第86話 最悪の目覚め

 煤が残るシェルターの中を見た。

 玉泉重工研究施設の職員全員を収容できるほど大きく、山の岩壁を掘って作られたそれは熱核兵器にも耐える強靭な物だ。

 だというのにその内側はひたすら黒く燃え落ちている。生存者が居なかったことから使用された爆薬はかなりの量だろうとも言われていた。


 ――何故、自分は生きているのだろう。


 耳にこびり付いた無邪気な声を思い出す度、そんな思いが去来する。

 ストリは軍属であったとはいえ民間人だ。だというのに彼女が殺され、兵士である自分が生きているのは、世界が狂っているとしか思えない。

 狂った世界なら正さなければならない。自分を殺せなかったことがテロリスト共の犯した最大の失敗であり、狂った世界が後悔すべきことだ。

 それから僕はひたすらトリガを引いていた。

 実行犯は全員が死亡したと報道されたが、そんなことは自分にとって関係がない。これはストリのためなどではなく、ただの八つ当たりの口実だ。だからこそ共和国に与するなら、何者であれ消し炭にしてやろうと心に決めていた。

 ロシェンナの登場で劣勢に立たされていた黒鋼でも、性能の差なんて大した問題ではない。空を飛ぶ相手ならその翼をもぐだけだった。

 両手と背面ユニットから生えた2本のサブアーム。そこに合計4丁の突撃銃を携え、強化のため腰にも追加されたジャンプブースターの力で飛び上がる。推進剤が燃える青白い炎が空中に雲を描けば、我が物顔で空を舞うロシェンナへ一気に肉薄した。

 迫る一瞬を逃してしまえば、足の速い敵であるため瞬く間に距離を離される。だがロシェンナは空中機動に特化するための軽量化で装甲が薄く、特に飛行ユニットに2、3発当てれば地面に縫い付けられた。

 縦横無尽に空を舞い、フレアとチャフをまき散らす相手への対空攻撃は簡単ではない。実際黒鋼を主力とした企業連合軍機甲歩兵部隊は、あれに随分と苦戦を強いられた。対空戦車まで引っ張り出して迎撃を行っていたが、高いステルス性能と運動性も相まって中々捉えられないと嘆く声も多かったように思う。

 それも僕は対策をした。4丁も突撃銃を持っていたのはそれが理由だ。

 一気に肉薄して両手の突撃銃で直線的に射撃をすれば、大体の敵は左右どちらかへ回避行動をとる。上へ逃げるには推力を上げても素早くは動けず、下へ逃げれば対空射撃の的にされるからだ。

 それがわかっていればサブアームに装備した突撃銃で逃げる方向へ射線を張るだけで、燻された羽虫のように連中は落ちていく。

 その上、夜光中隊には間もなくロールアウトされたての翡翠が届いたため、僕はこれを駆って一層残骸の山を築き上げた。

 憎くて憎くて、とにかく憎い。

 その機体に、その車両に、その船舶に、共和国の紋章が刻まれている限り、自分の銃火は止むことがなかった。穴の開いたような心でさようならを告げながら、1匹残らず確実に殺していく。

 それでもまだ足りない。お前たちが奪った物は二度と帰らない。その贖罪は同じ苦しみだけなのだ。だから誰もを平等に殺し、共和国の全てを破壊する。

 夜光中隊だけで空母任務部隊を壊滅し、堅固な要塞をも吹き飛ばし、いくつもの町を焼き払った。

 それでも埋まらない心の穴は、ゆっくりと自分自身を蝕んでいたのだろう。

 3年の月日が流れた時、僕は自分がわからなくなった。

 殺して殺して殺して、マキナ越しに自分の全身が赤黒く染まっても戦争は終わらず、世界は何ひとつとして変わらない。

 共和国のあらゆる物を煉獄に送り込んだとして、それで自分がどうなるというのだろう。それでストリの元へ行けるのだろうか。

 そんなことを思いながら、野戦陣地のベッドの中で丸くなっていたように思う。



 ■



 最悪の目覚めだった。

 汗にまみれた体は気持ち悪く、手に残ったトリガの感触は冷たくて最悪だ。

 ゆっくりと身体を起こせば全てが鉛のように重い。その有様にため息が出る。


「本当、最悪だな」


 銃杷を握ってきた手に言葉を落とせば、隣でダマルがカチリと骨を鳴らした。だが、彼はまだ眠っているらしくそれ以降の動きはない。

 ストリのことを思い出すだけで、これほどまでに憔悴した自分に嫌気がさす。彼女はこんな自分の何を気に入ってくれたのかと、誰も答えられない質問が頭の中を渦巻いた。

 せめて皆の顔を見る前にシャキッとしなければならない。こんなままで800年後にも生きているとストリが知れば、きっと幻滅するだろう。あるいは腹を抱えて笑うだろうか。

 思考の全てに彼女が居る気がして、ゆるく首を振った。


「……もう忘れるんだ」


 ダマルを起こさないようにそっと寝台を降り、静かに軍服を着こんで部屋を出る。

 時計などない世界だ。今が何時なのかはわからないが、炊事の音も聞こえていないことから、余程早朝らしい。酒場へ降りても人影はなく、僕はそのまま井戸のある裏庭へ足を向けた。


 ――酷いもんだな。


 井戸水を汲み上げた鶴瓶を覗けば、水鏡の向こうから、最悪な面構えの男がこちらを覗いている。

 わかりきっていたことだが、このままでは心配をかけるだろうと、顔に水を叩きつけて表情を引き締め、袖で水滴を拭って井戸の枠に手をかける。

 すると僅かに思考がクリアになり、ふと一昨日にアポロニアとファティマに言われたことを思い出した。


『そのことなんッスけど、自分にご主人の戦い方を教えてくれないッスか?』


『そうお話です! ボク強くなりたいって思ったんですよ!』


 まだ彼女らと訓練をした訳では無いが、必要だったのは発想そのものであり、身体を動かせば少しは気持ちもマシになるのではないかと考えた。

 動かさなければ身体はどんどん鈍っていくし、王都のような町中では下手にマキナを頼ることもできない。

 ならば鍛えておいて損はないはずだと、僕は誰に言うわけでもないのに理由をつけ、静かに部屋から小銃を持ち出して、洗濯物が干されていない庭でそれを構えた。

 先端につけたバヨネットが、朝靄の中でキラリと光る。


「ふっ……!」


 突く、斬る、叩く、銃剣術の動きを1つずつ、何度も何度も繰り返した。

 突く動作の後には必ずトリガを1回素早く引く。セーフティがかかっているので実際には引けていないが、敵に突き刺した銃剣を引き抜く際、発砲による反動を利用するのは銃剣術において一般的な方法だ。

 ダットサイトを覗き込めば、その先には井戸脇に置かれた鶴瓶が入り込む。それを目標と定めて固いトリガへ指をかけ、しかし、ふいに感じた視線に僕は勢いよく振り返った。


「誰だ」


「うひぃっ!?」


 我ながらあまりに殺気の籠った声だったと思う。

 基本的な動きを繰り返すだけの訓練でもスイッチが入っていたらしく、咄嗟にセーフティを外した上で、銃口はしっかりと闖入者に狙いを定めていた。

 ただ、それがアポロニアだったので、僕は慌ててセーフティを戻して小銃から手を離すことになったのだが。


「ご、ごごご、ご主人ッスよ、ね? あぁびっくりした……1人で何してるッスかぁ……?」


「すまない、ちょっと気分転換に身体を動かそうと思ってね」


 ぶはぁと大きく息を吐いて肩を落とすアポロニア。肌着のタンクトップとホットパンツ姿で、ポニーテールが解かれたボリューミーな赤茶色の髪をガシガシと掻いた。


「寝起き早々そんな物騒なもん向けないでほしいッス……トイレ行っといてよかったッスよ」


 1歩間違えばまた大事故を起こしていた可能性があるらしい。その割にはしょぼしょぼする目に涙を浮かべ、欠伸をかみ殺していたように見えたが。

 彼女は井戸水を派手にまき散らしながら顔を洗うと、濡れた犬がするように勢いよく頭を振って水滴を払い、手櫛で軽く髪を整える。

 だが、それを無言で凝視してしてしまったからか、彼女は不思議そうに首を捻った。


「何ッスかご主人? 自分の頭に、目と鼻と口と耳以外、何かついてるッスかね?」


「いや髪をおろしてるのが珍しかったから、ついね」


 こちらの答えを聞けばふぅんと興味なさげに言って、また顔をゴシゴシと手拭いで擦ってからそれを首に巻き付け、ふとそこでぴたりと体の動きを止める。


「――参考までに、括ってない方が似合ってるッスか?」


 真顔で振り返ってそんなことを言うものだから、僕は苦笑いを返すほかない。


「それは僕に聞かれてもなぁ。なんせお洒落なんて難解な物を理解できるほど、高度な頭をしていない」


「こーゆーときは個人的な感想でいいんスよフツー。ご主人は何かと考えすぎッス」


「そんなものかい?」


「そんなもんッスよ」


 それだけ告げると、アポロニアは草履を鳴らして酒場の中へと消えていった。寝なおすわけではないだろうから、服でも着替えに行ったのだろう。

 彼女の姿が見えなくなるや、僕はふぅと小さくため息をついた。

 武器を振り回していたなんていう特殊な条件が重なったことも大きいが、あれほどの重大事があった翌朝である。自然と普段通りに会話ができたことに、心底安心してしまった。理由はどうあれ、自分は3人の女性全員を同時に振った糞男なのだ。家族だ何だと言ったところで、彼女たちとまともに話せる自信なんて欠片もなかった。

 それどころか、ダマルを残して全員が離散する可能性だって十分にあり得る話だ。もし彼女らが出て行くと言うならば、自分には見送る以外にできることもない。できることならそうなって欲しくはないものの、それは虫のいい話でしかなかった。

 暗い想像に気が重くなるが、数秒前に何かと考えすぎだと忠告されたことを思い出してため息をつく。結局は各々の判断に任せるしかないのだ。

 余計な思考を振り払おうと僕は再び訓練に意識を集中する。

 だが小銃からバヨネットを取り外して振り抜いたところで、またも背後から視線を感じた。


「おにぃさぁん、朝から何してるんですかぁ?」


 アポロニアより余程眠そうな声に振り返る。だが、その姿には目が点になった。


「――どちら様?」


 僕が想像していたのはファティマだったのだが、そこにあったのは蠢く毛の塊だった。強いて言えば橙色の毛であることと大きく張り出した耳は彼女のものに見えたが、顔すら見えない程に覆われていては確証が持てない。

 しかし、毛の塊はこちらの疑問に対し、もごもごと聞きなれた声を発した。


「ボクですよぉ、寝ぼけてるんですかぁ?」


 むしろ寝ぼけてるのはお前だろうと言いたいが、それにしたってこの妖怪毛むくじゃらは、それだけで片付けられる代物ではない。わしゃわしゃと毛を押し開いてみれば、薄く目を開けたファティマの顔が現れたためとりあえず本人確認だけはできた。


「ケットって1日で毛が伸びるようなことがあったりとか……あるいは換毛期だったり」


「ずーっと前から、ボクの髪はこんな感じですけど」


 思い出せるファティマの姿は外ハネのミディアムボブである。いくら自分の記憶がポンコツだとはいえ、寝食を共にする仲間の姿を一晩で忘れるほど腐ってはいない。

 しかしファティマはその分厚い毛の塊の中から尻尾を出したことで、僕にはようやく合点がいった。


「あぁ! もしかして三つ編み――って、あれこんな量の毛を纏めてたのか……」


 想像を絶する密度である。いくらファティマの三つ編みが足に届く程長いものだったとはいえその見た目は細く、とても全身を覆う程の毛量を内包しているようには見えない。

 だというのにファティマは、何を当たり前のことを、とでも言わんばかりに首を傾げてみせる。


「解いたの久しぶりですからね。いっつもシューニャが整えてから結んでくれるんです」


「そりゃどんな超能力だい……あの子も中々底が知れないなぁ」


 知識の量で圧倒するだけでなく、まさか毛髪を圧縮する不思議技術を会得しているとは思いもよらなかった。しかもミディアムボブの外ハネ部分だけを残す器用な髪型を作っているのだから、美容師としても十分やっていけるように思う。


「ギュッとまとめて、はみ出た部分を切ってるだけ」


「ひぃっ!?」


 突如背後からかけられた声に、危うくその場で飛び上がりかけた。

 訳の分からないことを考えていたにしても、シューニャの接近に気付かないなど油断もいいところである。

 おかげで振り向いた僕の表情は、これ以上ないくらいぎこちないものだった。


「お、おはよう」


「ん……おはよ」


 シューニャは短く挨拶を交わすやいなや、ファティマをベンチに座らせて髪の毛を手際よく括り始める。なんとも手慣れたもので、あっという間にいつも通りの細長い三つ編みが出来上がった。周りにはそこに入らなかった余剰の長い毛が残されていたが、それはどこから持ってきたのか小さなハサミでバッサリと切り落としていく。

 シューニャの手際はカリスマ美容師さながらの見事な物だったが、それを称賛するより先にファティマの全身が見えてしまい、僕は大きな咳ばらいをすることくらいしかできなくなった。


「ん゛ん゛ッ!? ファティ、その恰好は一体――」


「……確かに」


「お?」


 身体を覆っていた髪の毛がなくなったことで見えてきたもの。それは昨夜と変わらないダボダボなワイシャツ姿だった。朝日に照らされて健康的な太ももが眩しく、形のいい胸が素晴らしい自己主張を作り出している。

 どうやら着替えもしない内に眠ってしまったらしい。それも起きた時には完全に忘れていたのか、自分の身体に視線を落とした彼女は途端に顔を真っ赤に染めた。


「ふにゃっ!? お、おにーさん! 見ないでください!」


 ファティマは今まで眠そうにしていたのが嘘のように機敏な動きで、右手で胸を隠し左手で裾を押さえつける。伸びあがった尻尾も驚愕からか一回り大きく膨れ上がっていた。

 しかし、精神的に参っていた僕は何かがどうでもよくなってしまい、ただただ眼福と思いながら仏像のように微笑んだ。たまにはこういうピンクハプニングも悪くはない。

 だがそう思ったのは自分だけらしく、後ろから伸びてきたシューニャの手が僕の両目に突き刺さった。それも結構な力だったため、僕は堪らず悲鳴を上げる。


「ぐわぁ!? しゅ、シューニャ、ちょっ、もうちょっと緩めてください!」


「早く着替えてきて」


 細い指の隙間から僅かに残された視界では、ファティマが素早く2階の窓に向けて跳躍し液体のように中へと入りこんでいく姿が見えた。

 そして彼女が完全に見えなくなったあたりで、僕はようやく解放されてその場にしゃがみこんだ。我がことながら、よく痛みに耐え抜けたものだと思ってしまう。

 しかし、見えないようにしていたシューニャは、それでも納得いかなかったのか、凍てつくような翠玉の半眼をこちらへ向けた。


「……助平」


「き、昨日の自分たちの行動を省みてくれないか……」

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