第223話 海賊退治の後

 海賊たちが船ごと海の藻屑と化してから暫く。

 一方的な海戦の立役者である上に、持ち前の天真爛漫な雰囲気で男衆を虜にしたポラリスは、休憩中の水夫たちに甲板上で長い間遊んでもらっていたらしい。彼女が船室へ帰ってきたのは日が傾き始めてからだった。

 ただ、ポラリスは部屋に戻って早々、よろよろした足取りで寝台歩み寄ると、すぐにシーツの中へと潜り込んでしまう。


「ポラリス、もう少ししたら夕食だけど――」


「うー……いらない……あたま、ぐらぐらする」


「えっ!? 大丈夫かい!?」


 つい先刻まではしゃぎまわっていたとは思えないテンションの下がり方に、僕が慌てて寝台へ駆け寄れば、ポラリスはただでさえ雪のように白い肌を少し青ざめさせていた。

 まさか風邪でもひいたかと額に手を当てても発熱症状は見られず、ただ血の気が引いた顔から目をボンヤリさせている。


「もしかして……船酔いかな? 吐き気はする?」


「んーん。でも、なんだかぐるぐるしてて、おなかすかない。わたし、どーしちゃったんだろ?」


 そこまで重篤な症状ではないようだが、ポラリスは突然の体調不良が不安なのだろう。

 普段あれほど明るい彼女が弱弱しい声を出すものだから、これには全員がどうしたどうしたとすぐに集まってきた。


「キョウイチ、代わって」


「頼む」


 シューニャの言葉に僕が横にずれると、彼女はポラリスの首や額に手を当て、体温の変調や脈拍などを見ているようだったが、やがて手を離すとこちらへ向き直った。


「病気という感じはしない。多分だけれど、魔術を行使したことによる反動」


「反動、か」


「私もそう思うわ。魔術としては規格外の威力を、あれだけ連発したんだもの。むしろ何もない方が不思議よね」


「一般的な魔術師なら、触媒無しで魔術を行使するだけでも大きく疲労すると聞く。そう言う意味でもポラリスは規格外だけれど、これで大体限界がわかった」


 マオリィネには想像がついていたのだろう。シューニャの結論と一致したことで、どこか安堵したように息を吐いた。

 魔術についてわかっていることは、メヌリス・リッゲンバッハの手記から、エーテル汚染によって遺伝子が変異した際に発現する超能力、という程度にすぎない。それを人為的に施されたポラリスは、原理も構造も不明な超兵器というべき存在であり、彼女が受ける負荷の大小については、本人の感覚以外に測る術がないのだ。しかも、未だに子どもであるポラリスは、無茶を通せてしまう。


 ――僕がもっと的確に指示を出せるようにならないとな。


 武装した兵士ならいざ知らず、自分には魔術を用いて戦うことへの指揮経験が薄すぎる。これは今後の課題として、訓練の必要性を考えさせられた。

 それも不安そうに見上げてくる空色の瞳を見れば、無茶を控えさせねばという気持ちはいやまして強くなる。


「まだぜんぜん体はスカスカなかんじしなかったのに……おかしーなぁ」


「加減が難しいんだろう、とにかくしっかり休んでいなさい。ご飯も食べられそうならでいい」


「……はぁい」


 ポラリスは小さく返事をすると、そのままもぞもぞとシーツに身体を包んで黙り込む。どうにもその姿が痛ましく、僕は後ろから覗き込んでいたダマルとアポロニアに向き直った。


「何か対策できないだろうか」


「難しいッスね……何かこう、魔術触媒でもあれば楽になるのかもしれないッスけど、それでも魔術を使わない以上にいい方法とは思えないッス」


「つっても、ありゃおチビの自衛手段だからな。いざって時に使えるよう、何でも試しといたほうが無難だぜ」


 アポロニアの言う通り、魔術の使用を禁止すればこの問題は起こり得ない。しかし、危険の多い現代においては最良の選択でないことも確かだ。特に彼女が大人になり、ずっと現代で生きていくことを考えれば、制御できることを目標とすべきだろう。


「触媒か……少し考えてみよう」


 何でも試すべき、という骸骨の意見に僕は頷き、今後触媒に関する情報を集めることを決めた。となれば、やはり最も頼りになるのはシューニャだが、自分が問うより先に誰かに裾を引かれた。


「キョーイチ、さみしい」


 振り返ってみれば、ポラリスがシーツから僅かに潤んだ目を覗かせている。

 しんどさから心細くなったのだろう。その気持ちもよくわかるため、僕はシューニャへの質問を後回しにすることを決め、彼女が横たわるベッドに腰かけた。


「大丈夫大丈夫、ここに居るよ」


「ごろんして」


「む――仕方ないな」


 夕食が提供される時間は近づいていたが、どこか辛そうな顔を向けられては断れるはずもない。言われたとおり横になれば、ポラリスは僕の腕を枕に顔を埋めて身体を寄せてくる。

 そんな彼女の背を穏やかにポンポンと叩いていれば、暫くして安心したのだろう。小さな寝息が聞こえ始めた。


「寝てくれたみたいですね」


「ああ。絡みつかれていて動けないから、最悪僕の分の食事は皆で分けるなりしてくれ」


 静かに覗き込んでくるファティマに、身体を固められてしまったと苦笑を漏らす。夕食までに解放してもらえればいいが、難しいようなら1食くらい抜く覚悟も必要だろう。否、その程度でポラリスの穏やかな睡眠が得られるなら安いものだ。

 だが、自分の考えが読めたらしいアポロニアは、少し呆れたように肩を竦め、マオリィネも静かにため息をついた。


「ご主人はポーちゃんに甘いッスねぇ」


「甘やかしてばかりだと、ポラリスのためにもならないわよ?」


「そ、そうだろうか……そんなつもりはないんだが」


 ポラリスが最年少だからと、他の皆と異なる気遣いをしていることは間違いないが、甘やかしているつもりはなかった。おかげでそう言われると、もう少し厳しく接したほうがいいのかと悩んでしまう。

 しかし、そんな自分の思考をシューニャとファティマがバッサリと切り捨てた。


「子どもに嫉妬するのはみっともない」


「自分が甘えたいならそういうべきでは?」


「「そ、そんなこと――!」」


 年長組が揃っては咄嗟に反論しようとしたものの、声が大きくなりかけたことでハッとして言葉を切ると、揃って恥ずかしそうに顔を背ける。その様子に年下組が呆れたようにため息をつき、後ろで骸骨がまたカッ! カッ! と笑いを堪えていた。自分にも聞こえていたくらいだから、ダマルはまた後で分解されることだろう。


「えーと……何か要求があるなら言ってくれると助かる。僕はなんというか、人の感情を読み取るのがどうにも苦手で――どうした?」


 訴えはできるだけ聞いてあげたいと思って発言したのだが、これにはそれぞれから大きく異なる反応があった。

 シューニャは一気に顔を真っ赤にしたかと思えば、ブンブンと首を横に振ってこちらに背を向けるし、ファティマはまたヒマワリのように嬉しそうな笑顔を弾けさせ、アポロニアは頬に手を当てて蛇のようにグネグネと身体をくねらせ、マオリィネは何か挑発的な笑みを浮かべてこちらを見下ろしてくる。わかりやすい個性の展示会、とでも言うべきだろうか。

 なんなら、呆れたようにぽっかりと下顎骨を落としたダマルの姿もまた、個性と称して問題ないかもしれない。


「ハァ……これでわかっただろ。こいつが甘いのはおチビにだけじゃなく、お前ら全員に甘ぇ――いや、そもそも年下には大体甘ぇ気もするな」


「いやいや、僕ぁこれでも素で接しているつもりなんだが」


「だとしたら余計に施しようがねぇわ。女ども、適当にエロい事でも要求して、存分に困らせてやれよ」


 ダマルは呆れたように肩を竦めると、ひょこひょこ自分のベッドへ戻っていく。

 その背中に女性陣はポラリスの魔術並みに冷たい視線を向けていたものの、やがて何か思うところでもあったのか、骸骨に襲い掛かろうとはしないままで思い思いの場所へ散っていった。

 ただし、最後にマオリィネが発した一言が、耳について離れない。


「ダマルもジークのお尻に敷かれそうな癖に、よく言うわよね」


 やけにリアルな想像ができてしまい、僕はポラリスにしがみ付かれたままの体を、ブルリと震わせる。

 女性は斯くも恐ろしい。



 ■



「へっくちゅ!」


 リビングの中にジークルーンのくしゃみが響く。

 それは可愛らしいものだったが、その可愛らしい音に室内に居た一同が揃って顔を向け、特に従者であるクリンは心配した様子でハンカチを差し出した。


「お嬢様、お体の具合でも悪いのですか?」


「平気だよぉ。ちょっと鼻がムズムズしただけだから――なんだろうね?」


 自分の腕をさすりながら、ジークルーンは不思議そうに首を傾げる。

 それをマットレスの上で毛布にくるまりながらゴロゴロしていたエリネラは、ぴょんと起き上がり、これぞ理由だと自らの指に小さく火をともして見せる。


「きっとまだ寒いんだって。ほら、セクストン! もっとガンガンとやらに薪を放り込みたまえ!」


 ただでさえエリネラは、寒さに何かとよく文句を垂れていた。というのも、帝国領で冬季が存在するのは北部の一部地域に限られ、それ以外の地域は往々にして暑く乾燥した大地であり、そもそも寒冷気候に慣れていないのだ。

 それは生粋の帝国人たるセクストンも同じで、生真面目な騎士補は火の番をヘンメと交代しながら担当し続けている。だからこそ、上司が下した適当な指示に対し、現場の彼は虚無の表情を彼女へ向けた。


「……でしたら将軍、その薪とやら、拾ってきて貰っていいですかね」


「げっ!? なな、なんだ君は! 騎士補が将軍を顎で使うつもりかー!?」


「自分たちは居候の身ですし、薪だってタダじゃないんですよ。適当に火をつけられたと言うことは、もう体の調子もいいのでしょう? ちょっとくらい仕事してください」


 セクストンの小言に、毛布で身を隠したエリネラは藪蛇だったと表情を引き攣らせる。

 その普段通りな様子が、ジークルーンの目には本気で嫌そうに映ったのだろう。心優しい彼女は体の前で小さく手を振ると、盛り上がった毛布に救いの手を差し伸べた。


「あ、あの……セクストンさん、私は大丈夫ですから」


「いえ、将軍は放っておくと怠けますので」


「こ、これは怠けてるんじゃないぞ!? ちゃんと魔術使えるように身体を休めてるっていうな? ほら、ちゃんとお菓子も我慢してるし、遊びにも行ってない――あれ?」


 そんな優しさにすら全く取り合おうとしない騎士補に対し、彼女は何としても自分の正当性を訴えようとしたものの、ただ何もしていないことの証明が行われただけだった。

 というのも、エリネラという少女は一応にも将軍という高貴な立場であり、生活の雑務などは城の使用人の役割だったこともまた事実である。結果、書類仕事を除くエリネラの日常といえば、菓子を齧ってゴロゴロしたり、兵士騎士の訓練に飛び込んで場を乱したり、護衛もなしにクロウドンの街中をうろついていることがほとんどだった。

 それを我慢していると言われ、セクストンからどういう感情が発されるかなど、簡単に想像がつくだろう。


「ははは、それはそれは――他に何か言うことはありますか、将軍?」


 仏のような笑みの背後に、般若のような怒気を背負う騎士補。そのとんでもない迫力に、全く関係がないはずのジークルーンとクリンが、抱き合いながら顔を青ざめさせる。

 これには、普段ならまだゴネたであろうエリネラでさえも冷や汗を垂らし、転がるように毛布を脱ぎ捨てて立ち上がると、油の切れたロボットのようなぎこちない動きで防寒着を纏った。


「お、おうおうおう、将軍に任せとけ! サッフ君! 君もちょっと付き合え! 薪拾い行くぞ!」


「はぁ、いいですけど」


 年中酷寒の帝国北部が出身のキメラリア・フーリーにとって、薪ストーブで暖められた部屋は暑すぎるのか、薄着で床に転がっていたサフェージュは特に嫌がることもなく上着だけ羽織って彼女に続く。

 その様子にまたクリンは僅かにムッとした様子だったが、ヘンメが窓際でクククと笑っていることに気付き、顔を真っ赤にしてしおしおと小さくなったのだった。

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