第323話 荒ぶる大地

 辺り一帯へ轟いた大地の唸り。

 整然と並ぶ兵士たちも、思い思いに指示を待つコレクタ達も、果ては軍獣アンヴに至るまでが混乱と動揺の声を上げた。

 当然、頂点に君臨する権力者たちとて例外ではない。


「ぬぉっ!? なんだ、何が起こっている!?」


「そ、某にもわかりませぬ!」


 エデュアルトは体こそ揺らがせないものの、驚愕を隠すことまでは出来なかったのだろう。プランシェに至っては武器を杖代わりとし、必死に体を支える始末。

 そんな彼らに追い打ちをかけるが如く、地面は雷のような音を立て、大量の土砂を舞い上がらせた。


「まさか大地が割れ、崩れようというのですか……?」


「馬鹿な。アッシュバレイならともかく、ノーリーフが噴火するなんて話ゃ、言い伝えにさえ聞いたことがないが」


 大きな地割れが走り、陥没してゆく大地の姿に、人より長い年月を生きるフェアリーさえも口を覆って顔色を失い、グランマも信じられんと目を剥いた。

 それでもまだ、2人はまだ冷静だったと言っていい。少なくとも、甲高い悲鳴をあげながらしゃがみこんだり、慌てて僕の腕にしがみついてくる若者たちと比べれば。


「噴火って何よ!? 地面が爆発するなんて、普通に信じられないことなんだけれど!?」


「キョウイチ、これは避難した方が――キョウイチ?」


 シューニャからの問いかけが、遠く聞こえた気がした。

 視界の中にあるのは、混乱の坩堝に叩き込まれた人々の姿と陥没した地面、そして空堀に積もる崩れた防壁の瓦礫。

 それらを眺める自分は、彼女らの目に果たしてどう映っていただろう。


「……なぁ、ダマル。あそこは安定化エーテルの貯蔵施設で間違いないのか?」


「資料通りなら、そうだな」


 下から不思議そうに見上げてくる翠色の瞳と、カタリと乾いた音に続く短い返事。

 僕はもしかすると、表情筋の動かし方を忘れてしまったのかもしれない。


「エーテルの液化安定に用いられる一般的な循環触媒は、揮発性や可燃性がなく火災の原因にはならない。あってるよな?」


「記憶欠落野郎の癖に意外だな。化学と安全の授業だとすりゃ、それで花丸だぜ」


 どこかから、神様、という叫びが聞こえた気がした。

 多分、ダマルも自分と同じように、忘れていたのだろう。敢えて骸骨の顔は見ずに遠くを眺める。


「――だとすれば、何が?」


「さてな……貯蔵されてた作動油やら、ってのも量的にはありえねぇだろうしよ」


 間違いないと頷けば、再び轟くドスンと腹に響く音。

 衝撃の中心はちょうど帝都の防壁付近らしい。それも余程広い地下空間が一気に崩壊したのか、地面は一瞬盛り上がったものの、まもなく派手に崩落し始める。

 上に居た者たちは、運が悪かったという他ない。種族も性別も立場も関係なく、一様に流れる土に足場を奪われ、抵抗することもできないまま、大地の中へと飲み込まれていった。

 強いて救いがあったとすれば、防壁付近に部隊を展開させていた組織が、1つしかなかった事だろうか。


「……コレクタユニオン本部も、斯様な災害は予想出来なかったようですね」


「連中にはいい薬だ、とでも言ってやりたいところではあるが、他人事で済まないかもしれないよ」


「下手をすると、戦どころではなくなるやもしれんな……皆、陣形を維持しつつ、周囲を警戒しておけ! 不用意に動くな、何が起こるか分からんぞ!」


 地揺れが大人しくなったタイミングで、部隊指揮官達は状況の確認に慌ただしく走り出す。

 それを背にした僕は、舞い散る砂塵に目を細めながら兜のスリットへ向き直り、一言。


「そもそも爆発が原因じゃない、って線はどうだろう?」


「カッ、笑わせやがる。また馬鹿でかいミクスチャでも出たってのか? 怪獣映画の見すぎだぜ」


「縁起でもないこと言わないでよ。本当になったらどうするの?」


「言霊なんざ信じちゃいねぇよ。まぁ理由がなんであれ、俺たちにとっちゃ悪ぃことばかりでもねぇさ」


 ようやく僕の腕から離れたマオリィネがジトりと兜のスリットを睨んでも、ダマルは動じた様子もなく、だろ? とこちらに同意を求めてくる始末。

 琥珀色の瞳は訝しげだったが、縁起云々を除いた鎧骸骨様の状況分析は正しく、僕は小さく肩を竦めた。

 無論、巻き込まれた者たちには申し訳なく思う。だが、コレクタユニオン本部が率先してクロウドンを包囲してくれたお陰で、こちらは地震の被害を被っておらず、逆にコレクタユニオン本部の部隊は大被害によって壊乱し、頼みの包囲が崩壊しつつある。反帝国連合軍にとって、これを棚ぼた的結果と言わずなんと言うのか。

地面が揺れている限り、エデュアルトたちにそんなことを考える余裕などないだろうが、それも時間の問題だろう。

と、思った矢先である。


「み、見ろ! クロウドン城の塔が!」


 兵士の声に、一瞬目を疑った。

 防壁の向こう。切り立った山に背後を守られる城の尖塔が、大きく音を立てて半ばから折れるように崩れていく。

 既に振動が収まった後であったことも含めて、これは僕にも骸骨にも予想外の出来事だったというほかない。


「おいおーい、いくら鉄筋もねぇ現代建築でも、あの程度の振動で崩れるってなったら、流石に手抜き工事もいいとこじゃ――あん?」


 ダマルのカスタム兜にはズーム機能でもあるのだろう。僕が双眼鏡を覗きこむ傍ら、ダマルは無手のままで唐突に訝し気な声を響かせた。

 1つ目の尖塔に続き、中央部に位置する天守塔らしき構造物が石材を撒き散らして崩壊。周囲の防壁や櫓が巻き込まれ、派手な土煙がそこかしこから立ち上がって視界を塞ぐ。

 それでも、僕は双眼鏡を下ろし、骸骨は兜の中でカタリと顎を鳴らした。


「……今が怪獣映画のVR上映中じゃねぇなら、バグったのは俺の目か?」


「君、目なんて最初から無いだろう」


「いやそうなんだけどよ。この穴からでも見えてんだもん。今もこう、ゲル状のバケモンが城をバキバキっとだな」


「大丈夫。多分ダマルに見えている景色は、私と同じ」


「奇遇ね。私もよ」


 正直に言えば、僕も目か頭かが狂ったのではと疑ったほどである。

 しかし、この場に居る身内4人全員が同じ状況を目にしているとなると、現実であることを疑う方が難しいだろう。

 城のあちこちから勢いよく溢れ出す、赤く透き通った粘液の塊。それもただ流れるだけではなく、まるで意思を持つ生物であるかのように壁を打ち崩して暴れまわり、荘厳な城を瓦礫へと変えていく。

 ゲルの全貌は果たしてどのくらいで、籠城していたであろう人々はどうなったのか。誰もが答えを得られぬまま、呆然と不可思議な光景を眺める間にも、溢れ出る量は留まることなく増え続け、建物を飲み込みながらいよいよ帝都内側の城壁を乗り越えんばかりに膨れ上がった。

 短時間で訪れたその衝撃に、僕はハッと我に返る。よもや自分が適当に口走った予想が、こんな形で当たるなどと、誰が思うものかと。


「……これはなんとなく不味い気がするぞ! エデュアルトさん、直ちに全部隊へ退避命令を!」


「どういうことだ!?」


「あのクソデカスライムが、ここまで押し寄せてくるかも知れねぇっつってんだよ! 兵の命が惜しいなら、すぐに部隊を下がらせろ!」


 後退と口で言うには容易いが、大軍の機動となると話は別である。それも緊急退避となると、指揮系統の混乱はまず免れない。状況が危機的であればあるほど統率は困難を極め、脱走する兵士も現れるだろう。現状と同等に部隊を立て直し、再び攻勢に出るには、長い時間を要することになる。

 だからこそ、ダマルがハッキリと危険性を説いてもなお、エデュアルトは即決できなかったのだろう。

 その重責を思えば、むぅと唸るだけの彼を責めることなどできないが、それでも正体不明の存在は待ってくれない。


「閣下! あれを!」


 プランシェが指さした先は、町を囲む防壁が地震動で崩れた箇所だった。

 内側から飛び出してきたのは、あまりにも雑多な人の群れ。それらは瓦礫を踏み越え、空堀の斜面を滑りながら、躊躇うことなく周囲に展開するコレクタユニオン本部の兵たちへ向かっていく。

 僕の目に映ったその姿は、秩序だった突撃でも命を捨てた破れかぶれの攻撃でもなく、ただひたすらに、何かから逃げているようだった。

 無論、確証があった訳では無い。だが、市門の跳ね橋が内側より降ろされ、大扉も押し開けられて、同じような様子で人々が走ってくる姿を見せつけられれば、エデュアルトも理解せざるを得なかったのだろう。

 この僅かな間に、人種同士で戦争に興じていられる状況ではなくなってしまったということを。


「ええい止むを得ん! 全軍、急ぎ後退だ! クロウドンから距離を取れ!」


「チッ、馬鹿げた話があったもんさね!」


「太母様、お急ぎください!」


「ホルツ、皆の退避を頼みます。貴方自身も、帰らぬことは許しませんよ」


「ハッ、この名に誓いまして、必ずや。ペンドリナ!」


「我が君、どうか暫しのご辛抱を! 行きます!」


 兵を率いる立場の者は、剣に槍に棒に盾にと、手にした何かを振って退避退避と声を響かせる。

 何故退くのか、どう退くのか、どこまで退くのか、困惑する声も中にはあった。特に陣形の後方で状況が見えていない者たちは、全く訳が分からなかったことだろう。

 それでも高台にたなびく大将旗が、後ろへ向かって走り出せば、誰も四の五の言ってはいられない。大陣形は堰を切ったように崩れ始め、道も畑も関係なく兵士達は走り出す。

 当然、自分たちとて例外ではない。マオリィネが露払いとなってくれた事で、退避する兵たちの間を抜けるのは比較的楽だったが、それでも僕はシューニャの手を離さないよう強く握り、ダマルに隊列の後ろを固めて貰って、玉匣までを駆け抜けた。


「あっ、ご主人! 帰ってきたッスよー!」


「さっき揺れたのって何なんですか? それに帝都の方が騒がしいみたいで――すむぎゅぅ!?」


 機銃座についていたアポロニアの声に、小銃を構えていたアランが振り返り、玉匣の後部ハッチからポラリスとファティマが揃って顔を覗かせた。

 本来なら和やかに手でも振りながら帰りたいところだが、いかんせん状況が状況である。僕はキョトンとしている2つの頭を、纏めて車内に押し返した。


「ううう、おにーさん、抱っこならもうちょっと優しくぅ……」


「び、ビックリしたぁ。舌かんじゃうとこだったよぉ!」


「何が起こっている? 不味いのか?」


 少々乱暴な扱いに、ムニョムニョと文句を呟くファティマと、風船のように脹れて怒るポラリスに対し、アランだけは怪訝そうな表情を浮かべていた。

 しかし、どれにも答えている余裕はない。


「不味いのは確かだが、詳しい説明は後だ! すぐ出発するぞ! シューニャ、頼む!」


「はぁ……ふぅ……っ、了解」


 息を切らしながらも、シューニャはグッと唾を飲み込んで運転席に駆け込むと、すぐにエーテル機関が低い雄叫びを響かせた。


「進路を左へ! 玉匣は友軍部隊側方をカバーしつつ後退。マキナ運搬車は合流地点まで最速で移動し、砲撃に備えろ」


『あいよ了解! 途中でトレーラーがスタックしねぇよう祈ってくれや!』


「最悪は車両放棄も致し方なしだ。アラン君、出撃用意を!」


 兵士達を掻き分けて走る車内で、運転席の横に立った僕は、シューニャとダマルに進路の指示だけを出して、すぐ後方へ戻る。

 そこには既に、着装準備を終えたアランが待っていた。


「命令を、隊長」


「作戦目標は不明存在の脅威判定。可能ならばその行動遅滞、殲滅を――隊長?」


 整備ステーションのターンテーブルを動作させ、翡翠が背面を向いたところで、流石に聞き流せずつい振り向いてしまった。

 座席ではファティマも首を傾げており、砲手席へ続く砲塔バスケットの入り口からは、ポラリスもはてなと顔を覗かせている。しかし、アランはこちらに背を向けたまま、ノルフェンの背面を解放した。


「……今はここが、アンタの下が、俺の居場所だ。おかしいか?」


 居場所。

 アランが玉匣という家をそう呼んだことに、僕は少々面食らっていた。

 モーガルから託された以上、彼が最低限自身の感情に決着をつけ、前を向いて生きていけるよう支援するつもりではあったものの、だからといって、自分たちがイーサセラの機甲歩兵を撃墜したことに変わりはない。

 仲間の仇と打ち解けるというのは、どれだけ言葉や時間を重ねようと、簡単な話ではないのだ。それでも青年はハッキリと、ここを居場所だと言ってくれたのである。金髪に隠れた耳が、少しだけ赤くなっているように見えたのも、気のせいではないだろう。

 隊長という懐かしい響きに、僕は開いた翡翠の背面に向かって小さく微笑んだ。


「――いいや、光栄だよ。では、分隊出撃といこうか」


『了解。2番機、援護につく』

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