第278話 ヒッチハイクキャッツ

 ギシギシと軋む獣車の車輪。

 毛長牛ボスルスの牽引するそれらは長く長く列を成し、護衛らしき武装した者達に囲まれながら東へ向かって進んでいた。


「お頭ぁ、もうすぐフォート・サザーランドが見えるはずですぜ」


「やれやれ、ようやくここまで来たか」


 先頭を行く獣車の御者台で、周囲と比べて一層裕福そうな恰好の太った男は、流れる汗を拭きながら、どはぁ、と息をつく。

 どこもかしこも乾燥していて暑い帝国領を、砂漠に接する南側からえっちらおっちら、列を率いて歩くこと数週間。

 頭と呼ばれた男は想像以上の長旅に、今の積み荷が売れたらしばらく東には来たくない、と思いながら軽い水筒を煽った。


「はぁーあ、水も尽きおったわい……お前まだ持ってるか?」


「申し訳ありません。自分もとっくに干上がってます」


 部下らしき御者を務める男が、ご覧の通りと平たくなった革水筒を持ち上げれば、頭の表情は一層げんなりしたものになる。

 ただでさえ、ロックピラーは全く農耕に適さないことから、水や食料を補給できる町村がほとんど存在しない。特にフラットアンドアーチを避ける形で、南西側から伸びる街道沿いはそれが顕著だった。

 まさしく割に合わない強行軍であり、出発前には今こそ稼ぎ時と意気込んでいた頭も、今となっては見る影もない。

 おかげで、御者の発した意外な言葉への反応もまた、酷く鈍いものだった。


「あれは――? ちょいとお頭、何か道の真ん中に妙な奴が1人、手ぇ振ってますが」


「たった1人なら賊というわけでもなかろう。無視だ無視。放浪者など金にもなりゃせんからな」


 未だ戦争が続く不安定な情勢である。そんな中、わざわざ国境近くの街道を1人でふらついているような輩が、金をもっているはずもない。

 頭はよほど身体がだるいのか、木の背もたれに体重を預けて目を瞑ったまま、そのまま進めと鼻を鳴らす。

 しかし、御者はその姿へ目を凝らし、やがてニッと口の端を上げた。


「キメラリアですが、放っといてよろしいんで? それものようですが」


「……何、毛無だと?」


 うっそりと身体を起こした頭は、微かにぼやける視界で街道の中央を見据える。

 大きな耳に長い尻尾。他はほとんど人間と変わらず、しかし珍しく健康的な身体をしている若いケット。

 その姿に今まで気だるそうだった商人は、ふむと小さく頷くと御者の肩を叩いた。



 ■



 ――まさか本当に止まってくれるとは。


 それがボクの抱いた最初の感想である。

 連なる獣車を見る限り、隊商であることはほぼ間違いない。ただ、車列の長さが凄まじく、相当な豪商であることが伺えた。

 そんな連中が、キメラリアの呼びかけで立ち止まるなど、全く想像もつかない話である。むしろ、いきなりこっちが賊の類だと勘違いして、襲い掛かってこられても不思議ではないくらいだ。

 しかし、駆け寄ってきた護衛は武器に手をかけることもなく、まるで同じ人に接するような雰囲気まで纏っていた。


「よぉ、どうしたケット。こんなところを1人で放浪してんのかい?」


「そんな感じです。凄い車列ですけど、隊商さんですか?」


「あぁそうさ。ここだけの話、うちのお頭はキメラリア好きの変わり者でな。何か欲しいなら、きっと安くしてもらえるぜ」


 あからさまに不審な登場の仕方だった自分に対し、見ていくか、と言って幌のかかった獣車を指さす妙に親し気な護衛。雇い主だけでなく、こいつ自身も相当な変わり者のように思えてならない。無論、こちらの身なりから金を持っていると判断して、建前だけで金をもぎ取ろうとしているのかもしれないが。

 ただ、ボクは腹の探り合いのような行為が全く得意ではないため、とりあえず怪しまれないように商品を見せてもらおうと、彼の誘いに乗っておくことにした。

 したのだが。


「やぁやぁこれは美しいケットのお嬢さんだ。何か入用かな?」


「はい、ちょっと食べ物が欲しくて――え?」


 重そうな体をドッスンと揺らし、汗をだらだら流しながら、獣車の御者台から降りてくる太っちょおじさん。緑色に染め抜かれた服は、はた目からも豪奢な物であり、頭の上には四角い帽子が乗っかっている。

 そのあまりに特徴的な姿に、ボクは目が点になった。


「んん? どうした、ワシの顔に何かついているかね」


 一方、太っちょおじさんはこちらを見ても、特に何も感じなかったらしく、癖のように両手をすり合わせながら、ニコニコとした表情を崩さない。

 おかげで自分の中に浮かんだ驚きは急激に温度をなくし、強い冷静さが蘇ってくる。僅かばかりの落胆と共に。


「……いえ、その反応が普通でしょうね。奴隷商、ラルマンジャ・シロフスキ」


 ため息に乗せて、不思議と芽生えていた小さな感傷を吐き捨てる。

 物心ついた時から成人するまでの15年。どれほど不自由でも、自らの居場所だった檻を仕切る男へ向けて。

 急に名前を呼ばれたことに対し、ラルマンジャはとても驚いた様子だった。護衛や御者と共に、これまでやけに友好的だった表情が完全に崩れている。

 ただそれは、決して過去にコレクタユニオンへ売り飛ばした奴隷のことを思い出したからなどではなく、隊商と偽っていた自分たちの素性を言い当てられたからに過ぎないだろうが。


「いやはや恐れ入る。ワシの顔と名前は、いつから放浪者のキメラリアが知るほど有名になったのだろうな」


 先ほどまでの朗らかな様子が嘘のように鋭く、そして嫌らしく細められるラルマンジャの目。それと同時に、親しげだった護衛も腰からこん棒を抜き放ち、その後ろから詰めかけてきた連中も、さすまたやら投げ縄やらと捕縛用に使う道具類を手にしている。

 ついでに、ツンと鼻をつく懐かしい臭いに、ボクはムッと顔をしかめた。


 ――腐毒蜥蜴ニーヴヘコの痺れ毒ですか。毛無1人に随分周到ですね。


 人垣の奥に隠れている、小さなクロスボウのボルトに塗られているのだろう。昔から奴隷狩りの際に奴隷商が好んで使う手段である。

 首輪をつけられて檻の中で過ごしていた頃、ラルマンジャはよくこの毒に関して自慢げに語っていた。なんでも、薄すぎると効かないし濃すぎれば相手を殺しかねない代物だが、自分は代々受け継がれた特別な調合方法を知っているのだとか。

 本当ならあのまま獣車に誘い込み、油断しているところを生け捕りにするつもりだったのだろう。それが失敗したことで、最早臭いを隠すことすらしなくなって、今に至るというわけだ。


「別に有名じゃないと思いますよ。ボクは忘れられなくなるくらい、その顔を見てきただけですし」


「忘れられないくらい――? あっ、思い出しましたぜお頭! こいつ、売れ残りのファティマですよ!」


「あ? なんじゃ、元うちの商品か?」


「ほら、でかくなった分の維持費が勿体ないって、コレクタユニオンにはした金で売り飛ばしたじゃないですか」


 何故かラルマンジャではなく、御者の方が商品だった自分のことを思い出せたらしい。ただ残念なことに、ボクはその御者の顔に全く覚えがなく、大きく首を捻ることになった。

 一方、さすがに大店の商人だけあって、費用云々の話になると記憶がつながったのだろう。ラルマンジャはポンと手を叩いて、なにやら面白い声を出した。


「おぅ……? おぅおぅおぅ! 確かに長い間抱えとった不良在庫があったな。しかし、この時勢となってから戻ってくるとは、なかなか店想いな商品じゃのう。それに、抱えておる武器や服を見る限り、今度はよい値がつきそうだ」


 脳裏に小さくイライラが走る。

 自分のことを商品だなんだというのは構わない。何せ、自分にとっては長い間それが普通だったのだから。

 しかし、持ち物に関しては別である。

 奴隷の頃は自分自身がラルマンジャの所有物であり、自由にできるものなんて何一つないのが当たり前。ヘンメの下で働いているときも、借金があった以上自分の道具類は全部全部借り物だった。

 けれど、今はそうじゃない。武器も服も、おにーさんがくれたものだ。

 それを勝手に値踏みされたことが、何故だかとんでもなく腹立たしくて、口調は自然と平坦になった。


「ふーん……でも、後ろの獣車って全部ボクと同じ商品ですよね? それだけで結構な量があるとおうんですけど、どこがそんなに買ってくれるんですか?」


「元商品が利口なことをいうものだ。なぁに、今度は売れ残る心配もいらんぞ。このところはどうしてか、帝国軍がやけにキメラリアの奴隷を山ほど欲しがっておるらしくてのぉ」


 自慢げなラルマンジャの口から、帝国軍、という言葉が零れたことに、ボクはホッと胸をなでおろしつつ、ミカヅキの柄に手をかける。


「ありがとうございます、安心しました。これなら、おにーさんとの約束を破ったことにはならないでしょうから」


 相手が敵意のない民衆なら、フォート・サザーランドへ近づかないように伝えるだけにしなければならない、とおにーさんは言った。

 その代わりにボクは、帝国軍やマキナを扱う組織、あるいはそれに与する連中であった時は好きなように暴れていい、というお許しももらっている。

 わざわざ国境近くの基地に奴隷を運んできた以上、ラルマンジャは帝国軍がミクスチャを作っていることなんて知らないのだろう。しかし、場所がどこであれ、キメラリアの奴隷を帝国軍へ売りとばすつもりなら、それだけでお許しの範囲としては十分すぎるはず。

 無論、長年奴隷商を営むラルマンジャは、こちら抵抗することくらい予想できていたようで、武器を抜いたボクを見ても、やれやれと肩を竦めるだけだった。


「利口なだけで躾は必要か……しかし、良質そうな商品であることに間違いはない。できるだけ壊さんよう気をつけろ」


「お任せください。そのための我々で――」


 パッ、と血しぶきが宙を舞った。

 1歩前へ踏み出した護衛の身体は、薄い笑みを浮かべたまま斜めにズレ、力なく地面へ崩れ落ちる。


「そのためって、なんのためですか?」


 ミカヅキをわざとらしく振って刀身の血を払い、唖然とする護衛たちに扇状に膨らんだ切っ先を向ける。

 なんだかんだ、人を斬ったのはこれが初めてだったが、胸甲と鎖帷子の組み合わせなんて、細い枝を打ち払うのと変わらない。

 相手が何人居ようとも、最早ボクには楽しい遊びの時間だとしか思えなかった。


「こ、この野郎ッ! クロスボウ、放て!」


「アハッ! へったくそですね! これなら犬のほうがよっぽど上手ですよ!」


 毒を塗って使う前提の細く短いボルトを幅広の刀身で弾きつつ、ボクは人垣の一角を薙ぎ払った。

 いつぞや板剣を使い、帝国兵をひとまとめに叩き斬った時とは違い、刃は衝撃もないままするりと抜けていく。

 これにはキメラリアと戦うことに慣れているであろう護衛たちも、ギョッとした表情を浮かべて後ずさった。


「こいつ、たった一振りで3人まとめて……!? キメラリアのくせにかなり使っ――」


「とぉ!」


 うべっ、という妙な叫び声を残し、さすまたを構えていた長身の女が小さくなる。

 ミクスチャの外皮を切り裂けるミカヅキを、生半可な武器で受け止めようとするのはほとんど自殺と言っていい。

 そのことに気づいてか、こちらの斬撃を警戒した連中は、投げ縄やらスリングやらに持ち替えてきたが、パイロットスゥツに身を包んだボクの動きを捉えることはできていなかった。


「くそ、あんなバカでかい鉈担いでるくせに、なんつう動きだ! 狙いが定まらねぇぞ!?」


「お頭ぁ、こいつはただもんじゃないですぜ!」


 あっという間に10人以上を失った護衛たちは、ようやく手に負えないと思ったらしく、じりじりと後退しながら救いを求めるようにラルマンジャへ声をかける。

 彼は損害額の計算でもしていたのだろう。重々しい体をどんよりと揺すりながら、悲壮な護衛の声に対して大仰なため息をついた。


「まったく、情けないことばかり抜かしおって……よいよい、何でも使え。これなら10人、いや20人分の値をつけられるのだ。捕らえたものには褒美を出すぞ!」


「よっしゃぁ! 流石お頭だぁ! こいつを食らいやがれぃ!」


 不敵な言葉に、毒矢以外にも何かあるのか、と警戒したところ、何やらこちらを囲んでいた連中が揃いも揃って小さな布袋を振り回し始める。

 それが何なのかくらい、ボクにもすぐ理解できた。何せ、妙に甘い香りが鼻のあたりについたのだから。


「んむ……ボク1人にこんな量のスイビョウカを……本当にお金遣いが荒いですね」


 鼻のいいキメラリアを酔わせる高価な粉末。

 以前、サフェージュはこれをわずかに嗅いだだけで倒れてしまったが、本来香袋程度なら慣れてさえいれば問題にならない代物であり、ボクは咄嗟に腕で口鼻を覆う。

 しかしまさか、これほどの数が準備されていると違うらしく、呼吸を抑えていてもなお視界がわずかに歪みはじめた。


「はっはぁ! 動きが鈍ったぞ! 捕らえろ!」


「褒美は俺のもん――あばッ!?」


 今が好機と突っ込んでくる護衛の姿が二重に見える。

 しかし、こちらが弱体化したと思って大振りに突き出されるさすまたなど、空気の動きと大体の勘があれば躱すことなど簡単で、ボクは重い切っ先をそいつの喉笛へ叩きこんだ。


「……あんまりボク《たち》のことを舐めない方がいいですよ?」


 焦点が定まらない中、ゆらりと首を傾げて薄い笑いを浮かべれば、次の瞬間、何かがはじける音が響き渡った。


「はぇ……?」


 目の前で香袋を振り回していた男は、突然バランスを崩したようによろめくと、不思議そうに自分の腕へと視線を送る。

 ただ、その先にあった高価な香袋と、それを握っていたはずのガントレットは、肩の付け根から綺麗サッパリ消え去っていたが。


「ぎ、ぎええええええええ!? 俺の、俺の腕がぁ!?」


 男の叫び声と一気に溢れ出す赤黒い血に、周りを囲んでいた男たちはギョッと目をむいて後ずさる。


 ――言うのが遅すぎましたね。わざとですけど。


 自分以外、誰も何も理解できなかっただろう。耳を揺さぶった特徴的な風切音だけで、人間の腕が弾け飛ぶなんて。

 ただ、もうボクにとっては耳慣れたもので、香りが薄まるにつれて正常に戻りつつある視界の中、長い尻尾をゆらゆら揺すりながら、護衛たちへゆっくりと迫った。


「ラルマンジャさんはキメラリア狩りに慣れてるだろうから、ちょっと警戒してたんですけど、護衛のほうは思った以上におバカさんなんですね。こんな長々列を組んでるような隊商に、普段は大半の商人から相手にもされないキメラリアがそれもたった1人でなんて、なんの裏もなく声かけるわけないじゃないですか?」


「こ、この、毛無のケット風情が調子に乗りおって……! もう傷つけても構わん! クロスボウ、上に居る魔術師を炙り出せ!」


 こちらの挑発が効いたのか、護衛の盾に守られるラルマンジャは、これまでの穏やかな雰囲気をかなぐり捨てて額に青筋を浮かべると、自らもやけに豪奢なクロスボウを持ち出して、ボルトを突っ込みながら周囲の連中に命令を飛ばす。

 すると、多くの仲間を失った護衛たちは、捕縛する気すらなくなったらしい。さすまたやロープといった装備を投げ捨てると、腰に差していた刀剣を引き抜き、強い殺気を漲らせる。


「優しくしてやる時間は終っただぞ害獣。覚悟しやがれ!」


「別に頼んでませんよ。それに――」


 今までより大型のクロスボウから、ヒュンヒュンと音を立てて飛んでくるボルトをはじきつつ、ボクは小さく牙を覗かせて笑みを深める。


「ボクにとってはここからが、本当にお遊びですから。ですよね? おにーさん」


 ズン、とお腹に響く振動。

 そこから先は、今まで自らの手で弾いていたボルトが飛んでくることはなく、カチカチと金属同士がぶつかる音だけが微かに残るばかり。

 眼前に立ち塞がった青緑色の壁。その冷たく硬い背中に、ボクは軽くほほを摺り寄せてから、ミカヅキを一層強く握りこんだのである。

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