第159話 後方支援部隊の誇り

 大型の整備ステーションの上で、翡翠の再調整は急ピッチで進む。

 ダマルはいつになく素早い動きで、装甲や稼働部に大きな損傷がないかを調べつつ、同時に放電攻撃を受けたことによるシステムエラーを確認するため、手順を飛ばしながらチェックプログラムを走らせている。

 軍隊は敵を撃ち殺す兵士だけが強く偉いのではない。様々な後方支援隊が陰に居なければ、前線などあっという間に崩壊するのだ。

 そして我らが骸骨の属したという整備中隊は、兵器を可能な限り完全な状態にして前線に送り出すことを最大の誉とする、いわば武装兵装の母親的存在であり、軍務を解かれて久しいながら、ダマルは勇んで工具を取った。

 いつも通り比較的器用なアポロニアがサポートにつき、その熱気に晒されたシューニャも、覚束ない手つきで部品や道具を探して動き回っている。

 対する僕は、そんな3人の動きを見ながらぐったりと壁を背にして座り込んでおり、膝の上ではファティマも溶けてしまったかのように倒れていた。更にその隣では、マオリィネが膝にポラリスを抱えた状態で、精魂尽き果てたかのようにへたり込んでいた。


「腰、がぁ……」


「ボク、疲れました……とっても、とっても疲れました……」


 今後、マキナを人力で引き摺るようなことは何があってもしたくない。

 ファティマとマオリィネの力を借りて、3人がかりで何とか移動はさせられたものの、居住区から格納庫までは相当な距離があったため、僕の関節はクラッシュ寸前となり、今日だけで3度目となったマオリィネとファティマに至っては体力的にも限界を迎えていた。

 戦闘前からこれでは先が思いやられるが、そもそもマキナは人力だけで移動させることなど想定されていないだから仕方がない。

 そんな僕らをよそに、ダマルはせっせとステーションのクレーンやらを用いて、何かしらの確認や調整を行っていく。そこに普段のふざけた様子は全く見られないのだから、流石はプロだと改めて感心させられた。


「ジェネレーター出力安定確認。伝達系感度チェック、良好。右腕アクチュエータ1番よし、2番よし、3番……よし。関節動作正常。武装接続、デバイス更新と……後は待つだけだ」


 コンソールを叩いてダマルはふぅと息をつくと、今まで忙しく動き回っていた足を止め、ぐるりと肩を回して手伝っていた2人に向き直った。


「でっかいッスねぇコレ」


「今までに見た物とは大きさが違いすぎる。ダマル、これは?」


「ああ、3号乙装備軽砲戦仕様用の重電磁加速砲リニアカノンだ。対装甲用武装で弾速も馬鹿みてぇに速ぇから、戦車でもなんでも1撃で木端微塵にできるぜ」


 シューニャとアポロニアが見上げていたのは、天井クレーンから降ろされて翡翠の背面から肩にかけて連結された大砲である。

 火力で言えばシンクマキナが搭載していた荷電粒子砲には及ばないものの、今までに翡翠が装備した物の中では格段に大掛かりで巨大な代物だ。

 とはいえ、ダマルの説明でアポロニアはおろかシューニャさえも理解できなかったらしく、途中までうんうんと頷いておきながら最後には揃って首を傾げた。


「とりあえず強い、ということだけは理解できた」


「ダマルさんは言葉がいちいち難しいッスからね。自分なんて途中から呪詛にしか聞こえなかったッス」


「じゃあ頷いてんじゃねぇよ……石器時代人共には困っちまうぜ。まぁ、携帯式電磁加速砲パーソナルレールガンのデカい版だと思えばいい。実際やってるこたぁ変わらねぇんだからな」


 無論、複雑さと巨大さは飾りではなく、攻撃力は携帯式電磁加速砲と比べて桁違いである。元々は甲鉄の対装甲砲戦用に搭載する目的で設計された物だったが、旧式化した第一世代機の運用が減って以降は、黒鋼や尖晶にも改造を施されたものが搭載されていた。

 砲兵隊や対装甲隊が主な装備先だったため、僕自身に使用経験はない。そもそも動きが鈍重になる武器を全体的に嫌っていた身としては、これを含めた砲戦仕様装備は性に合わなかったのだ。

 だが、運動戦が難しい狭い地下という環境で、低速かつ重装甲な敵を相手とする状況においてなら、これほど頼もしいと思えるものはないだろう。


「随分と早かったね。何がどれだけ撃てる? 弾種は?」


 うにぃー、と文句を言うファティマを膝から押しのけつつ、僕は軋む身体に喝を入れて立ち上がる。


「なぁに、こんだけ設備があってドンくさいことしてたら、整備班長なんてやってらんねぇよ。こいつの中に入ってんのは耐熱音速徹甲弾が3発だけだ。予備の弾はねぇが、たとえあっても翡翠じゃ積む場所もねぇからこれが精一杯だぜ」


「翡翠の状態については?」


「最新式の大型ステーションで調整したんだ。装甲のリフレッシュもアクチュエータのリンクもばっちりだぜ。やれるか?」


「上等だ。これでようやくあのキノコ頭に、一泡吹かせてやることができるな」


 いくら豆鉄砲とはいえ、ここまでで貴重な突撃銃を無駄撃ちさせられたのだ。今度こそ城塞のような分厚い装甲に風穴を穿ってやる。

 ハハハと笑いながら重労働に固まった身体を軽く解せば、押しのけられてようやく立ち上がったファティマが不思議そうにこちらを覗き込んでくる。


「おにーさん、身体がコチコチなら揉んであげましょうか?」


「はいっはいっ! 身体の凝りなら自分の方がわかるッスよ! 自分もずっと肩凝りが悩みで――ぅキャンッ!?」


 こちらの話が聞こえたのだろう。アポロニアは何やらここぞと勇んで挙手したものの、威勢のいい声は半ばで甲高い叫びに取って代わった。

 何があったのか、彼女は涙目になりながら太い尻尾を両手で擦り、その隣には澄まし顔を決め込んだシューニャが平然と立っている。ただ、輝きを失った翠玉の瞳に、僕は背筋が冷たくなったが。


「い、いきなり何するんスかぁ!」


「毛玉が気になった」


「そういうのは口で言ってほしいッス! というか、何か最近自分への当たり強くないッスかね!?」


「他意はない」


 アポロニアは恨めしそうな目をシューニャに向けていたが、それを彼女が取り合わないとわかるや、突如にんまりとした悪い笑みを顔に貼りつけた。


「ほぉん……もしかして胸のことッスか? シューニャはッスもんねぇ?」


 それは瞬間芸のようだった。シューニャの白い顔が瞬く間に真っ赤に染まり、ポンチョの下で胸を両腕の裏に覆い隠す。


「っ! たっ、体格には個人差があって当然。私は別に気にしてなんて、いない」


「だそうッスよ、ごっしゅじぃん?」


 その様子に対して面白そうに鼻を鳴らしたアポロニアは、こちらへ軽くスキップしながら近づいてきて、僕の腕を掴まえたかと思えば、これ見よがしに身体を密着させてくる。

 あまりにも突然の行動に、自分の思考などついていけるはずもない。ただひたすらに、腕へと伝わってくる柔らかさとチョコレートのような甘い香りが頭を揺られ、いかんいかんとそれを理性で必死に押しとどめる。

 とはいえ、彼女を強く振りほどけない辺り、自分の意志薄弱は明白だったが。


「こ、こらアポロ。絡みつくんじゃない」


「頑張った分、ご主人分の補給ッスよぉ。ほら、ご褒美ご褒美」


 ご褒美ならば仕方ない、と謎の回路のスイッチが入りかけ、いやそうじゃないとアポロニアの頭を押し返す。こんな姿、それこそストリに見られようものならば、凍えるような目を向けられるに違いない。

 いや、ストリでなくとも同じだったが。


「……キョウイチ?」


「そんな目で見ないでくれ。視線が痛い」


 むしろこの娘の方が余程鋭い気がする。例えるならば、ストリのそれは斧や鉈のように力で叩き斬る感じだったが、シューニャの場合はチクチクとついてくる細く鋭い針と言うべきだろう。

 更に感情を煽るように、一仕事終えた骨が横から、カッカッカ、と嫌らしく笑うのだから手に負えない。


「助平」


「あいつが助平なのは前からだろ」


「君が言うか!? これでも身持ちは堅い方だろうに、アポロもそろそろ離れて――ファティまで足に絡むんじゃない!」


 一歩踏み出そうとした足は、まるで鉄丸をつけられたように重く、危うくつんのめりそうになって視線を下げれば、大きな耳と長い三つ編みが足元で揺れている。それもアポロニアに比べてかなりの力でしがみ付いているらしく、振りほどこうにも足そのものが全く動かない。

 ただ、そんな状況も衆目からどう見られるかは明らかであり、自分には抵抗する気がないという判定が下されることとなった。


「やっぱり女の敵よね。キョウイチって」


「節操がない」


「カッカッカ! まぁその辺にしといてやれよ、そろそろ準備しとけ相棒。野郎がお目覚めになるころだ」


「よ、よぉし、休憩は終わりだ! こんな状況さっさと終わらせて、陽の光を浴びようじゃないか!」


 仕事なのだと意識を無理矢理切り替えた僕は、アポロニアの柔らかい頬を掌で押し出すようにして引き剥がし、空いた両手でファティマの脇腹を軽くつつけば、彼女はフニャッ!? と可愛らしい叫びを上げて瞬く間に飛びのいた。無論、セクハラ行為に対する良心の呵責はあったが、これは緊急回避なのだと言い聞かせて思考の外へ放り出す。

 それでもシューニャとマオリィネからの視線は背中にひしひしと感じられ、自分は唇を噛んでへと踵を返した。

 この状況をポラリスが見ていたなら、彼女は僕の味方となってくれただろうか、などと不毛なことを考えながら。



 ■



 寒々しい倉庫の奥。フェアリーの居室である事務所から更に奥まった一室で、研究者たちはイーライの言葉にどよめいた。

 困惑が広がって顔を見合わせる彼らに、青年は焦り苛立っていたが、静かにフェアリーが立ち上がったことで、グッと感情を抑えこんでその場に膝をついた。


「皆、知恵を絞りなさい。我々はテクニカ。知識と知恵は我らが武器」


 その声は凛として響き渡り、さざ波の様だった混乱の声を撫でて消していく。

 いいですね、と最後に一言加えれば、全員が揃って膝をついて首を垂れた。その様たるや、まさしく王と臣下のそれである。

 彼女がふわりと再び椅子に腰を下ろすと、研究者たちはたちまち議論を活発化させた。今までの無駄な言葉など、その中には1つたりとも混ざらない。


「鉄蟹の目は人間と同じなのか?」


「イーライは煙でこちらを見失ったと言ったぞ」


「煙幕となると生木を燃やすのが手っ取り早いが……外に出ることは困難だな」


 禿げ上がった頭の中年と黄ばんだ歯の老人が意見を交わす。

 互いに煙で視界を奪うという前提条件から、思いつく方法を口にしたが、目の下に隈のある若い女性研究者はそれに真っ向から反論した。


「こんなところで火を焚こうなんて、あなたたち焼け死にたいの?」


「そうだそうだ。鉄蟹に殺されずとも煙に巻かれて死んでは、意味がないのだぞ」


 女性に同調する声が上がると、煙を主体とする方法の議論が失速する。代わっておずおずと手を挙げたのは、成人して間もない気弱そうな青年だった。


「で、では蒸気ならどうでしょう? 炎を制御した上でやれば――」


「それが霧のようになるまで、どれだけの湯を沸かさなければならないか、おわかり?」


 ふぅとため息を漏らすのは丸々とした厚化粧の女研究者。気弱そうな青年はすぐに挙げていた手を引っ込め、椅子の上で小さくなってしまう。

 その後も痛みで目を開けられないようにできないか、布幕を張って近づいてはどうか、染料を投げつければ、など様々な方法が議論されてはそれぞれの実現性の無さに消えていく。

 一刻も早く皆の元に戻りたい。しかし、手ぶらで戻ったところでジリ貧なのもわかっている。イーライは奥歯を噛み締め掌に爪を食いこませながらも、ひたすらに結論が出るのを待ち続けた。

 にもかかわらず、新たな提案は徐々に少なくなり、ついに全員が頭を抱え始めたことで、青年は最早我慢ならず声を上げた。


「なんだっていいんだ! 何か方法はねぇのか!? 砂嵐を起こせとか、そういう無茶苦茶なのでもいい! だから――」


 早く皆を助けてくれ、というイーライの声は掠れ消えていく。

 未だ敵わぬ師や先輩たち。それは目指すべき目標として、あるいは素晴らしいライバルとして彼の中にありながら、同時にフェアリーを守るためと心を通わせた家族でもある。

 この瞬間にも戦い傷つき、それでもまだ踏ん張っている彼らのことを思えば、何もできない自身が悔しくて堪らない。だからイーライは小さいながら悲痛な叫びを、頼みの綱である研究者たちに投げたのだ。

 机を囲んでいた者たちは一様に彼の真剣さに、力及ばぬ情けなさを覚えてか視線を膝に落とす。

 ただ1人、腕を組んで今まで一切口を開かなかったある男を除いては、だが。


「小僧――今、砂嵐と言ったか?」


 一斉に視線が集まる先。そこに仰々しく座っていたのは、爆発したような縮毛頭に不健康そうなこけた頬をした、あのナイジェル・バイヤーズである。

 絶望に駆られそうになっていたイーライも、テクニカきっての天才と呼ばれる男の低い声にはギョッと目を見開いて、壊れた人形のように頭を上下に振った。

 今までになかった意見の現出に、周囲の研究者たちもざわめく。


「砂のような細かい粉末が濃密に飛べば視界は奪える、か」


「風がないのにどうやって巻き上げるんだ?」


「こ、粉であれば、人間が振りまくだけでも効果があるんじゃないでしょうか?」


「だが、宙を舞うような軽い粉となるとコゾ粉くらいしかないが、ちょうど備蓄を切らしていたような――」


 口々にこうすればどうだ、いやそれでは駄目だと各々が言い合う中、イーライはただただナイジェルを眺めていた。いや、イーライだけではない。フェアリーもまた彼を優しく見下ろしている。

 それは突然訪れた。周囲の研究者たちの声を上書きするように、不気味な笑い声が天才から湧き出したのである。


「ひひ、ひひひひ、そうかそうか、そういうことか! ハッハッハッハッハぁ!!」


「な、ナイジェル殿、どうなされた?」


 両手で激しく机を叩くマッドサイエンティスト感満載の男に、馴染みであるはずの研究者たちでさえ僅かに腰を浮かせて距離を取る。特に気弱そうな青年に関しては腰を抜かして、その場で椅子ごとひっくり返った。

 だが、最早ナイジェルにとって周囲のことなど眼中にない。それどころか命の危機という状況にあることすら完全に頭からすっぽ抜け、残っているのは1つの解を得られた歓喜だった。


「赤い筒だ! 武器庫の奥に集めてあっただろう! あの炸裂する鉄管の意味はこういうことだったのだ!」


「な、成程、あれですか! 確かにあれなら……!」


 ナイジェルが頭上で大きくぱぁんと手を鳴らせば、まるで共鳴するように研究者たちが次々と立ち上がる。その目は恐れから希望に転じ、拳を握って勇み部屋から飛び出した。

 しかし、イーライには何がどうなったのか理解できず、血気盛んに突撃していく研究者たちを呆然と眺める他なかった。


「あ、赤い筒ってなんだ?」


「ふひひひひ、粉を充満させて一瞬の内に視界を塞ぐか。まさかそんな役割だとは思わなかった。実験で破裂した時は、触れた者を傷つける罠の類かとばかり思っていたがな」


「な、なぁ教えてくれよ親父さん! これから一体何が……!?」


 弱弱しい力でナイジェルの肩を揺すってみるも、理解の喜びに打ち震える天才研究者は一切応じない。それどころか体の揺れすら可笑しいように、口の端を歪めて涎まで垂らしかねない勢いだ。

 そんな様子を椅子に体重を預けて微笑みながら眺めていたフェアリーは、柔らかい声を小さく漏らした。


「ナイジェル。皆を指揮して件の道具を敵前へ運びなさい。使い方はイーライに」


「承りました、我が君。行くぞぉ小僧、手伝えぃ!」


 彼女の声にナイジェルはピシリと背筋を伸ばし、鍛え抜かれた営業マンのような美しい一礼を返したかと思えば、素早く踵を返して大股に歩き出す。

 それの背をイーライは慌てふためきながら追ったが、疑問は膨らむ一方であり、不健康な背中に声をかけずにはいられなかった。


「な、なんだかわっかんねぇが……大丈夫なんだよなぁ親父さん?」


「テクニカの技術を信じろ! 槍やら弓やらでガチャガチャやるだけが戦ではないのだあ!」


 あまりの迫力に、イーライは戦士以外を前に初めて息を呑んだ。

 研究者は守られる存在。戦う力を持たず、ひたすら新しい物を探して作り出す。対するヴィンディケイタは、頭のいい奴らを守るのが仕事だと思って来た。だからこそ、研究職は弱い者だと思い込んでいたのだ。

 しかし、今のナイジェルの背はとても大きく頼りがいのあるものに見え、ズカズカと進む足取りは精強な騎兵のように勇ましい。いつも左手に抱える紙束を板に括りつけたノートは盾で、右手に握られる羽ペンは剣であり、それを堂々振りかざす姿にイーライはぶるりと身体を震わせた。


「師匠よりも親父さんの方がおっかねぇ気がしてきた」


 ヴィンディケイタたちは最強の盾である自負がある。では研究者たちは矛なのではないか。

 2対揃ったその様子を毬栗頭に浮かべた青年は、頬に冷や汗を1筋流しながらも白い歯を見せて獰猛に笑うことができた。

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