第324話 赤い津波

 逃げ惑う人には最早、民も軍もない。

 中には無防備な者たちを守ろうと、盾や剣を構え、石を投げ矢を放つ騎士や兵士も見られたが、押し寄せるゲルはその勇敢さを嘲笑うかの如く飲み込んでゆく。

 帝都から逃げ出せた人は、それだけでも幸運だったと言うべきだろう。外を取り巻くコレクタユニオン本部の兵たちも、先の地震動と城の崩壊、そして避難してくる人々の様相に困惑していた。


「お、おい、止まれ! 止まらんかぁ!」


「どけよ! 化物が来てるんだ! アンタら死にたいのか!?」


「そのような言い訳が……!」


「隊長、あれを!」


 隊長と呼ばれた男は、兵の声に軍獣アンヴの上から市門の奥へ視線を向けると、間もなく四角い顔を青ざめさせた。

 目抜き通りを猛烈な勢いで迫る赤い液状の何か。逃げ遅れた人を飲み込み溶かし、建物を破壊しながら突き進んでくる。

 跳ね橋は降り、市門も開け放たれた中、彼らを守る壁はないに等しい。濁流のようにも思えるソレに、彼はハッとして声を張り上げた。


「た、退避! 退避だぁ!」


 指揮官が軍獣の首を回せば、兵が留まるはずもない。状況を理解できずとも、包囲は門の前から順に崩れ始める。

 だが、彼らの判断は遅すぎた。

 避難民と入り交じって混乱する包囲部隊は、隊長の指示にも動きは鈍く、一方で赤い液状体は軽々防壁を越えて空堀から溢れると、逃げ遅れた者をまとめて飲み込み始める。

 否、すぐに動き出した隊長や、それより先に逃げていた避難民たちにすら、ゲルは勢いを衰えることなく迫った。


「なんという速さか……ぬっ!?」


 落伍していく部下に、隊長は軍獣の上で悔しそうに奥歯を噛む。だがそれ以上に、包囲を抜けて必死に走っていた母娘が蹲る姿に、カッと目を見開いた。

 コレクタユニオンに民を護る義理などなく、ましてや幼子を抱えているとはいえ敵の民。

 それでも、隊長は手綱を引いた。


「女! 諦めるでない!」


「あぁ、騎士様! どうか、どうかこの子を! 私は足でまといに――」


「馬鹿を申すな! 掴まれぃ!」


 何故と、腕を掴まれた母親は思ったことだろう。しかし彼女以上に、隊長は自らの行動が不思議でならなかった。

 彼の軍獣が如何に勇ましく優れていようとも、

 母娘を乗せて逃げ切るのは容易ではない。分かっていながら、何故わざわざ足を止め、手を差し伸べてしまったのか。

 腕の中に2つの命を抱え、隊長は手綱を振る。だが、最早彼らの死は手を伸ばせば届きそうな距離まで迫っていた。


 ――浅ましいものよ。これで倒れるならば、先に逝った兵に対しても面目が立とうなどと。


 あぁそうかと、隊長は自嘲的に笑う。

 女に騎士と映ったのは、雑多な装備のコレクタやリベレイタと比べて整った武具のため。彼は高貴な身分でもなければ、国家に取り立てられた訳でもなく、ただ周りより少し腕が立ち、それが本部のお眼鏡にかなって運良く成り上がっただけの無頼に過ぎない。

 その程度の微力が何になろうかと、縋るようにキツく目を瞑った少女の姿に、心の中ですまないすまないと謝っていた。

 ドンと響く衝撃。軍獣のいななきに、隊長は最早これまでと身体を強ばらせる。

 だが、死の手は影を落としたまま、彼の身には振りかからず、強く結んだ瞼を薄く上げて後ろを見れば、そこには何か青い固まりが見えた。


「あれは……?」



 ■



 収束レーザー光の高熱に、赤いゲル状体はジュウという音と共に蒸発していく。

 効かなかったらどうしようかと思ったが、どうやら見た目に違わず、熱エネルギー攻撃には弱いらしい。収束波レーザーフラ光長剣ンベルジュを振り回せば、それを嫌がるようにして、アンノウンは初めて液状の身体を後退させた。


「リビングメイルが……何故?」


『足を止めるな! できるだけ遠くへ逃げるんだ! 早く!』


「っ、恩に着る! ハァッ!」


 軍獣に女性と子どもを抱いて駆けてゆく兵士が、どこの誰だったのかを僕は知らない。ただ偶然急降下攻撃が間に合い、奇跡的にアンノウンの行動を抑制できたと言うだけの事。

 ただ、顔も名も知らない赤の他人だとしても、どうかこの災厄を生き延びてくれ、と願うくらいは許されるだろう。いつの間にか最後尾となってもなお、避難民に手を差し伸べ、諦めることなく足掻こうとしていた男なのだ。

 サブアームを肩から展開し、狙いも定めないまま2丁の突撃銃のトリガを引く。腰を捻って銃身を暴れさせれば、高速徹甲弾はバチバチと音を立ててゲルの表面を粟立たせた。

 だが、それだけである。飛沫が軽く弾けたところで、巨体が揺らぐことはなく、僕は小さく舌を打った。


『チッ! 突撃銃、効果認められず! やはり、熱エネルギー兵器でなければ足止めにすらならないか!』


『だったら、こいつは!』


 後方より大きく跳躍したノルフェンは、降下と同時に左腕へと薄緑色の光を灯す。

 それはアンノウンに接触すると激しい閃光を迸らせ、バシュという音と共にゲル状の身体を蒸発させた。


『よし、プラズマトーチは効いてるぞ!』


『左だ! アラン君!』


『くぉっ!?』


 間一髪、仰け反りながらたたらを踏んだことで、アランは素早く伸びてきた液体を躱す。

 この僅かな間に、アンノウンはこちらを目標と定めたらしい。レーザーやプラズマによる熱線攻撃を嫌ってか、正面からは寄せてこないものの、左右から回り込むような動きを見せている。

 包囲されてしまえば終わりだと、僕が上空へ舞い上がって距離を取れば、アランもそれに続いて跳躍しながら大きく後退した。


『はあっ……はあっ……こいつ、考えているとでも言うのか?』


『厄介だな。高い生体探知能力と判断力に、車両並みの移動速度。高温は明確な弱点だが、この質量を機甲歩兵程度の装備で削っていくというのは、流石に現実的じゃない』


『ミクスチャが可愛く思える化物っぷりだぜ。なんかこう、全体の核になるような、そこぶっ壊せばまとめて崩壊する弱点みたいなのはねぇのか?』


 上空まで伸びようとしてくるアンノウンを、突撃銃で弾けさせながら、骸骨の言葉にそれもそうだと考える。

 これがどういう存在なのかはわからないが、ミクスチャと同様に脅威や効率を判定して行動しているとすれば、何らかの核になるものはあるかもしれない。そこを見つけ破壊するほうが、末端から焼いていくよりは、遥かに現実的である。

 山を背にして扇状に広がる赤い半透明のゲル。その中心となっている場所といえば。


『クロウドン城の付近を捜索してみる。2番機はここで敵の足止めを図れ』


『弱点を探すなら俺も行く! もしもまだ町のどこかに、サンが居たら――!』


 情に深い彼のことである。クロウドンへ脱出したであろうサンタフェの安否を気にしないはずがなく、ここまで何も言い出さなかったのが不思議なくらいだった。

 しかし、僕はその訴えをハッキリと退ける。


『駄目だ、来るな。飛行性能の低いノルフェンで敵の懐に飛び込むのは危険すぎる。それに、アンノウンを放置すれば、こいつは際限なく広がり続ける。避難民を飲み込み、友軍部隊に追いつくのも時間の問題になるだろう。サンタフェの身を案じるなら、まずは侵攻を遅らせることに集中するんだ』


『っ……だが、プラズマトーチ1本で、こいつを遅らせるというのは……!』


『やり方はある。翡翠より玉匣、状況が更新された。アンノウンを遅滞させるため、焼夷榴弾による支援射撃を要請する。照準はノルフェンからのレーザー誘導と同期、攻撃はアラン君の判断に合わせてくれ。できるか?』


 無線越しの厄介な指示に、不安がなかったとは言えない。わからない、できないと言われてしまえばそれまでなのだ。

 だが、僅か数日ばかりの超短期訓練だけで砲手を務めるポラリスは、いきなり無理だとは言わず、むむむと声を出した。


『レーザーとどーき……どーきは……っと、こうだ! おっけー、いけるよ!』


 天才の子、などと呼ぶのは、彼女に失礼かもしれない。

 自分が説明したのはほんの触りだけ。それも軽く流したような内容を、ポラリスはしっかりと覚えていてくれたらしい。

 元気一杯にと告げる少女の声は、とても頼もしいものだった。


『ん、見通しのいい地点を探す。アポロニア』


『ちょいまちッスよ。えーっとぉ……左手の後方! あの小さい丘なら、いい感じだと思うッス!』


『あの感じなら、グニョグニョが来ても少しは余裕ありそうですね』


『わかった』


 レーダー上の玉匣が大きく進路を変え、一気に加速していく。

 不安など、自分の杞憂に過ぎないのだろう。800年前の正規軍人が誰も乗っていない状況においても、彼女らはこれまでの経験と体当たりによる学習から、装甲マキナ支援車シャルトルズを1人前に操っていた。

 チラと後ろを振り返れば、アンノウンから距離を取ったノルフェンが、突撃銃よりポインターを照射する姿がモニターに映る。


『後方任せる。皆、決して無理はしないように』


 了解、と重なった声に、僕は空戦ユニットの推力を引き上げた。

 翡翠は市街地の空を加速する。しかし、眼下に望んだ帝都の姿は、想像以上に無惨なものだった。


『これは、まるで津波だな……市街地が完全に飲み込まれているとは』


 迷宮都市とあだ名されたクロウドンが、元々どんな形の町だったのかを、僕はよく知らない。だが、想像はできるものだと思っていた。少なくとも、上空に舞い上がるまでは。

 下に見えているのは、まるで絨毯を敷いたかの如く、一面に広がるひたすらの赤。表面張力のように丸く脹れた切れ目さえ見えなければ、何らかの自然的特徴によって染め上げられた湖の上を飛んでいるかのようだ。

 クロウドン城があった場所の上をぐるりと回る。つい先程までの、皇帝居城らしい荘厳さは跡形もなく、残されていたのは赤色湧き出す地面に暗く開いた穴のみ。

 激甚災害と呼べる存在の弱点など、あくまで想像でしかない。だが、ゲルを生み出している核のような何かがあるとするなら、この城跡を置いて他にはないだろう。

 暗い根元にあらゆるスキャンを走らせ、可能な限りのズームをかけた。


『不明存在湧出地点の上空より報告。各種センサーに反応無し。目視においても、核らしき物は確認できず。地下から湧いているらしいという以外、何も分からない』


『カッ、なんつうB級映画だよそりゃ。核がねぇんじゃ、エクシアンなんぞよりよっぽど完全生物だぜ。大体、何食ったらそんな馬鹿デカい図体になれるってんだ?』


 半ばお手上げだ、とダマルは乾いた声で笑う。

 これを普通の生物と見るのは難しい。だが、無理矢理常識的な範囲に当てはめ、骸骨の言ったことを考えてみると、どうやって都市を飲み込む程の巨体となったかには疑問が残る。

 クロウドンにあったあらゆる有機物を捕食したとて、体を維持することはできても成長増殖というのは難しいだろう。そして地下から湧き続けているという事実から、エネルギー源で思いつくのは1つだけ。


『……まさか、火災で流出した安定化エーテルか?』


『そいつぁ……いや、有り得るな。貯留タンクが無事だから、エーテル汚染警報が鳴ってねぇんだと思ってたが、あの爆発だ。コイツが吸収してたって方が辻褄もあう。しっかし、何から汚染変異したらこんなモンになるんだか』


『ルイスの死体、というのは、流石に穿ちすぎかな?』


 高濃度エーテル汚染によって変異した生物だとすれば、可能性はいくらでも考えられる。それこそ、施設内の害虫や鼠の類、あるいは雑菌やウイルスかも知れないのだ。

 ただ、ここまで肥大化した理由を考えると、やはり、あのエクシアン試薬が何らかのトリガになっているような気がしてならず、ダマルもカコンと顎を鳴らした。


『下手に当たってそうなこと言うなよ……まぁ出処はともかく、こいつぁどうする? 戦略兵器でもあるなら話ゃ別だが、歩兵火力でどうにかできる相手じゃねぇぞ』


『とりあえずは、味方部隊が合流地点に達するまで、時間を稼ぐくらいしか――ん?』


 それは唐突だった。

 何やらボコンと大きな音がしたかと思うと、クロウドン城から続く傾斜をゲルの切れ目が流れ落ち、赤色を失った黒い穴が地面に現れたのである。


『湧出が止まった、のか?』


『おっ、そいつぁいい知らせだぜ! いよいよ地下の燃料を食い尽くしたってことだろ? 無限に増えねぇなら、やりようはあるぜ』


 イーサセラに貯蔵されていた安定化エーテルの量は相当であるはず。それこそ、先の爆発で全てが空間に放出されていたなら、汚染警報がヘッドユニットに鳴り響き、下手をすれば急性汚染症によって自分が倒れていた可能性まである。

 そのどちらもないことを考えれば、骸骨の言う通り、安定化エーテルは全て消費されたと見るのが妥当だろう。

 背後で焼夷榴弾の炸裂音が響く。巨大なアンノウン相手にチェーンガンでは、言葉通り豆鉄砲のようなものだが、それでも金属粉の化学反応から発された高温は、肥大化を止めたゲル体を確実に削り、濁流のような行き足を躊躇わせていた。

 可能性としては悪くない。だが、楽観するには早すぎると、僕は収束波光長剣を構えながらゆっくり下降した。


『本当に、これで打ち止めならいいんだが。とにかく、判断はもう少し様子を見てから――』


 耳障りな音が頭を包んだのは、その時である。

 モニターで点滅するインジケータは、機体の異常発生を知らせるもの。訓練でしか見聞きしない警報表示や警告音も多いというのに、何故か自分の頭はマキナの操縦に関することだけをやたら正確に記憶しているらしい。

 おかげで、僕には翡翠が何を訴えているか、すぐに分かった。


 ――これは、空間エーテル濃度低下警告?


 別に珍しい異常ではない。特に戦場では、敵の機甲戦力を無力化する方法の1つとして、空間エーテルを希薄化させる兵器も存在しており、当然マキナ側にも対処策が設けられていた。

 しかし、今は当時と状況が異なる。自分がシステムに規定の対処を指示し、翡翠のエーテル機関が閉塞循環モードに切り替わった途端、無線の奥よりカカカカカと何かが震えるような音が聞こえてきた。


『あ、ぁ、ぁあ……? な、なんだ、こりゃ……?』


『えっ!? ちょ、ちょっとダマル!? 急にどうしたの!?』


 ガラリと何かが鳴ると同時に骸骨の声が遠のき、代わりにマオリィネの切迫した声が近づいてくる。


『どうしたマオ!? 何が起きた!?』


『わ、私にも分からないわ! ダマルの体が突然ばらばらに崩れて……どうすれば……!?』


『マオリィネ、ハンドル、持て……足元の、ペダル……が』


 混乱した甲高い声が、相棒の名を繰り返し呼ぶ。しかし、それきりダマルの声は聞こえなかった。

 謎多き身体に起こった異常。その原因がなんであれ、状況が切迫していることに変わりはなく、僕はジャンプブースターを吹かして機体を翻した。


『すぐに向かう! なんとかトレーラーを――がッ!?』


 全身に響いた衝撃に、視界が大きく揺れて回り始める。

 それが錐揉みに陥っていると気づくまで、どれくらいかかったのか。空戦ユニットのブースターに全開指示を叩き込み、力づくで姿勢を立て直せたのはゲル体表面に接する直前だった。

 しかし、ようやくの思いで勢いを殺したと息を突けば、たちまち接近警報が鳴り響く。

 ジャンプブースターの推力に歯を食いしばり、弾かれたように後ろへ飛ぶ。その一瞬後、翡翠が居た場所へ注ぐように、上からゲル体の塊が降ってきた。


 ――こいつ、ずっと翡翠を追って!?


 地を這うばかりと、いつしか僕は思い込んでいたらしい。自分の飛行経路であろう位置へ視線を向ければ、そこには塔のようにそそり立つアンノウンの姿があり、重力に抗わずドロリと溶け落ちていく。

 そうして降ってきたゲル体は、波紋と共に足元の自身と一体化したかと思うと、今度は足元から飛ぶ獲物を絡めとろうと、ボコボコと自らを盛り上げ始めたため、僕は急いで高度を取った。

 自然と広がる視界。変わらない一面の赤に嫌気がさし、ふと気づく。


『動きが鈍って……いや、そうか』


 システムチェック、脚部装甲に軽度の損傷。こちらは問題ない。むしろ問題となるのはマキナ自身のエネルギーだろう。空間エーテルが希薄化している以上、稼働し続けられる限界はそう遠くない。

 だが、まだ動ける。まだ戦える。


『全員聞け。これよりアンノウンは翡翠が北東方向へ引き付ける。各々、全力で後退し友軍部隊と合流。これを護衛しつつアルキエルモへの撤退を開始せよ』

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