第230話 人工知能と過去(後編)
あまりに衝撃的なその言葉に僕は声を失い、すぐに様々な疑問が頭の中を駆け巡る。
800年前の我が身に一体何があったのか。それがどうして何不自由ない生活を送れているのか。自分の手を握って開く感覚には、何の違和感もないのに。
そんな自分の反応が想像通りだったのか、映像の中のリッゲンバッハ教授は癖のように髭を撫でると、ふぅと小さくため息をついた。
『順を追って話そう。とはいえ、ワシも君がそうなった状況は、井筒少尉という女性兵から聞いただけじゃがな』
『少尉が?』
懐かしい名前の響きに僕はふと顔を上げる。
記憶にある限り、常に自分の直接指揮下で戦い続けた優秀なパイロットであり、その彼女の
『曰く、企業連合と共和国が最後に行った大規模戦闘で、君は後退する友軍部隊を援護するために、リミッター解除状態を1時間にも渡って続けていたそうだ。死んでいないのが不思議なくらいじゃよ』
大規模戦闘という言葉から、ぼんやりとその輪郭が脳裏に浮かんだ。何故忘れていたのかがわからない程の、圧倒的に不利な状況における激戦である。
それは奇襲的に始まった共和国の総攻撃で、ありったけとも言える大戦力が投入されたことによって、企業連合軍は戦線の防衛に失敗。大幅な後退を余儀なくされ、後方で防衛ラインを再構築して反撃することとなった。
ただ、移動速度が圧倒的に速い飛行型マキナ、ロシェンナ相手の撤退戦は困難を極め、各所から壊滅的な被害の報告が飛び交っていた記憶がある。また、それは前線に配置されていた夜光中隊も同じ状況であり、編成されていた5個小隊の内、第3及び第5小隊が全滅。残った3個小隊で後退する友軍を援護し続けていたのだ。
それでも損害は拡大する一方であり、最も損傷の小さかった自分は、単機で
戦闘が始まってからのことは、ひたすら暴れまわっていた以外によく覚えていないが、後で回収に成功したことを考えれば、企業連合は戦線の押し返しに成功したのだろう。
今更の話ではあるが、無駄でなかったと思えば小さく笑みが零れた。
『そう、ですか……タヱちゃん、律義に回収してくれたんだなぁ』
「気楽なもんだぜ。ほとんど自殺じゃねぇか」
自分の声を安堵とでも受け取ったのだろう。骸骨は呆れて腕を組み、リッゲンバッハ教授は画面の中でゆるゆると首を振った。
『彼女に感謝しておきなさい。意識不明の重体で半死半生だった君は、急ぎ野戦病院へ担ぎ込まれて一命は取り留めたのじゃ。ただ、後方の病院に移された際に、医者は二度と意識は戻らんと断定しおったよ。無論、普通の医療では、だがな』
今更になって、自らの行いに背筋が凍る。
記憶が欠落している以上、当時の自分がどういう状況に置かれていたはわからないが、1時間に及ぶ翡翠のリミッター解除状態となれば、人体がミキサーにかけられたようになってもおかしくないのだ。
そんな状況から復帰できる医療となれば、確かに普通では考えられないが、これは話の流れから理解できる。
『それが生命保管システムに入れた理由、ですか?』
『いかにも。あれは身体からアストラル体を分離し、肉体の構成データを保存した上で分解、再構築を行う機械じゃ。それを使い、ワシは恭一君の身体データを修正することにした。友人だった生物学者、コルニッシュ・ボイントン博士に協力を仰いでの』
想像がつかない話であるが、ここで自分が生きている以上、その聞き覚えの無い生物学者によるデータ修正は上手く行ったらしい。植物人間を容易く治療するなど、医学を根本からひっくり返すような大発見である。
しかし、教授は画面の中で渋い表情を作り、緩く首を横に振った。
『2年もの時間をかけることにはなったが、データの修復までは何とか漕ぎつけた。しかし、いざ身体を再構築しようという時になって、世界が崩壊をはじめてしまったんじゃ』
『なるほど……それで、800年、ですか』
『復旧させたところで、待っているのは重度のエーテル汚染がはびこる死の世界。そこで一種の博打じゃったが、エーテル汚染が消滅するまでの試算から、800年という時間を再設定して君を生かしたわけじゃが――その様子じゃと、外に汚染は残っておらんのか?』
文明崩壊当時、どれほど重大な汚染が発生していたかはわからない。しかし、人命に影響を及ぼすとなれば、手の施しようがない状況だったのだろう。実際、最終的に人類が滅びた最大の理由が、UMAを生物兵器と誤解したことによる、禁止兵器の使用合戦で間違いないのなら、それも当然と言える。
その一方、この半年ほどで自分が見てきた現代の景色に、リッゲンバッハ教授が目にしたであろう汚染世界の痕跡はほとんど残されておらず、僕は小さく肩を竦めてみせた。
『汚染どころか、人種が中世的な生活を営んでますよ』
『人種――というと、後ろに居る
『キメラリアをご存じなんですか?』
これには僕だけでなく、ダマルも驚いていた
800年前の記憶には、獣のような耳と尻尾を持つ者など居なかったはずだが、教授はさも当然だと言わんばかりに頷いて、その概要を口にする。
『うむ。キメラリアと言えば、先にも名前を上げたコルニッシュの研究成果でな。耐エーテル特性人類実験で生まれた、動物との遺伝子融合変異体じゃったが、その汚染耐性が想像以上だったことから、在来の人類と子を成すことで種の存続ができないかと考えられての。その結果、研究が進められて生まれたのが、
「おいおい、ってことは何か? 今を生きてる人間連中には、大なり小なりキメラリアの血が確実に流れてるってことかよ」
『恭一君のように生命保管装置に入っていた者以外はそうなるじゃろうの。旧人類は皆、エーテル汚染に耐えられずに死滅しておるじゃろうし』
今度は女性陣が驚いて顔を見合わせる。
特に唯一純然たる人間であったシューニャは、ペタペタと自分の体を触って確かめていた。
無論、彼女以上に愕然とする者もあったが
『だってさ、マオ』
「……ご、ごめんなさい。正直、何を言われてるのかサッパリわからないのだけれど――つまり、人種は全員キメラリアかデミだということ?」
『端的に言えばそうじゃ。とはいえ、キメラリアの遺伝子は潜性であるため、人の遺伝子と混ざって2、3世代もすれば、エーテル耐性以外ただの人間と変わらなくなる――と、コルニッシュは言っておったな』
この言葉の何割をマオリィネが理解できたかはわからない。ただ、今までデミの血が貴族にあるのは不利、という部分が本気で馬鹿らしくなったのだろう。両手で顔を覆って天井を見上げていた。
その一方、より理解が進んだらしいシューニャは、僕を押しのけるようにしてデスクの前に出る。
「じゃあ、ここの司書たちも、最初は全てキメラリアだったということ?」
『司書――ほぉ? 800年経ってなお、彼らの子孫はワシが与えた名を使いながら、この文明知識を守り続けておるのか』
「ということは、貴方は言い伝えにある……神代の人?」
彼女の震えるような問いかけに、リッゲンバッハ教授はガッハッハと大口を開けて笑った。
『そうかしこまることもない。確かに司書の始まりは、ワシがテクニカから連れ出してきた数人の成体キメラリアと、それらが産んだ幼いデミたちじゃったが、ワシはただの爺に過ぎんよ』
「た、ただの老人が、モニタァの中にはいるとは思えないけれど……」
あまりに軽く語られる自らのルーツについて、シューニャは動揺したらしくポンチョの裾を強く握りながら僅かに後ずさる。
すると、彼女に代わって今度は骸骨が質問を飛ばした。
「アンタが連れてきたってんなら、なんでそいつらに文字を教えなかったんだ? 俺たちの共通文字が読めりゃ、もう少し文明が発達したかもしれねぇのに」
『その辺りは人の傲慢さじゃな。テクニカを含めた各地の研究機関では、キメラリアを従順な実験対象とするため、知恵をつけさせんよう、言葉だけで文字を教えることを禁止しとったし、脱出後にもそんな余裕はなかったからのぉ……』
「今の連中より俺たちの方が、キメラリアやデミを激しく差別してたってか? 胸糞悪ぃ話だ――痛ぇっ!?」
馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに、言葉を吐き捨てた骸骨だったが、アポロニアは空気が暗く沈むのを嫌ってか、その背を勢いよく叩くと犬歯を見せて笑う。
「そんなに怒んなくてもいいッスよ。それよりお爺ちゃん、テクニカって昔にもあったんスか? ご主人たちは知らなかったっぽいッスけど」
『極秘施設じゃったから、彼らが知らんのは当然じゃよ。企業連合単独で作られていたガーデンと違い、研究職の人間が国籍に関係なく集まって生まれた組織でな。ここから南東方向に置かれていたはずじゃよ』
どうやら現代におけるテクニカとは全く別物らしい。名前が同じであることは、それこそ誰かが言葉だけを伝えたのだろう。
だが、思えば同じ言葉を雪石製薬地下研究所の中で目にしていたことを、僕は不意に思い出した。
『メヌリスさんのログにあったテクニカはこっちか……絶対に許さない、と書かれていましたが』
会った事の無い女性ではあるが、家族を奪われたことに対する強い憎悪を感じる文章だったことは記憶している。そして彼女の気持ちは、ストリを失った自分にも驚くほどよくわかった。
しかし、リッゲンバッハ教授にしてみれば、恥ずかしい身内の話だったのだろう。禿げあがった頭を撫でると、肩を落としながら大きくため息をついた。
『やぁれやれ、余計な日記をつける娘の癖は死ぬまで変わらなんだか。まぁ、あやつが言う通りでな……ワシは共和国憎しとキメラリアとデミを連れて未完成のガーデンへ逃れ、マキナを暴走させることでテクニカを滅ぼしたんじゃ』
「ってこたぁ……もしかしてここが完成してねぇのは」
『計画予算がテクニカに流れたからじゃよ。途中から軍が介入して建て直しが図られたが、結局エリア04以後の建設は中止されて、予備施設として管理ロボットだけの無人空間が生まれたわけじゃな。ワシが最後の逃げ場とするまでは、じゃがの』
驚くほど規模の大きな話に眩暈がしたが、共和国の横暴により娘婿を失ったことで亡命を決意し、その後に孫娘までも奪われた老人の恨みは相当に大きかったのだろう。温和なはずのリッゲンバッハ教授が、人類に止めを刺すほどなのだから。
ただ、だからこそ疑問も残る。
『話は分かったのですが……ここからキメラリアやデミたちを外に出した上で、施設を封印した理由はなんなんです?』
『キメラリア達を外に出したのは、種を存続させるためじゃよ』
そう難しいことでもない、と老人は首を振り、見よと言って画面上にガーデンの地図を表示させた。
そこで光っていたのは、エリア04未着工区と書かれている部分で、建設計画には食料生産区画と刻まれている。これだけで、状況はすぐに飲み込めた。
『食料確保の問題ですか』
『うむ。残念ながら食料生産プラントは未完成で、不味い合成食すら作れん状況では、食料の枯渇と共に飢え死ぬ以外未来がなかったからの。そこで、彼らにはガーデンを守護せよという役目を与え、外で暮らすよう求めたのじゃ。ついでに、ワシの亡骸も持ち出してもらったがな』
『なる、ほど……』
多少は保存食もあったのだろうが、複数のキメラリアやデミたちが食べていくことなどできるはずもない。ならば食料が完全に枯渇する前に、狩猟なり農耕なりの生活を営ませることは絶対条件となる。そんな状況から、800年に渡ってこの場を守り続けているのだから、原初のキメラリア達こそ尊敬されるべき存在だろう。
僕が理由に納得した様子を見せれば、画面の中で老人は話を軽い様子で進めた。
『次に施設を封印した理由じゃが、これは君のためじゃよ』
『僕の?』
不思議な回答に、僕は翡翠のヘッドユニットを傾げ、同じように骸骨も隣ではぁ? と素っ頓狂な声を出す。
その一方、女性陣は感心したような表情をしていた。唯一ポラリスだけは、途中から話についてこれないあまり、眠気に襲われ始めているようだったが。
『800年という月日に、完全な状態で耐えられる施設は少なく、その多くは暴走マキナとの戦闘で荒廃しているはず。となれば、君が正常に目覚めたとき、物資の枯渇は致命的な問題になりかねん。故に、無謀な賭けではあったが、司書たちを含めた他の誰にもこの場を荒らされぬよう、あの翡翠でしか開かぬように封じたのじゃ。』
抗劣化庫の性能を最大限発揮する目的もあったし、と老人は笑いながら続ける。
確かに内部の整頓された状況は、今まで最も状況がまともだったスノウライト・テクニカよりもなお保存状態がいい。
だが、自分たちが必要なのは古代の建物ではないため、ダマルは小さく
「一応聞いときたいんだが、ここには何が残ってんだ? まさか箱ものだけってこたぁねぇよな?」
『それは見てもらった方が早いのう。パシナに案内させよう』
黒いオートメックはどうやらパシナというペットネームらしく、リッゲンバッハ教授がその名を呼ぶと、まるで伸びをするかのようにしてガチャガチャと動き出す。
だが、喧しい音がしてもなお船を漕ぐ青銀の頭を見て、僕はそれに待ったをかけた。
『すみません教授。今日はこの辺りで失礼させていただきたいのですが』
『む……? おぉおぉ、気づかなんだわい、こりゃすまんの』
半ば夢の中に居るポラリスの顔に、パシナがぐるりとカメラを向けると、画面の中で老人は悪い悪いと禿げ頭を掻いた。
時間は有限だが、ポラリスやファティマは休ませてやりたいし、何よりシューニャを家族と会わせてやりたいのだ。そうとでも理由をつけなければ、自分は作業の忙しさを理由に彼女らを無視してしまいかねない。
そう思ったところで、だったらとダマルが手を挙げた。
「俺ぁ先に作業を進めるとするぜ。特に疲れてるわけでもねぇしな」
「あ、じゃあ自分も――」
「いいや、お前らは全員しっかり休んで来い。どうせ今日は何があるか確認するだけだし、俺もこっちで勝手に休むぜ」
片腕が負傷したままの骸骨を放っていくのに気が引けたのか、アポロニアは手伝うと言いかけたようだが、そこへ被せるようにしてダマルは自分だけで構わないと言い張る。
それも休むと言われては止めることもできず、僕はその言葉に甘えることにした。
『わかった。なら、悪いが頼むよ』
「おう。後で飯だけ持ってきてくれや」
骸骨はそう言って軽く手を振ると、パシナに案内されて廊下へ消えていく。こういう場面において、アンデッドは思った以上に働き者だった。
『僕らも戻ろう。ファティはポラリスを抱っこしてやってくれ。では教授、また明日伺います』
「はぁい、行きますよポーちゃん」
「んぎゅ……おわりぃ?」
寝言のように告げる彼女をファティマが抱え上げたのを確認し、僕は皆を先導する形で部屋を出た。
過去は知ろうとも変えられないが、これからの未来をつかみ取る力はある。そのために、明日からは忙しくなると深く息を吐いて。
ただ、この考えは甘かったと言うべきだろう。忙しくなるのが明日からである保証など、ありはしなかったのだから。
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