第169話 王都再訪

 家の位置はちょうどユライアシティとポロムルの間なので、出かけるならばどちらでもいい距離になる。

 とはいえ、買い出しの量が多いことと予期せぬ荷物増も考えられたため、玉匣を安全に隠して置ける方を選べば、足は自然と王都へ向いた。


「今朝から気になっていたのだけれど、その鼻の怪我、どうしたの?」


 市壁の門を潜るため列に並んでいる最中、シューニャは僕の顔を見て不思議そうに首を傾げる。


「名誉の負傷、かなぁ」


「おにーさん……?」


「いえ、事故によるものです。はい」


 横から金の目に睨まれて、僕はすぐに説明を切り替える。

 それでも暫くシューニャはじっとこちらを眺めていたが、やがて僕が引き攣った笑顔のまま何も語らないことで諦めたらしく、ふいと視線を前に戻した。

 だが、彼女からの追及が止んだとたん、後ろを歩いていたファティマの顔が耳元へ寄ってくる。


「ホントに見てないんですよね?」


「何度も言ってる通り、見てません」


「むー……それはそれで複雑ですけど」


「僕にどうしろってんだい」


 昨晩の風呂での出来事は事故であり、故意の物ではないとファティマには散々説明しつつ謝ったのだが、未だに彼女は納得いかないらしい。

 無論、ただで許してもらおうなどと虫のいいことは言えないので、何かお詫びをともちかければ、考えておくと告げられて今に至っている。

 しかし問題に触れる度、彼女はこうして爛々と輝く瞳をこちらに向けてくるため、僕としてはとても心臓に悪い。

 そんな心労からげんなりしているであろう自分の顔を、ポラリスが大きな瞳で見上げてくる。


「キョーイチ、なにブツブツ言ってるの?」


「い、いやなんでもないんだ。ハハハ」


 スッと身を引いていく猫と、残されて乾いた笑いを上げる自分。

 余りにも不自然なその姿を、ポラリスは暫く訝し気に見上げていたのだが、市壁の門を潜った途端、その興味はあっという間に景色へと吸い込まれていった。


「おぉー! スゴイスゴイ! お話の世界みたい!」


 青い瞳をキラキラと輝かせて叫ぶ彼女に対し、アポロニアは感動するほどの事かと首を捻る。


「確かに王都は綺麗で立派ッスけど、そこまで特別でもないッスよ」


「そーなの? わたし研究所から出たことないからわかんない」


「800年前の町からしてみりゃ、十分御伽の国だよな。なんせガスも電気もねぇんだからよ」


 このダマルの発言は余りにも衝撃的だったらしく、ポラリスはその場でぴょんと飛び跳ねて全身鎧に向き合うと、拳を握って詰め寄った。


「え゛ッ!? そんなのフベンだよー!」


 研究所内にも勿論ライフラインは通っていた。つまりポラリスにとってそれらがある生活というは普通だったのだろう。否、800年前を生きていた人間ならば、大概の人間が井戸から水を汲んで、薪やら石炭で火を起こし、電気の力を借りずに生きるなどということは想像もつかない世界の話に違いない。

 だが、シューニャはそれが当たり前と一刀両断にして見せる。


「むしろ私たちの居る環境がおかしい」


「便利なのはいいことですけどね」


「そうなのかなぁ……」


 ポラリスは少しだけ、今後の生活に不安を覚え始めたらしい。



 ■



 僕らが最初に向かったのは、路地裏に佇む仕立て屋である。

 ただダマルに関しては、下手に連れていくとまたのようにされてしまいかねないので、外で一服しておいてもらうこととなったが。


「ウィラ、お邪魔するよ」


 温かみのある木製の扉を潜った先、相変わらず薄暗い店内を見回しても、店主の姿は見当たらず、聞こえてくるのも自分たちが歩くことで軋む床の音だけ。

 それをポラリスは不気味に感じたらしく、そっと僕の裾を掴んで身体を寄せてくる。


「だれもいないよ?」


「いや、多分こっちだろうな、っと」


 顔を前に向けたままで手を挙げてみれば、指に何か硬い感触があり、同時に小さく色っぽい声が響いた。


「やん……癖を覚えるなんてズルいお客様」


「君は大体天井に居るよね。久しぶり」


 キメラリア・アラネアという希少種族であるウィラミット。いつものことながら彼女は音もなく動き、どうにも人の後ろに回り込もうとする癖がある。来店も3度目になれば、その癖くらいは覚え始めて当然だった。

 そんな彼女は空中で器用に身体を回すと、自分の胸を掻き抱きながら僕に近づいてくる。


「乙女の柔肌に触れたのだから、そういうお誘いと見ていいのかしら? 貴方なら大歓迎よ、キョウイチさん」


 手に当たった感触から察するに、柔肌というにはやけに硬いパーツだった気がするが、熱を帯びて潤む瞳を向けられては非常に悪いことをした気分になった。

 大人の女性であるウィラミットに詰め寄られ、僕は半身を引いて苦笑いを浮かべる。どうにも彼女の妖艶な雰囲気が、女性との関りに慣れていない自分には過激すぎるのだ。

 それを見かねたらしく、アポロニアがため息をつきながら間に割って入る。


「間に合ってるッスよ」


「あら、まだアポロニアも居たのね、残念。じゃあ……暖かい服の話ね」


 足音1つさせないまま、滑るようにウィラミットは自分から離れていく。

 今まで挑発的だった表情も、あっという間に普段通りに切り替わるあたり、彼女にはからかわれているだけなのだろう。

 やや熱く感じる頬を掻きながら、僕は改めて目的を口にした。


「話が早くて助かるよ。全員分の防寒着が欲しいんだ」


「まさかと思うけれど、の分も、なんて言わないわよね?」


 紅紫の瞳がスッと細められる。

 警戒しておいて正解だったが、どうやら蜘蛛は苦手と発言したダマルのことをまだ根に持っているらしい。

 とはいえ、風通しのいい骸骨をそのままにしておくのは流石に気が引けるので、僕は申し訳ないがと屁理屈を並べた。


「僕の分を2着頼みたいんだが、いいかな」


 彼女の白黒ツートーンなポニーテールを揺らし、表情を変えないまま小さく肩を落とす。

 普段から無表情なシューニャを見慣れているせいか、彼女の表情が少し拗ねているような気がして僕は笑ってしまった。


「本当に、ズルいお客様」


「恩に着るよ。あと、この子の服は多めにお願いしたいんだが」


 自分の陰に半身を隠していたポラリスの頭をポンポンと撫でる。

 するとウィラミットはパッと表情を明るい物に変え、だというのに何故か獲物を見るような目で舌なめずりをしながら、スススと距離を詰めてきた。


「まぁ、小さく可愛いお客様。とってもとっても素敵な素材……さぁお姉さんのところへいらっしゃい」


「……キョーイチぃ?」


 差し出される白黒の手に、ポラリスは強く僕の袖を握り怯えた目で見上げてくる。

 あからさまに警戒されていながら、蜘蛛の彼女はそれさえ楽しむように細く口を開けて笑みを貼り付けた。

 ウィラミットとしては多分、かなり上機嫌なのではないかと思う。だが、その笑顔は完全に逆効果であり、ポラリスはまるでお化けでも見たかのような表情を浮かべ、しまいには僕の腰に抱き着いてしまった。


「大丈夫だから、って言ってもこりゃキツイかな」


「だって、なんかこわい……」


「まぁありゃ怖いッスよね。取って食われそうな気しかしないッス」


「ボクもちょっと背中がゾワゾワします」


 ポラリスの隣で引いた表情を見せるアポロニアと、ほら鳥肌、と二の腕を見せてくるファティマ。

 キメラリア2人から見ても恐ろしいと思える以上、ポラリスには相当な恐怖だろう。自分が子供の頃なら夢に見そうだとさえ思う。

 何故か一言も発さなくなっていたシューニャが、そっと僕の裾をつまんでいたのが気になったが。


「大丈夫よ。食べたりしないから、綺麗に着飾ってキョウイチさんに見てもらいましょう?」


「もうちょっと口調を明るくしないと、本気で何が大丈夫なのか分からないッスよ」


「これでも、頑張っているのだけれど」


 アポロニアがため息をつけば、不思議とウィラミットは少ししゅんとしたように見えた。

 それでも、キメラリア特有の毛色に白い肌、暗い赤紫色の瞳。更に美しいドレスを纏って妖艶な雰囲気を持つ美女であり、それが三日月よりもなお薄く笑っているとなれば、最早どの方向で頑張っているのかわからず、僕らには沈黙することしか出来ない。

 すると彼女はこちらの様子を察してか、ふぅとけだるげに息を吐いた。


「子供に怖がられるのは嫌だから、笑顔とか雰囲気とか」


「逆効果ッスよ、それ」


「普段通りの方がまだ近づきやすい雰囲気ありますねー」


「ひどいこと言わないで。泣いてしまうわ」


 スンと鼻を鳴らして顔を覆うウィラミット。それが本気なのか、演技なのかがわからず、僕は少し慌てた。


「す、すまない! うちの娘らにも悪気はないんだ。君は美人なのもあって、独特の神秘的な雰囲気があるから近づきがたいというか――」


「……もしかして、口説かれている?」


 泣いていたように見えた女性は、また音もなく気配もなく、僕の顎先まで顔を近づけていた。それもなんなら僅かに頬を染め、白い肌と対照的に赤い舌で唇を舐めながら。


「い、いえ、僕はそういうの苦手でして」


「うふふ……初心なのも可愛い。食べちゃいたくなるわ」


 最初にドギマギしたというのは認めるが、今の彼女の眼から感じるのは妖艶さ以上に狂気であり、僕は違う意味で心臓が跳ねた。なんなら冷や汗が背中を伝う。


「こるぁあ! 何かにかこつけて、ご主人に近づくなッス!」


「フぁーっ!」


 一瞬呆気に取られていたらしいキメラリア2人が、珍しく共闘して威嚇の声を上げる。

 それをウィラミットはくるりとドレスの裾を翻して躱すと、小さくお邪魔虫と言いながら笑い、ポラリスの前にしゃがみこんだ。


「でも今日は貴女の番なの。怖がらなくていいから、お着換えしましょうね」


「え、あっ、キョーイチ助けてぇ!?」


 一瞬気を抜いていたからか、白黒の手に攫われた彼女は抵抗する間もなく抱え上げられ、するすると店の奥へ連れて行かれる。

 凄まじい罪悪感が胸に吹き荒れたが、服がないのは困るので僕は断腸の思いで彼女を見送った。


「悪いが皆、ポラリスが泣かないよう一緒についてやってくれるかい」


 3人は全員が全員、驚くほど真面目な顔で頷いた。

 ウィラミットには多大な恩があるとはいえ、キメラリア・アラネアへに近づく時は気をつけろと心に強く刻み込む。

 とはいえ、あの性格は彼女特有のものかもしれないが。



 ■



 結局その日、僕らは買い物を止めた。

 と言うのも、当初の予定では中古服を適当に見繕ってもらうだけだったのが、ウィラミットの職人魂はそれを許さず、とにかく1日待つようにと言われてしまったのだ。


「いや明日ってお前……あの蜘蛛女、もしかして工場そのものなの?」


「あり合わせを調整するだけだから、と言ってたけど、まぁ彼女は天才なんだろうね」


 衣服を機械無しで作るとなれば、普通どれくらいかかるものか。洋裁などに詳しくない自分には想像もつかないが、少なくとも数日で1着を作ることなど不可能だろう。


「アラネアは元々繊維を扱うことに優れるけれど、それでもウィラミットは特別だと思う」


「服って女性なら誰でも作れると思うッスけど、どう考えても1日なんて絶対無理ッスよ」


 比較されても困るとアポロニアは両手を挙げる。


「えっ? 服って誰でも作れるものなのかい?」


「ボクもできますよ。奴隷してる時に、暇があったらやれって言われたんで」


「まぁ農民とか流浪民族だと大体皆自分で作るッスよ。中古服だって馬鹿にならないくらい高いッスから」


 なんなら作りましょうか、と言ってくるファティマと当たり前だと語るアポロニアから、現代女性の勤勉さを思い知らされ、僕はすごいものだとため息をつく。


「じゃあシューニャもできるのかい?」


「わ、私だってできなくはない」


 馬鹿にされていると思われたのか、翠玉の瞳に睨みつけられる。

 とはいえ、僕にそのつもりは全くなく、キャスケット帽の上から頭をポコポコ撫でながら素直に褒めて、怒りを逸らす。


「そりゃあ凄いな。僕なんか昔、軍服の階級章縫い付けるのが下手くそすぎて、同じ隊の部下に呆れられたくらいだから」


 ちなみにその部下というのが井筒タヱ少尉だったのだが、そういう意味では彼女に何かと世話を焼かれた。笹倉大佐には自分のことぐらい自分でやれと怒られてばかりだったが。


「うぐ……そ、そう」


 しかし褒めた途端、シューニャは気まずそうに視線を逸らす。

 何か不味いことを言ったのだろうかと少し気になったが、僕が何か口にするより先に、カァとダマルが呆れ声を出した。


「あれができねぇでよく大尉まで昇進できたよなお前」


「そりゃ、裁縫ができなくてもマキナでチャンバラはできたし」


「これだから狂戦士バーサーカーは……不器用にも程があるぜ」


 ぐうの音も出ないとこはこのことであろう。

 ダマルはマキナに乗れないとは言っていたが、逆にそれ以外の後方支援的なスキルは驚くほど高い。ただの整備兵にしてはなんでもできすぎるほどにだ。

 この骸骨と自分を比較して見てみれば、戦うこと以外は大体赤点に思えてくる。

 それが表情に現れていたのか、アポロニアは満面の笑みを浮かべながら僕の右腕に絡みついてきた。


「いいんスよ、別にそんなことできなくても。ご主人は英雄様なんッスから」


「そうですよ。ご飯もお掃除もお裁縫も、ボクたちができることですから、それも全部されちゃうと居場所がありません」


「じゃあわたしはー……キョーイチ何してほしい?」


 背中にもたれかかってくるファティマと、左手を握ってくるポラリス。この段階で僕はとても動きにくい。

 そんな僕の様子を見て、ダマルが前頭を押さえながら、こいつ、と腹立たしいような声を出した。

 有難いことに、自分は皆に支えられて楽に生きられている。

 ただ1人、シューニャだけはもの凄く微妙な顔をしていたが。

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