第256話 ユライアシティ攻防戦⑥

 帝国軍序列第5位将軍ウェッブ・ジョイ。

 傍目に見れば中肉中背、特徴のなさが特徴のような中年男。敵味方問わず、彼を武将と呼ぶ者は珍しい。

 否、長年帝国に仕える名門貴族の跡取りとして生まれたから、という理由だけで将軍位を受けたウェッブは、武術など幼い頃に齧った程度の物でしかないため、武将はおろか騎士と呼ぶこと自体に無理があるのだ。

 無論、ウェッブ自身もそれは重々理解しており、進んで前に出るようなことは決してせず、今も後方に陣取って本隊の指揮を執っていた。

 だからその伝令兵は、迷うことなく大将旗を目指して最短距離を走ってこられたのだろう。


「伝令、伝令! 北門攻撃中の第二軍団より、応援要請です!」


 慌てた様子で叫ぶ兵士の声に、ウェッブの隣で三叉槍を携える副官はピクリと眉を上げたものの、低く落ち着いた声で問いかける。


「どういうことだ? 第二軍団は最大の兵数を抱えているはずであろう」


「そ、それが――敵に鉄蟹を手なずけている者が現れ、それの使う強力な飛び道具によって、イソ・マンがあっという間に……!」


 現代の常識における鉄蟹とは、リビングメイルやミクスチャと並ぶ謎だらけの存在でしかない。

 わかっている生態といえば、当てもなく放浪する特殊な集団を除いて、そのほとんどが遺跡の内部やその周辺に縄張りをもっていること。人を見つけると一切の躊躇なく強力な雷の魔術を振るい、積極的に攻撃してくる凶暴性を持つこと。そして、テイムドメイルのような例外が、過去に一切存在していないこと。

 これらの特徴を考慮すれば、伝令兵の言葉を聞いた全員が彼の正気を疑うのは当然であろう。

 ただ、言葉の真偽を伝令兵に問い詰めるべきか、と視線で問う副官に対し、ウェッブは肩を竦めて気の抜けた声を出した。


「はっはぁ~、何が起こるかわからんのが戦だとはいえ、オブシディアン・ナイトを失った次は鉄蟹を連れてくるとは思わなんだなぁ。とりあえず、急ぎ応援を回す故、暫し堪えよとスパイク軍団長には伝えたまえ」


「は……ハッ!」


 伝令兵はこうも容易く信じてもらえるなど、思いもよらなかったのだろう。一瞬、戸惑った様子だったが、すぐに自らの役目を思い出して弾かれたように軍獣アンヴへと飛び乗っていった。


「農民風情が……どうにも小細工ばかりは達者なようですな」


「やれやれ、貴重な人命が失われるのはよろしくない。ああ、よろしくないとも」


 皺を深める副官に対し、ウェッブは大袈裟に首を横に振ってため息をつく。

 その口から零れる高い声は、まるで血塗られた世界そのものを嘆いているかのようで、傍目には将軍というより役者に見えただろう。挙句軍獣に跨ったままなのだから、なんとも不思議な光景だったに違いない。


「だが――祖国繁栄の礎たる尊い犠牲と思えば、それも無駄ではなかろう。彼らの亡骸を土として、飢える祖国は豊かになるのだ」


 しかし、それも伝令の背中が見えなくなるや否や、彼は別人のように顔を無表情で塗り潰し、かすむような声で冷たく零した。

 それを聞き取れたのは、隣に並んでいた副官だけだっただろう。ウェッブという男を良く知る彼は、小さく肩を揺らしながら笑っていた。


「なっ、るほど……! 何故このような戦に、奴隷上がりの連中や訓練不足の新兵まで連れてこられたのかと思っておりましたが、閣下はをお考えだったわけですな」


「おいおい、妙な深読みはよしてくれよ。私はただ、獣は切り札として可能な限り温存せよ、という勅命に家臣として従っているだけだとも」


 帝都クロウドンから遠く離れた王国の地にあって、皇帝ウォデアスの目など届くはずもないのに、ウェッブは自らを忠臣であるのだと、胸甲にドンと拳を当てて口を引き締める。

 だが、その拳を緩く解いて姿勢を戻した彼は、副官の方へ頭を向けると、その首をゆっくりと傾げて見せた。


「とはいえ……可能な限り、という言葉の節目がどこにあるのか、私にはとんと分からんのだよ」


「陛下の御心を推し量ることなど、誰人にもできますまい。それでも、我ら軍人に求められる結果は常に1つだけでありましょう」


 副官の冷静な声色に、ウェッブは何も言わないまま小さく口の端を釣り上げる。

 人の死なぬ戦などありえない。予想より早く第二軍団が消耗しようとも、それは戦の勝敗を左右せず、むしろ彼の余裕は深まっていく。

 たとえそこにもう1つ、伝令が転がり込んで来ようとも。


「伝令! 第三軍団、ロンゲン軍団長が負傷! 代わって指揮を執られているゲーブル副長は、一時的に全部隊を交代させて軍団の立て直しを図る、とのことです!」


「おぉおぉ、それはえらいことだ。彼のような猛者を倒すとは、相手は噂に聞く猛将エデュアルトか?」


「いえ、軍団長を破られたのは――ハレディ将軍、です」


 伝令が発したその名前に、周囲は大きくどよめいた。

 彼女と並んで戦場に立った経験のある者も少なくない。それがあろうことか敵に回り、挙句武勇で名を馳せるロンゲンを破ったと言うのだから、兵たちの中に動揺が広がるのも当然であろう。

 これには歴戦を思わせる副官ですら、少々表情を強張らせる。


「あのハレディ将軍が敵に下っただと……閣下、これは」


「……これをと許容するわけにはいくまい。信じたくない話だがね」


 感情の乗らないウェッブの言葉に、辺りに漂っていた動揺は緊張へと入れ替わる。

 兵士たちの心中は、自軍が数において圧倒的であるという方が、最強の獣やイソ・マンという味方の存在よりも大きかったのだろう。だが、業火の少女レディ・ヘルファイアに物量をもって立ち向かうことができるかと問われた時、誰もその状況を想像することができず、戦局の変化に息を呑んだに違いない。


「ふふ……大人しく隠れていればよかったものを。わざわざ私の勝利に華を添えようと現れてくれるとは、ご苦労な事だ」


 その中でただ1人、アンヴに跨る将軍だけは冷たい笑みを湛え、誰にも聞こえない声で小さく呟いていたが。



 ■



 西門が突破されてから、どれほどの時間が経っただろう。

 大通りでは敵味方の兵士が入り乱れて得物をぶつけ合い、誰ともつかぬ亡骸は冷たい石畳の上に積み重なっていく。

 ただ、それも終わりを迎えようとしていた。濁流のようにも思える帝国軍の物量を前に、王国軍の防御陣形が瓦解したのである。


「くっ、最早これ以上は耐えられんか……! 全部隊、退けぇぃ!」


 ガーラットが後退指示を出せば、たちまち王国の兵士達は散り散りに逃げていく。その様子はまさしく潰走だった。


「敵が崩れたぞ! この機を逃すな!!」


 最早我らが勝利に疑いなし。きっと部隊を指揮する百卒長はそう考えただろう。

 頑強な防御を打ち破った事で帝国軍は気勢を上げ、勢いよく王都の中心へ向けてなだれ込む。それこそ大通りを埋め尽くすように。

 ただ、帝国軍の突撃は目の前に現れた異様な光景に止まることとなった。


「――なんだ?」


 星明りが薄い影を落とす大通りの奥で、赤い光が小さく瞬いた途端、今までバラバラに逃げていた王国兵たちは、作戦に従って建物の影へと飛び込んでいく。

 敵には見えただろうか。うっすらと闇に浮かび上がる、私たちの姿が。


「目標、正面の敵集団! 全機、撃てぇッ!!」


 私がサーベルを振り下ろした瞬間、暗闇を閃光が切り裂いた。

 赤い帯が正面の敵を舐めるように走り、その後ろでは太鼓を叩くような音と共に黒い煙が次々に立ち上がる。

 一体どれほどの敵が並んでいたか、自分にはわからない。

 ただ、クラッカァが攻撃を中断するまでの時間は、本当にあっという間だった。


「ふ……フハハハハッ! 見事! 実に見事であるぞマオリィ――ゲェッホゲッホ!?」


「だ、大丈夫ですかガーラット様!?」


 自ら直接指揮を執っていたガーラットは、建物の影から飛び出してきたかと思えば、途端に胸を押さえて大きく咳き込む。

 おかげで私は何か怪我でもされたのではと思い、慌てて軍獣から飛び降りようとしたのだが、ガーラットはそれを片手で制した。


「ん゛ん゛ッ! いや、埃にむせただけである、大事ない。それより、まさかこれほど凄まじい力を扱えるようになっているとは、夢にも思わなんだぞ」


 大きな咳払いを1つすると、老騎士はいつも通りに後ろ手を組んで、露骨に話題をこちらに振ってくる。


「私も戦えるようにと、彼が準備してくれたんです。正しく扱えているかは、よくわからないのですけどね」


「英雄、であるか」


 少し低くなった声にしまったと思ったものの、一度吐いた言葉を飲み込むことなどできはしない。

 いくら共闘中であるとはいっても、ガーラットはキョウイチのことを、大事な弟子を毒牙にかけようとする男、と思っているだろう。その相手が貸し与えた力で戦果を挙げたとなれば面白いはずもない。

 だが、私が何とか話題を逸らせないかと焦る一方、ガーラットは小さく口の端を持ち上げ笑った。


「ふ……そう縮こまらんでよい。最早吾輩にも、あの英雄をただの放浪者と呼ぶことなどできはせんのだからな」


「えっ、と?」


 それは幼いころからよく知る伯爵にしては、あまりにも意外すぎる反応であり、私は一瞬何を言われているのか理解できなかった。

 ただ、ガーラットはキョトンとしたままの自分を置いてマントを翻すと、待機している味方部隊に向かって声を張り上げた。


「全隊整列! 我々はこれより西門まで再度前進し、騎士トリシュナー率いる鉄蟹隊と共に、新たに侵入してくる敵を迎え撃つ!」


 号令一声。ガシャガシャと鎧を鳴らしながら、兵士たちを従えて老将は血肉の散らばる道を戻ってゆく。

 一方の私は、呆然と小さくなっていく背中を眺めたまま立ち尽くしていた。


 ――認めてもらえた、のだろうか。


 戦場にありながら曖昧過ぎる将来を想像をするのは、不謹慎かもしれない。けれど、信頼するガーラットが認めてくれたかもしれないということが、自分にはとんでもなく重要な話なのだ。


「マオリーネ、じーちゃん追っかけなくていいの?」


 ポラリスの声にハッと我に返る。

 今はにやけそうになる頬を押さえていられるような状況ではない。


「そ、そうね! クラッカァ全機、私に――」


 追従しなさい、という私の命令は続かなかった。

 突然辺り一帯に響き渡ったのは、巨岩が転がり砕けたかのような轟音と猛烈な地響き。それに加えて砂埃混じりの風まで吹き付けてくる。これにはクラッカァの射撃にさえ驚かなくなっていた軍獣アンヴも、驚いたようにいなないて首を持ち上げた。


「わあぁぁあぁ!? 何々っ!?」


「どうどうッ!」


 暴れ出しそうになる軍獣を必死で宥める。おかげで私の腰にしがみ付いていたポラリスも、なんとか振り落とされることはなかった。

 とはいえ、むしろ混乱しそうなのは自分の方である。建物に四方を囲まれた大通りに居ては、防壁近くの様子を伺うことはできないのだから。


「鹿さん大丈夫?」


「ええ、この子は大丈夫よ――けど、魔術を使う準備をしておいてくれる? 嫌な予感がするわ」


「んぅ? うん、わかった」


 軍獣を心配していたポラリスにも私の緊張が伝わったのか、腰に回された手がギュッと握られたのが分かった。

 静かに深呼吸を1つ。クラッカァを引き連れた私は、薄明に向かう空の下を走り出す。

 できることなら、彼女の力を使うような事態になっていないことを祈りながら。

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