


 車体後部方向をズーム。レティクルの中心に奇怪極まる4つ足8つ手の化物を捉えた。

 転がった事で距離が離れたミクスチャは、再び助走をつけなおして飛び掛かる姿勢をとっている。


「お返しだぜ化物! 超硬合金弾芯入りの火の球を、食らいやがれぇッ!」


 レーザー誘導無しの直接照準。照準中央に捉えたミクスチャが身を屈めた瞬間、俺は射撃桿のトリガを引いた。



 ■



 思ったように上がらない脚は鉛のように重い。

 アクチュエータの補助があるというのに、摺足しかできないまま乾いた土を引き摺り、その抵抗に足をもつれさせて地面に膝をつく。

 どれくらい進んできたのかがわからない。方角だけは正解だと思うが、それも曖昧だった。

 玉匣の位置は常にレーダーの上に表示されているが、それを判断する力がなくなっているらしい。意識レベル低下を生命維持装置が警告している。

 これを作った奴は馬鹿だと思った。意識レベルが低下していることを本人に伝えてどうしろと言うのか。

 直ぐにマキナを脱ぎ捨てて、そのまま倒れてしまいたいという欲望を、生きて帰るという約束だけで振り払い、また脚に力を込めて立ち上がる。

 また数歩進んで膝をつく。こんなことをどれくらい繰り返しただろう。

 本当なら倒れているところを、翡翠の優秀なバランサーは伏すことすら許してくれない。僕が意識的に伏せてしまえばいいだけだが、それでは帰る事を放棄してしまうだろう。

 玉匣は今もミクスチャから逃げ続けているはずだ。死に体の自分が加わったところでどうなるものでもないだろうが、翡翠はまだ戦える。

 システムは正常、武器も枯渇していない。自分が脱出したうえで、オートパイロット制御に切り替えれば、損傷を負うことがあっても通常体の1、2匹くらいなら仕留められる。

 ならばいっそう、翡翠だけでも帰らせるべきかと強制脱装を行おうとして、僕は膝をつきながら視野の片隅に光を見た気がした。

 何かを認識したセンサーが、その場所に自動でズームをかける。


『玉匣が、戦って……? 誰が――』


 驚愕が僅かに意識を浮上させる。

 直進で疾走する玉匣と、火を噴く

 あの主砲に自動発射機能はなく、初見で扱えるほど単純なシステムと言う訳でもない。

 では誰が玉匣を運転しているのか。まさかダマルが分裂して1人で二役をこなせるはずもなく、しかし目の前では、確実にミクスチャに対して砲弾が炸裂している。

 ばら撒くだけの砲弾はなかなか連続して命中しないが、数発当たっただけでもミクスチャの動きを鈍らせ、徹甲弾を受けた部分から体液を流させていた。


『皆、が……まだ、頑張っている、ってのに』


 車体の上ではファティマが板剣を振り回して、取り付いて来ようとする別の敵を威嚇している。後ろのハッチも開きっぱなしで、そこからは自動小銃を3点射するアポロニアの姿も見えた。

 これは僕自身が決めてはじめたことだ。だというのに、何故ここで自分が倒れそうになっていて、皆が危険に晒されなければならないのか。

 真っ先に自分が意識を手放すことなど、許されるはずもないのだ。


「が……ああぁあ!」


 悲鳴を上げる体に喝を入れて、背面のラッチポイントに収納されていた携帯式電磁加速砲を右腕に装備する。

 システムは銃身冷却不完全を叫ぶが無視。蓄電池の尻を叩いて強制充填を開始する。ようやく僅かに冷え始めていただろう銃身に電弧が走った。

 手が震える。アクチュエーター損傷率が高い右腕に、照準は上下左右にフラフラと揺れ動いたが、脇を締めた上に左腕と膝に挟み込んで必死に保持した。

 玉匣の後方から近付いている1匹をレティクルが捉える。いつもより荒く、息を吸って、吐く。


「ぐぅッ」


 顎に力を入れて、トリガを引いた。同時に解放された電力が耐熱金属の杭を音速へと導く。

 ミクスチャは驚いただろうか。予期せぬ位置から音の壁を越えて突っ込んでくる物体に。いや、そんな暇はなかったかもしれない。

 衝撃に吹き飛んだ赤紫の肉が分断され、ゴロゴロと地面を転がって止まる。その背後で土砂が吹き飛ばされ、小さなクレーターを生み出した。遅れて金属のぶつかる音や弾着の轟音が響き渡る。

 残り2匹。

 ボルトを引いて次弾装填。空になった蓄電池を交換し、これが最後の1発だと言うことを思い出す。

 1対1なら取っ組み合いをしてでも殺してみせよう。

 チャージ完了の表示と共に、最後の1発が電弧と共に宙を駆けてゆく。そしてまた新たに1つ、物言わぬ肉塊を作り出した。

 僕は最後の1発を撃ち終えた電磁加速砲を地面へと打ち捨てる。銃身は使用限界に達したのか赤熱し、しゅうしゅうと煙を上げていた。

 残り1匹。

 仲間が次々と打ち崩されたことに恐怖を覚えたのか、そいつは慌てて進路を変えた。

 コマンダーが居なければ索敵能力も脅威分析力も大きく低下するようで、反応が明らかに鈍っている。発射衝撃を受けて悪化したらしい右腕が火花を散らしているが、どうせあと少しだと先にダマルへ謝罪を呟く。


『目標を、撃破する』


 突撃銃も、収束波光長剣もいらないと背面から切り離す。

 残された武器はハーモニックブレードのみというまさに最軽量の状態で、笑う膝に力を込めて僕は地面を蹴った。

 普段から見ればまるで幼子が走っているような、とても危なっかしい動きだったに違いない。通信機の向こうからダマルが何かを叫んでいたが、多分無理をするなとかそういう内容だったと思う。


 ――今無理をせずにどこで無理をするのだろう。


 わさわさと4本の脚をせわしなく動かしながら、最後の1匹がこちらへ突進してくる。

 掴みかかろうかという8本の腕をハーモニックブレードで受けとめれば、高速振動する刃が硬い表皮に沈んでいく。

 赤黒い体液を噴出しながらギリギリと気味の悪い叫びをあげるミクスチャに、ハーモニックブレードを引きながら振り抜いた。同時にずるりと2本の腕が地面へ落ちる。

 どれくらい体液を流せば死ぬのだろう。どれくらい体を失えば死ぬのだろう。僕はひたすらその場でミクスチャの体を削っていく。躍りかかる腕脚を避けることもできず、パンチに体を揺すられてキックに意識を飛ばされかけながらでも、またその腕を斬り飛ばし、脚を左腕で掴まえてへし折り、敵の血飛沫を浴びる。

 今までの戦争も、常に泥と血にまみれたものだった。無様で、傷だらけで、生と死の狭間を低空飛行で駆け抜ける。

 やがてミクスチャの脚腕が全て斬り飛ばされると、異形の化物は動く術を失って胴体をその場に転げさせた。喘ぐように開閉する楕円形の口は、最早放っておいても死ぬであろう弱り切った様子といえる。

 だから僕はゆっくりと、しかし深くハーモニックブレードを突き立てたのである。

 筋肉が痙攣し、身体が脈打つごとに血を吹き出す姿だけは、まったくもって生物のそれだろう。

 それもやがて消えてなくなり、最後の1匹も物言わぬ肉へと変わった時、僕はその目の前で崩れ落ちた。


『殲滅……完了、だ』


 何かの警報が鳴り響いた気がしたが、僕の耳には届かない。だというのに、通信機越しに聞こえる人の声が、やけにうるさく感じていた。

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