第73話 表裏

 案内された先はやけに豪奢な一室であり、それはそれは高そうな革張りのソファが置かれ、滑らかな石造りの机にはどこかで見たような名称不明の果実が山のように積まれている。頭上では立派なシャンデリアが多くの蝋燭を身に着けて輝き、部屋中ばら撒かれた高級品の置物たちを照らしていた。


 ――見栄の塊、とでも言うべきかな。


 グランマの時とは種類が異なる居心地の悪さを感じながらも、僕はソファに座って対面へと視線を送る。

 そこには色白な青年がニコニコと爽やかな笑みを浮かべて座っていた。あちこちで無造作に跳ね上がるブロンドの癖毛がどうにも目につく。

 彼は支配人のフリードリヒ・デポールと名乗った。それこそ先の事務員と違って随分友好的な雰囲気だったため、僕は権力者にもまともな好青年は居るのかと安堵しかけた。

 けれどいざ口を開いてみれば、機関銃のような勢いでこちらの偉業をテレビショッピングが如く定型句で褒めちぎり、その上でグランマの慧眼を尊敬しているだの、コレクタユニオンの栄光だのと取り留めのない話を繰り返してくる。

 挙句その中でチマチマと自画自賛を挟んでくるため、僕はおろかシューニャまでややうんざりした様子だった。

 

「いやぁ、まさかリロイストン殿お抱えの英雄様とお会いできるなんて光栄ですよ。今まで受けたどんな栄誉も、貴方を前にしては霞んでしまいます」


「僕はグランマのお抱えってわけじゃないんですがね……」


 言外に、このクソ野郎耳になんか詰まってんじゃねぇのか、と引き攣った笑いで返したものの、フリードリヒはそんな意図を汲む気はないらしい。

 それどころかどれだけこちらが否定しても、自分を英雄と仕立て上げたいのだろう。意地でも英雄様という呼称だけは変えなかった。


「まぁまぁ、それよりこちらは如何でしょう? 北の交易国リンデンより直接取り寄せた高級茶ですよ」


「あー……ハハ、美味しいです、ね?」


 味などわかるはずもない。なにせ部屋の中は香水でもふりまかれたのかと言うくらいに甘い香りが漂っており、既に嗅覚が麻痺して久しいのだ。そのせいか鋭敏な鼻を持つファティマは、後ろで何度も何度もくしゃみを繰り返していた。

 もしもこれが彼女の嗅覚を潰す作戦だとしたら、この男は余程の策士であろう。

 しかしフリードリヒから敵対的な雰囲気は一切感じられず、それどころかこちらが不機嫌と見るや、言葉の通りに手を替え品を替え、一体いくらするのかわからない物を次々と投入してくる始末だ。

 とはいえ、このまま延々と接待を受けていて時間を磨り潰すわけにもいかず、事勿れ主義を貫いてきた僕も、もうそろそろいいかと鉛のように重い腰を上げた。


「それでその、菓子もお茶もありがたいのですが、僕らに話があって呼ばれたのでは?」


「いえいえ、その英雄様にご足労頂きながら歓迎もしないのでは失礼でしょう? ささ、そう固くならず」


「歓迎と仰られるなら僕らは十分に満足しましたよ。それに少し予定もありますので、何もなければそろそろお暇させていただきたいのですが」


 こちらが椅子から立ち上がろうとすれば、彼は慌てて少々お待ちくださいと再度着席を促してくる。

 如何にグランマ推薦のコレクタリーダーだとはいえ、またミクスチャを倒した者だとはいえ、この反応は過剰であろうとシューニャに目配せを送れば、彼女も呆れたように小さく肩を竦めてみせた。

 怪しいと言うにはあまりにドンくさい動きだが、それを許容するにも限度がある。

 おかげで自分の語尾は知らず知らず、少しだけきついものになった。


「僕たちの時間も有限です。用があるならはっきり言ってもらいたい」


「そ、それは――そうですね。いえ、本日はわざわざお時間をいただきましてありがとうございました。せめてもの御礼として土産を包ませますので、いましばらくお時間を。誰か!」


 こちらの圧力にフリードリヒは僅かに笑顔を固くする。

 しかしそれでも最後まで自らのやり方を貫きたいのか、彼は軽く手を打って傍仕えを呼び出して、それに何かを告げていた。


 ――少し申し訳ない気もするが。


 僅かに緊張した青年の面持ちに、僕は罪悪感を覚えていた。このあたりが甘いと言われる所以なのは理解しているが、客観的に見れば己の存在は化物であり、多少語尾がきつくなっただけで相手が恐怖を抱くのも無理はない。

 フリードリヒは面倒くさい上に胡散臭い相手ではあるが、敵対的というわけではない以上、僕には極端な対応は難しかった。

 おかげで無理な笑みをこちらが貼り付けると、青年支配人は調子を取り戻したのか傍仕えから小箱を受け取ってこちらに差し出した。


「どうかこちらをお持ち帰りください。私からの気持ちでございます」


 白い歯を見せて笑う彼は、接客業としてならば満点の対応だっただろう。

 ただし、それが僕に僅かな違和感を走らせた。


「……ここで開けても?」


「結構ですよ。お気に召すと思いますが、いかがでしょう?」


 むしろ開けてくれと言わんばかりに、彼はこちらへ掌を向けてくる。

 全員が見守る中、蓋へ手をかければ、それは一切の抵抗なくするりと開いた。余程精巧な作りのなのだろう。

 これで中身が菓子折り程度なら、僕は大いに喜ぶことができたのだが。


「これは……」


 僅かな隙間だけで、箱の中が金色に光っていることがわかった。

 シャンデリアの光だけで輝く貴金属。コインの形に成形されたそれが、小箱の底を満たしていたのだ。

 瞬時に蓋を閉じて視線をあげれば、相変わらず爽やかな笑みを絶やさないままでフリードリヒはこちらを眺めている。

 何とも単純な手だ。しかしおかげでこの好青年モドキが抱える裏の顔に気付くことができた。


「如何です?」


「これは受け取れない。僕は誰かに飼われるつもりはないんでね」


 箱を押し返せばフリードリヒは酷く意外そうな顔をした。

 現代においては珍しくないのかもしれない。だからと言って金銭の癒着関係を築けば、その先に待つ未来はろくでもないものにしかならないだろうが。


「おや、英雄様はこういったものにはご興味がない、と?」


「人心は金だけで動かすものにあらず、と私の師に強く言われておりまして」


 冷や汗を流さないように意識しつつ引き攣った笑いを返せば、ここへきてフリードリヒは手を叩きながら大笑した。

 そこには好青年の姿など見る影もない。ただただ低俗な権力者が、目を細めてこちらを眺めているだけだ。


「いやぁ貴方の師は素晴らしい人物ですね。そして貴方もまた清廉を貫かれるとは、御見それしましたよ。土産には菓子を包ませましょう、それくらいならいいでしょう?」


 それは、と言いかけてシューニャに袖を引かれた。視線を落とせば断るなと首を振って見せる。

 こちらの沈黙を肯定と受け取ったのだろう。フリードリヒが再び手を叩けば、またも同じような箱が運ばれてくる。ただし今度のそれは蓋が開かれた状態であり、色とりどりのマカロンに似た菓子が顔をのぞかせていたが。

 金でなければ賄賂と言えないわけではないが、シューニャが受け取れと言う以上断るわけにもいかず渋々僕は蓋を閉じて膝の上に置く。


「……頂戴しましょう」


「貴方のブレインワーカーは実に利口ですね。どうか今後ともコレクタユニオンをよろしくお願いしますよ、英雄アマミ」


 それはまるで自分自身をと言っているかのようだった。

 うすら寒い気持ちになりながら、僕は軽く頭を下げてそっと席を立つ。これ以上この場所に留まっているのは、精神衛生上よろしくない。


 ――肌に合わないな。権力者って奴は。


 コレクタユニオンへの印象を一層悪化させた僕は、扉を蹴破りたくなる気持ちを必死で抑えながら応接室を出る。

 しかしシューニャとファティマを連れて階段を下れば、まるで行く手を阻むようにあのビジネスマン風の男が待っていた。

 背の高い彼は再び不愛想な雰囲気を纏いなおし、鋭い眼光をこちらへ向けている。

 だがこれはちょうどよかった。コレクタユニオンに立ち寄った理由は権力者への挨拶などではなく、あくまでテクニカや遺跡に関する情報の収集なのだから。


「さっきはどうも、少し聞きたいことが―――」


「王都を離れろ」


 それはまるでナイフを突きつけるかのような言い方だった。

 受付対応でも横柄ではあったが、そこから更に丁寧さが消え、輝く眼鏡の奥からピリピリとした敵意まで伝わってくる。


「そりゃ、一体どういうことですかね?」


「興味を持つな、質問も必要ない。何も言わずにここを出ていけ」


 取り付く島もないとはこのことだろう。その言葉の後ろには明らかに、さもないと、という言葉が無音で続いていた。

 そんな無礼極まる対応を腹に据えかねたのか、ファティマが低い唸り声を上げて威嚇する。

 けれど僕はそれを手で諫めて、営業スマイルを彼に向けた。


「随分と嫌われたものだ。言われずともコレクタユニオンに長居するつもりはありませんが、せめて理由を語っては頂けませんか?」


「お前は言葉が理解できないのか? 何も言わずに、と言ったはずだが」


「これはこれは、我々がここに居ることで何か不都合が? いや、それともコレクタユニオンに、とでも言い換えましょうか」


 適当なカマをかけてみるが、男は一切揺らがないまま小さくため息をつくと、ただ正面だけを見つめたままこちらの横を通り抜けていく。

 その際に小さく、


「敵となるなら、それなりに覚悟しておけ」


 と呟いた。



 ■



 人が居なくなった部屋でフリードリヒは独り考え事にふけっていた。

 金銭欲が薄い人間は身分の貴賤に関わらず極稀であるというのが彼の持論であり、その割に突如降って湧いた英雄はその極稀に含まれる厄介な相手だ。

 世界各地のコレクタユニオン支部に対し、帝国領バックサイドサークル支部からホウヅクによる急報が飛んだのは先日のことである。

 絶対極秘事項とされるスクロールには、ミクスチャを撃破した組織コレクタがあるという、信じられない内容が記載されていた。それも聞き覚えのないコレクタリーダーは、なんとあのボルドゥ・グランマ・リロイストンが推薦の上バッジの授与を行ったと言うのだから、フリードリヒはそれを現実として飲み込むまで途轍もない時間を要した。

 それがまさか自分の下を訪れるなど、彼は思いもしなかった。

 しかも同名にしてバッジ持ちである以上、それが噂の英雄であることは疑いようもない。

 咄嗟のことで適当な対応になってしまったのは否めないが、それでも英雄を評価するという意味での目標は達している。


 ――変わった男だ。だが、だからこそ底が知れない、か。


 接待は受けておきながら、直接の賄賂は拒絶する。

 自分が猫を被っていたことにも気づいた様子はなく、それどころか権謀術数の世界から見れば赤子のような存在。決して頭が悪いという訳ではなさそうだが、何かにつけてブレインワーカーを頼る様は決断力に欠けているようにも思える。

 しかし何より意外だったのはその出で立ちだ。ミクスチャを単独で撃破した英雄と聞いて、彼は全身が筋肉でできているような化物を想像していたのだが、実際に現れたのは細身の優男である。

 無論フリードリヒにも、それがただの痩せっぽちでないことはわかった。ただそれは本来、戦士というよりは暗殺者のそれに近く、ミクスチャはおろか正面からキメラリアと戦うことすら難しいように思える。

 にもかかわらず、付き添いの2人から向けられる視線は、明らかに信頼によるものだった。どちらも女だったことから、異性を籠絡させる術に長けているだけの可能性もあるが、そんな小細工でミクスチャ撃破に手が届くはずもなければ、グランマからの太鼓判を貰うことすら夢のまた夢だろう。

 不可解な英雄の後ろでチラつく、コレクタユニオンきっての実力者の影に、フリードリヒはすぐに結論が出ないことを悟らざるを得なかった。


「まぁ今は情報を集めることが先決、だろうね」


 迷宮入りしそうになる思考に、信用という出口を無理矢理こじ開ける。悩んでいても仕方ない時、フリードリヒはこういう解決法を取るのが得意だった。

 そして一度出口を決めてしまえば次にやるべきことが見えてくるもので、彼は手を叩いて人を呼んだ。


「お呼びですか、主様」


 部屋の暗がりから1人の女が歩み出る。

 豊満な肢体に薄衣を纏っただけの扇情的な姿をした彼女は、褐色の肌を隠そうともせずにフリードリヒにしな垂れかかった。


「あの男は真なる強者か、それともただの道化師か

。彼についての事、任せるよ」


 口の端を上げて笑うフリードリヒに対して、黒い布で顔を覆った女性の表情は読めない。だが、男の体を撫でる彼女の動きは、服従と好意が絡み合うような粘着質なものだった。


「はい……フリードリヒ様の御心のままに」

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